第41話

 ゴールデンウィーク開始を翌日に控えた金曜日。ふうど研究部の部員一同は、外部への公開用コンテンツの最終調整のために話し合いの場を設けていた。


「やっぱり争点はカニバリズムの有無だよな」

「そうなるだろうな。だが、これに関しては安易に公開できるような話ではないぞ。明確な根拠は無いし、下手したら名誉毀損で訴えられる」

「だよなぁ。うーん。佐田はその辺について、どう思う?」


 大地からの声かけに律は驚きハッとする。気もそぞろの状態であったためだ。


 テーブルの上に置かれている甘味の有名店の箱と、そこからふんわりと漂う甘い香りに心奪われた結果、律は議論どころではなく全く集中できずにいた。


「すみません……私としたことが少し注意散漫でした。それで、何の話でしたか?」


 律は何とか平静さを取り戻し問い返す。しかし、ソワソワと浮ついた雰囲気だけは隠しきれずにいた。律同様にその甘味が気になっていた大地は、無理もないなと苦笑いを返すと、一同に休憩を提案する。


「昼からぶっ通しでちょっと疲れたな。茶でも淹れるから一旦休憩にしないか?」

「……コーヒー」


 秀一郎は仏頂面で大地に指示を出す。しかし態度こそ横柄なものの、休憩自体は拒否しない。それは明日からのゴールデンウィークを目前にして、内心で密かに浮ついていたからである。


 普段は何かと帰宅したがる秀一郎が珍しくも乗り気であったことで、一同は目を見合わせるものの、すぐに笑みを浮かべ頷き合う。とりわけ律の頷きは大きかった。


「ええ、そうしましょう。そうしていただけると大変助かります。ところでですね、先輩が持ち込んだその箱ですが、それはもしや……」

「ふふ、今切り分けるね」


 そわそわと落ち着かない様子でテーブルの上の箱について言及した律に、結芽はにこりと微笑みで返す。その陰で、大地はそっと人数分の皿とナイフを結芽に差し出し、湯沸かし器のスイッチを入れる。早めに部室に到着した大地は部室の換気や掃除を済ませ、茶器類の洗浄も既に済ませていたので、秀一郎による厳しい衛生チェックも問題は無い。


 湯が沸くまでの間、大地はぼんやりと本日の議題に考えを巡らせていた。





 前回の話し合いの後、一般公開用の記事の作成のために結芽抜きで何度か話し合いが行われた。結芽を抜いたのは意図的なものではなく、講義のスケジュールの関係で単に予定が合わなかったからである。


 その幾度かの話し合いによって、記事の大まかな方向性は決定された。巨石伝説に関する伝承と、それに付随した鬼の正体について幾つかの推論を列挙することにしたのだ。鉱山災害説、ガス爆発説、村で蔓延した伝染病の暗喩説、鉱山労働者及び土木関連関係者説の四つである。


 逆に、その正体の一切合切が謎に包まれた修験者や、巨石そのものがどこから来たのかに関する考察は省かれる予定であった。


 そして本日、秀一郎と律、大地が話し合っていたのは〝村人こそが鬼の正体である〟とする説を記事に盛り込むかどうかに付いてである。仮にその説を盛り込むのならば、食人習慣があったかもしれないという推論、クールー病について、そして行方不明者の存在について触れる必要がある。だが、それらはあまりにもショッキングな内容である上に、法廷闘争にまで及びかねない危うさがあった。


 掲載に賛成しているのは律であり、反対しているのが秀一郎、そして意見を決めかねているのが大地であった。結芽はまだ食人習慣について受け止めきれておらず、むしろその話題に関しては懐疑的な立場を貫き、静観姿勢であった。






 大地による給茶が完了し、結芽によってバターケーキが各々の手元に置かれる。暴力的なまでの芳しさで胃や脳髄を刺激するカロリーの塊である。しかし律や大地にとっては、劣勢の最中に突如万の軍勢が現れたに等しい状況である。これでもう怖いものは何もないと言わんばかりに勇ましい顔をした律が、中断された議論の口火を切る。


「私は、調べ上げた内容は正確に公表したいです。例えそれが世間的には好ましくない内容であっても、です」

「食人習慣については、あくまでも状況証拠に過ぎない」

「そうだよね。カニバリズムなんて有り得ないよね? ね? 証拠は無いんでしょ?」


 休憩と議論はキッチリと分けたい秀一郎は突然の会議再開に渋い表情を浮かべるものの、その態度は表に出さず、冷静な声音で律の言葉に反論する。


 食人については考えたくもない結芽も秀一郎に賛同して後押しした。


「しかし、これだけ克明な症例の記録が残っていて、かつそれと合致する病気が存在するとなると……先輩の資料も有りますし」


 大地としても、元々はカニバリズムに関しては懐疑的であった。ゴールドラッシュに湧いた裕福な村と、凄惨な食人習慣がどうしても結びつかなかったからだ。だが、その大前提は皮肉にも結芽の持ち込んだ資料によって覆った。


 税を滞納するほどに困窮した地であるのならば、そしてそれまで採掘のみで生計を立てていたのならば、閉山は死活問題である。現代に至っても鉱山の再開発の話が俎上に上らない事からして、枯れ鉱山である可能性は高い。それらの背景を加味すると、途端に人肉食が現実味を帯びてしまうのだ。


「とはいえ、現代にまで食人習慣が残っているとは俺も考えてはいません。行方不明者は不用意に坑道に立ち入ってしまって事故にでも巻き込まれたのでは?」

「五年で二十六名もか? それも判明しているだけで、だ」


 秀一郎はそう言うと、ノートパソコンのスクリーンを大地に向け、警察庁のウェブサイトのデータを提示する。それによると、昨年度の年間の遭難者数は三千名にも上るそうだ。うち最終的な死者・行方不明者はその一割ほどであった。


 そのデータを鑑みるに、登山の難所でもなんでもない地域で五年で二十六名と言うのは決して少なくないのではと大地には感じられた。


「これだけの不明者数にも関わらず、何の注意喚起もされず、周知もされていない現状が不自然すぎる。佐田の話を元に、僕の方でも富地米村近辺へ出かけた登山者のアカウントを追ってみた。中には、友人知人が未だに情報提供を求めているアカウントも存在するし、実際に現地に赴いて手がかりを探している者も存在した。だが、どのアカウントもある日を境に更新が途切れている。捜索を断念したのなら理解できる。だが、日常や趣味に関するあらゆる更新が途絶えるのは事件性を疑う他ないだろう」


 上品かつ、素早くケーキを口に運ぶ律以外の部員たちは言葉を失い押し黙る。富地米村には、得体の知れない薄気味悪いが存在しているに違いない。そう感じずにはいられなかった。


「おそらく僕らの考えすぎだ。食人習慣なんてあるはずがない。だが、そうだとしても裏で何かが起きているかもしれない。用心に越した事はない。敢えて藪を突く必要もないだろう。記事を書くのなら、食人やクールー病、村人鬼説は外すべきだ」


 秀一郎はそう締めくくると、少しだけ冷めたコーヒーを啜る。しかし伝え忘れたことがあったのか、皮肉げに口端を歪めながら結芽に言葉をかける。


「あぁそうだ。先輩の調べていた富知米村の里芋についてでも発表すれば良いんじゃないか? それなら多少はマシだろう」

「え、いいの?」


 富地米村産のブランド里芋『げんざ芋』を使った郷土料理について熱心に調べていた結芽は、秀一郎の提案に喜色満面の笑みを浮かべる。ようやく自分の出番が来たと言わんばかりに意気揚々と立ち上がる。しかし、その意気は秒と待たずに挫かれた。


「駄目ですね」


 自身のバターケーキを食べ終えた律は、大地のケーキを横目で見つめながら端的に拒絶の意思を告げる。


「なんでー!?」

「先日に先輩から戴いた資料を読み込んだ結果、げんざ芋の起源が本当に富地米村産なのかどうかが疑わしくなってきたからです」

「どういうこと?」

「先輩が付箋をしてくれたこのページをご覧ください」


 律は数日前に結芽が持ち込んだ本――そのふざけたタイトルを嫌った秀一郎が無地のカバーを装着した――の該当ページを開き結芽に見せる。内容は本馬村に向かった徴税官が、そのまま横領してどこかへトンズラをしたというエピソードである。


 本を持ち込んだのも付箋を付けたのも結芽自身である。勿論読むまでもなく内容は頭に入っていた。


「ところで、相田先輩は本馬村の現在の地名はご存じですか?」


 里芋に付いて調べていたのは自分だ。勿論周囲の地形についても知っている。何故律は今更そのような事を訊ねるのか。不思議に思い首を傾げる結芽に対し、律はさらに疑問を投げかけた。すると結芽はハッとした後に、恐々とした口調で答えを告げる。


「……あ、東風多こちた村」

「そうです」

「なぁ、それがこの話とどう関係しているんだ?」


 今の会話で理解した様子の二人とは異なり、全く話の意図が掴めない大地は律に問いただす。すると横合いから秀一郎が口を挟む。


「東風多は富地米村と里芋の起源論争で争っている地域だ。数百年間な。その旧村名が本馬村だ。あとは自分で考えろ」


 突き放すような秀一郎の言葉に頷くと、大地は情報をまとめる。秀一郎が薄情だなどとは全く考えていなかった。大地は自らで考察するのが楽しいからこそオカルトが好きなのだ。その余地を残してくれたのだろうと大地は秀一郎に目線で感謝を伝える。


 しかし、秀一郎はその視線を薄気味悪そうに眺めていた。


『本馬村と郷作村』『本馬村から輸送中に消えた年貢』『当時、商品作物は物納で行われる場合もあった』『通り道の郷作村には徴税官は来ていないとの証言』『しかし、後に郷作村で名物になる里芋』『現代に至るまで続く里芋起源論争』『東風多村と富地米村』


 大地は今までの情報を脳内でまとめていく。すると、とある可能性が浮上する。


「もしかして本馬村の徴税官は本当は郷作村を訪れていた。それが郷作村の里芋の起源ってことか? つまり、現代でいう産業スパイ……とか?」


 大地が驚いたような口調でそう言うと、秀一郎は溜息を吐く。


「お前はどこまでお人好しなんだ。徴税権を持つ程の役人がリスクを冒して、そんなことをするメリットがどこにある。それなら袖の下でも掠め取る方が余程安全で確実だ」

「そうですね。それよりは、まるっと郷作村の村民に略奪されてしまったと考えるのが自然でしょう。徴税官の命も含めて」

「……そんなぁ」


 秀一郎と律の見解に結芽は肩を落とす。


「しかし残念ながら、そう考えると腑に落ちるのです」


 落ち込んでしまった結芽を宥めるような律の声音であるが、しかし自身の主張の正当性を強く確信していた。それを証明するかのように律は自身の論拠を明らかにしていく。


 そもそも農業というものは、何のノウハウもなく一朝一夕でどうにかなるものではない。しかし荒れ地に強いとされる品種の種芋と、他にも多数の商品作物が満載された年貢があればどうか。もしかしたら、なんとかなるかもしれない。


 そしてそれならば、ある時から突然農業で栄えるというのもあり得ない話ではない。少なくとも法師の奇跡よりは可能性が高い。律はそのように考えていた。


「なぁその場合って人肉食はどうなるんだ? 仮に略奪で食糧不足を解消できたのなら、人肉を食べる理由は無いよな?」

「大地君、それは因果関係が逆です。クールー病かはともかく、疫病は確実に存在していました。記録も数多く残っています。そして法師が現れ、事態を解決したとあります。農業が栄えたのはその後です。あぁそうですね、それで言えば法師の正体は徴税官だったのでは? 、村人に物資と農業の契機を与えた人物ですから」

「ひどい……」

「それはいくらなんでも……」


 律のあまりにも無慈悲な発言に結芽と大地は言葉を失う。しかし、そんな大地にさらなる追い討ちを欠けるかのように秀一郎も冷たい言葉を放つ。


「その徴税官すら口封じで食べられた可能性もあるんじゃないか」

「そんな人物を村の救い主として祀り上げたとしたら……何ともおぞましい話です」


 伏し目がちにそう呟いた物憂げな律の瞳には、大地が食べる過程にて意図せず倒してしまったバターケーキの塊だけが映っていた。

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