第13話

 仏頂面の秀一郎と満足げな微笑みを浮かべる律の表情をチラチラと見比べながら、恐る恐るといった体で結芽が会話の口火をきる。


「そ、それじゃあ活動についてなんだけど、方針については既に話した通りだよ。世の中に存在する伝承、実在のニュース、噂話からの創作ね。そこさえ踏襲してくれていれば、あとは好きにしてくれて構わないよ」

「丸投げ、ね」


 秀一郎がポツリとそう呟くと、結芽はビクッと肩を震わせ、慌てたように目を逸らす。大地はその態度に気付かないフリをしつつ、自信なさげに挙手をして発言を行う。


「ある程度の達成目標や何か気をつけることはありますか?」

「コホン。欲を言えばだけど、後々公開することを意識した内容にしてほしいかな。大衆ウケしやすい話とか、収益に繋がりそうな感じとか。でも初めての活動だし、あまり気にしなくていいよ。何か調べてみたいテーマがある人はいるかな?」


 先輩ぶって格好を付けたい結芽は、殊更に真面目くさった表情を浮かべながら人からの受け売りをポツポツと口にしていく。しかし後半になるにつれて、出来る女ぶった仕草が過剰になり始める。


 そんな結芽を呆れた視線で眺めていた秀一郎はピシャリと意見を言い放つ。


「僕には無い。そもそもそれは僕の領分ではない。お前達で考えろ」

「私もすぐには思い浮かびそうにありませんね。大室君はどうですか?」


 秀一郎の口の悪さや素っ気無さに慣れ始めてきた律は、その乱暴な物言いに動じることなく、しかし自身にもアテは無いことを伝え、大地に話を振る。


「その……テーマに相応しいかは分からないんだけど、実は一つ案が有るには有るんだ。いや本当に全然大した案ではないんだけどな」

「いいからさっさと言え。使えるかどうかは聞いてから決める」


 焦れた秀一郎が苛立ち紛れに急かすと、大地は慌てて気になるテーマを発表する。


「すまんすまん。いや実はな、隣県の巨石信仰が気になっているんだ。富地米村という名前の村で、バイクで近くを通った時に興味を持った。全長十メートルくらいらしいから……建物三階くらいか? それ位の高さの大岩らしい」


 家に娯楽要素を一切持たない大地は、しばしば一人でバイクツーリングを行っていた。講義もバイトも無い日には、水筒と果物だけを手に朝から気の向くままに出かけては周囲の探索をしていた。近場に巨石が鎮座している有名な場所があると知ったのも、それが切っ掛けであった。


「どういう経緯で信仰されるようになったのかとか、詳しい逸話を調べてみたいなって思っていたんだ。最近はずっとそのことが気になって気になって……」

「その結果、講義に身が入らなかった、と」


 律は大地と話すキッカケとなった出来事を思い出し、揶揄い口調でチクリと大地を口撃する。カフェテリアで結芽が口を挟まなければ、大地はこのことを話すつもりだったのだろうかと推測しながら。


「ぐっ、その件はもう勘弁してくれ。反省しているから。それで話は戻るんだけど、ざっと調べてみた感じだと、割とドラマチックな展開もあるみたいなんだ。どうだろうか?」


 大地が説明を終えると、腕組みをして難しい顔で考え込んでいた様子の結芽が口を開く。


「それって、もしかして法師様が鬼退治をする話かな?」


 結芽がおそるおそるといった様子で尋ねると、大地は意外な表情を浮かべて肯定しながら尋ね返す。


「そうです。先輩も知っていましたか」

「有名な話なのですか?」


 初めて耳にしたらしい律は疑問を差し挟む。その視線は結芽に向けられていたが、結芽が口を開く前に秀一郎が解説を開始する。


「大室は上京組だし、佐田は家が遠いんだったな。なら知らないのも無理ない。この辺りでは有名な話だ。小中学校の課外授業での定番になるくらいにはな。バンガローもある」

「そうだったのか。……ってことは新鮮味には欠けるかな?」


 自身にとっては興味深いテーマであったが、同好会の半数のメンバーにとって既知のテーマであるのなら、調査には相応しくはないかもしれない。大地はやや肩を落とす。


「そうでもない。確かにこの辺の住人なら誰でも話くらいは聞いたことがある。だが、詳しく知っているかと言われれば正直微妙だ。そういう意味ではキャッチーで悪くない」

「里芋も有名だしね」


 結芽が伸び上がるように姿勢をしゃんとして自身の意見を強調する。ここは〝フード〟研究部でもある。食べ物に関しては任せてくれと言わんばかりの得意げな表情を浮かべていた。


「そちらは私でも知っています。非常に著名ですので。……良かれ悪しかれ」

「あぁ、この辺では一番……拘りが強いな」

「そういえば調べた時にそんな情報もあったな。しかし、なにか引っかかる言い方だな」


 律と秀一郎の言葉から不穏なイメージを感じ取った大地は、不安な面持ちを隠しきれずに秀一郎に問いかける。


「大室は入学時のオリエンテーションの際の芋煮の話を覚えているか?」


 そう確認してから秀一郎が説明した話は、地方から越してきた大地にとっては非常に衝撃的な内容だった。


 そもそもの大前提として、この地域においては芋煮文化というものが、何をおいても最重要視されるべきものであるとの共通認識が存在した。信号機の存在を知らない小学生が居ないように、芋煮を語れない地元人は存在しない。


 それは例えるならば、日本国内に於ける正月の雑煮のようなものと似て非なる立ち位置にある。地域差がかなり大きく、地元の名産や文化的な特色が芋煮の内容に色濃く反映され、出汁や具によって出身が判別可能な程には多岐に渡るとされている。


 婚儀の際には両家の間でのあらゆる力関係――財力、どちらが嫁ぐか、本家か分家か、家同士の距離、家族構成、またその職業等々――を勘案することで、具や出汁の両家の適切な混合比率までをもキッチリと決められるそうだ。家や血を次代に残すのと同じくらい重要視される重大なイベントとみなされる。


 それに付随して、この地方では皆が皆、自身の出身地の芋煮に強い誇りとこだわりを持つ。故に安易に余所の地域の芋煮を貶したり、揶揄したりすることは決定的な事態を招きかねないとして御法度だとされている。それは、この地域に住む者全ての共有する法であり、暗黙の了解である。秀一郎は真剣な表情でそう締め括った。


「なるほどなぁ。オリエンテーションでやたら芋煮についての注意が多かったのはそういうことだったのか。何事かと思ったよ」

「毎年自己紹介や飲み会をする際に問題に発展することが多いらしい。同じ地域の生徒しかいない小中高と違って、大学は雑多な地域から学生が集まるからな。どうしても問題は起こる。大室も気を付けるんだな」


 大地は内心で少々大袈裟ではないかと軽く考えていた。しかし秀一郎の注意喚起に対して、実感の籠もった顔をしながらうんうんと頷いている結芽と律を見ていると、強ち冗談や誇張とは思えない。気を引き締めた方がいいだろうなと自戒する。


「で、その芋煮文化圏の中でも特にアクが強いのが巨石信仰のある富地米村って訳か」

「そうだ。長年、隣の村とブランド芋の開発起源論争をしているくらいだ。一時期はそれこそ事件になる程に荒れていた。今では少し落ち着いたようだけどな。バンガローを訪れた他所の地域からの学生に、自分の所の作物を振る舞うことで刷り込みをする手法に切り替えたらしい」

「……なぁそれ本当に落ち着いたのか? 一種の洗脳のような」

「大室君、滅多な事を口にしては駄目です。壁に耳あり障子に目ありですよ」

「伊達に数百年争ってはいない。これでも一時期に比べればマシだ。それより佐田の言うとおり軽率な事は口にするな。信用できる相手以外にはな」

「そこまでなのか。本気で怖くなってきたんだが」


 腫れ物に触れるかのような神経質な扱いに大地は身震いをする。自分の認識はまだまだ甘かったのかもしれないし、迂闊な自分では今後も口を滑らせかねない。この話題に関しては口を噤んだほうがいいなと固く決心した。


「しかし数百年か。とんでもないな。でも、それはそれとして、芋煮にそこまで多様性があるってのもなんだか興味深いな」

「そうなの。そうなんだよ。芋煮はね、とってもとーっても奥深いものなのだよ」


 結芽は得意げにそう言うと二度三度と頷く。それを聞いた大地はますます芋煮に興味が湧き、結果として偶々目があった人物、律に芋煮について問いかける。先ほどの決心は既に頭に存在していなかった。


「ちなみに佐田の家ではどんな具材を入れているんだ?」

「……大室君、本気ですか? ……その、少しだけ考えさせてください」


 律は目を大きく見開き頬を染めると、慌てて視線を大地から逸らす。


「やっぱ秘伝だったりするものなのか?」


 このような反応をされるなんて、芋煮のレシピとはそれ程までに秘匿性の高いものだったかと大地は驚き、悪いことを聞いてしまったかなと謝罪しようと口を開きかける。


 すると困惑する大地を見かねた秀一郎が呆れたように嗜める。


「大室。軽軽な発言は慎むよう言ったばかりだろう」

「え? 何かマズかったか?」

「自分で考えろ、間抜け」

「大地君はオマセさんだね」

「ええ、意外でした。まさか出会ってすぐにこのような……」

「このような何だ? おい、誰か頼む。説明してくれ。頼むから」

「後にしろ。それより、今はテーマについてだ」


 そろそろ本格的に帰りたくなってきた秀一郎は、大地の疑問をバッサリと切り捨てると先を進めるよう促す。


「……後で教えてくれよ? それで、テーマとしてはどうだろう。先輩はどう思いますか?」


 大地は縋るような視線を秀一郎に向けながらも、まずは先輩である結芽の意見を伺う。


「良いんじゃないかな。ホクホクの里芋も美味しいしね。私は里芋担当がいい!」

「え、里芋についても調べるんですか?」


 オカルト関連を調査するつもりで入部し、またそれに特化した部であると考えていた大地は、結芽の主張に耳を疑い問いただす。しかし、その答えは意外な方向から返ってくる。


「何も問題は無い。巨石伝説には農業も深く関係しているからな」


 真面目な顔をした秀一郎が結芽の後押しをする。しかしその内心では、面倒な人物に仕事を与えることで、程の良い厄介払いを出来たとほくそ笑んでいた。続いて、秀一郎の内心とは全く別の理由ではあるものの、律も強く同意を示し自身の考えの根拠を付け足す。


「今までの部の活動記録を見た感じですと活動内容はかなり自由度が高そうでした。ある程度好きにやっても問題ないと思います。それから先日の先輩の言葉通り、部の規約にとの文言も確かに存在していました」

「そうだったのか。先輩。勘違いしてしまいすみませんでした」

「気にしなくて大丈夫だよ。知らなかったんだし仕方ないよ」


 後輩達が話を主導してくれているため少し肩の荷が降りた様子の結芽は、にこりと大地に微笑みかける。すると何かを思いついたかのような表情を浮かべた律が、少し意地悪げで演技がかった口調で大地に声を掛ける。


「あぁそういえば、大室君は片付けの時に居なかったので規約を見ていませんでしたね」

「おい。俺が片付けをサボったみたいな言い方はやめてくれ。俺は佐田の指示で、ゴミ捨て場と部室を往復していただけだからな?」

「分かっています、分かっていますから。ふふ」


 全く分かっていなさそうな表情でそう口にする律に揶揄われながら、大地は断固抗議を行う。何十往復にも及ぶ自身の奮闘を無かったことにされてはたまったものではない。


 しかし一方で、揶揄う律こそが最も働いていたのは間違いないので、あまり自身の功績を声高に主張することも憚られた。ブルドーザーのように物品を掻き分けながら、獅子奮迅の活躍をした律は間違いなく本日のMVPである。


 楽しそうに言い合いをする二人を微笑ましく眺めていた結芽であるが、一方で秀一郎が帰りたそうにしていることに気付き、慌てて話題の軌道修正を行う。


「ところで大地君は巨石伝説について、どの程度調査をしていたのかな?」


 問いかけられた大地は自身の鞄に目をやりつつ、軽く手を振り否定する。


「いえ、調査と言えるほどのことは、まだ何も。いずれ現地に行こうとは思っていましたが、今は雑誌で軽く概要をさらっている段階です」

「その雑誌は今持っているの?」


 大地の視線から雑誌が手元にあることを察した結芽は確認のためにそう尋ねる。


 大地はこくりと頷くと、いそいそと鞄に手を掛ける。今まで一人で活動していたため、自らの興味の対象を曝け出すことに対して些か緊張はある。しかし同時に、友人達と好きなモノについて語り合えることが大地とっては堪らなく嬉しかった。


 大地によって取り出されたその雑誌はオカルト界隈では最大手にして、パイオニアとして最も有名なものであった。世界各地の民間伝承やUFO、UMA、オーパーツ等々を専門に取り扱っている雑誌である。


「有名な雑誌だから皆知っているだろうけど、この雑誌で過去に巨石信仰に関する特集があったんだ。それがよく纏まっているから、まずはここから調べるのが良いかなって」


 世間的には少しマイナーなジャンルの雑誌を当然知っているものとして話す大地と、それを肯定するように何度も頷く結芽。その雑誌は部室の清掃の際にもバックナンバーが多数出土したため、オカルトにあまり馴染みのない律にも見覚えはあった。


 唯一、秀一郎だけは大層胡散臭いものを見たような視線を向けていたが、大地がその視線に気付くことはなかった。


「佐田は話を知らないんだったよな。それじゃあ簡潔に説明した方が良いかな? 話を既に知っている先輩と駒井には少々退屈かもしれないですが」


 やや伏し目がちに結芽と秀一郎の様子を伺いながら大地がそう問いかける。


「大丈夫だよ。話を聞いたのはもう随分昔の事だから全然覚えてないし。きっと初めて聞いたみたいに楽しめるよ」


 結芽は自信満々の笑顔を浮かべながらそう言い切る。その結芽を残念そうに見つめると、秀一郎は面倒そうに顎をしゃくって大地に先を促す。


「それじゃざっと読み進めていくぞ」

「ええ、お願いします。私は本当に初めてなので楽しみです」


 律がメモ帳を取り出し姿勢を正したのを確認すると、大地は辿々しくも明瞭な声音で雑誌の内容を読み上げ始めた。

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