調査編

第12話

「今日はお疲れ様ー、乾杯!」


 昭和レトロを基調とした内装のとしたお好み焼き屋、その店内にて。朗らかに音頭を取った結芽の言葉を皮切りに部員達は飲み物に口を付けていく。


 飲み進めるペースこそ各人の疲労度や残存体力の多寡によって異なるものの、しかし感じている達成感に関しては間違いなく一致しているに違いない。そう確信できる程には、彼等の表情は満足感に満ち満ちていた。約一名を除いて。


「しかし大変だったよな。まさかあの狭い室内にあれだけの物が詰め込まれていたとは」

「大半はゴミやガラクタでした」

「……本当にごめんね?」

「まぁ役立つものもそれなりにあったから結果オーライです。大丈夫ですよ」


 結芽が萎縮してしまわないようフォローしながら、大地は箸とおしぼり、メニューをそれぞれの手元に置いていく。その大地の腕は、延々と段ボールを運ばされた影響で微かにピクピクと痙攣していた。


 そんな中、和やかに談笑する一同に向けて秀一郎は鋭い言葉を投げかける。


「それより早く用件を済ませるぞ。僕は早く帰りたいんだ。こんな場所に長くいたら全身油臭くなるだろうが。そもそもなんなんだ、この店の外観は」


 秀一郎はすこぶる機嫌が悪かった。


 それというのも、このお好み焼き屋の外観があまりにも酷いものであったからだ。傾いていて歪な柱に、チカチカと不安げに瞬く照明、錆が浮いて文字が殆ど読みとれない看板。『こういう汚い店が一番上手いモン出すんだよ』が口癖の食通ですら裸足で逃げ出す程に不安な店構えである。


 それを厭った潔癖症の秀一郎は、絶対に入るものかと店の前で大いに駄々を捏ねた。しかし今からでは他の店に入れる保証はないこと、当面の活動方針の話し合いをする必要があることを理由に半ば無理に連行されていた。その恨み節は入店前から現在に至るまで絶えることなく続いている。


「確かに外観と内装には……その、少しギャップを感じたな」

「少しというレベルではない。断じてな」


 大地が苦笑いを浮かべつつ曖昧に肯定すると、秀一郎は強い口調で否定する。


 もしも店内が外観通りの不衛生さであったのならば、勿論腹が立っていたし、即座に帰宅していただろう。しかし想像が覆されてみたら――例えそれがプラス材料であっても――それはそれで揶揄われたようで気に食わない。秀一郎はそのように感じて憤っていた。


「駒井君の言い分は私にも理解できます。たいへん興味深い議題です。ですが、それについて今は一旦置いておきましょう」


 秀一郎の不平不満に対し、律が妙に格式ばった口調で同調するようにして割って入る。しかし、その表情は話題が興味深いと考えているような表情では決してなく、やもすると秀一郎の話を聞いていたかどうかすら怪しい。ただひたすらにメニューだけを、それも穴が開く程に鋭く見つめていた。


「ふふ、そうだね。まずは注文しちゃおうか」


 察した結芽が注文を促すと、大地は頷きメニューに目を落とす。しかし、すぐに顔を上げ、皆の様子を窺うかのように不安そうな表情を浮かべながら気まず気に口を開く。


「あの……注文する前にちょっといいですか?」


 皆がメニューに落としていた視線を上げて大地に注目する。


「その、実は俺お好み焼きの店に来たの初めてで、何も分からないんですが……みんなは結構慣れている感じなのだろうか?」


 上京前に大地が住んでいた場所は田舎であった。しかし田舎とはいえ、少し足を延ばせば外食くらい出来る。だが機会はあれど持ち合わせが無かったのだ。学生にとって外食は手痛い出費である。ましてや苦学生でバイト三昧であった大地をして況やである。受験費用や進学費用の懸念もあり余裕は無かった。たまのファーストフードが精々である。


 大地は自身の過去の懐事情を恥を忍んで告白した。すると、ここぞとばかりに俄に追従する者達が現れ出す。今まで何ともないように平静を保っていた者達が、『赤信号皆で渡れば怖くない』とばかりに、しれっと続き出したのだ。


「私も初体験です。その……一緒に外食するための友人が居なかったので」

「えへへ。実は私も作ったことは無いんだよね。お好み焼き屋さんは初めてじゃないんだよ? でも食べるの専門だったから」


 律が伏し目がちに暗い顔で言うと、結芽も照れ笑いを浮かべながら言い訳がましい告白をする。


それを受けて秀一郎はこれ見よがしに大きな溜息を吐き、ゆっくりと口を開く。


「揃いも揃って役立たず共が。特に誰かさんは、それでよく好み焼き屋を選べましたね。今まで周囲にどれだけ甘やかされてきたんですか」

「ご、ごめんね」


 先輩として良いところを見せたかった結芽は、特に小さくなって謝罪の言葉を口にしている。お好み焼きの楽しさだけに意識が割かれ、作る過程には今の今まで考えが及んでいなかったのだ。


 見かねた大地は話題を逸らそうと、そっと会話に入り込む。


「その口振りからすると駒井は経験者なのか? やっぱ初心者には難しいものか?」

「僕も過去に数回来たくらいだ。調理は別に難しくはない。そもそも頼めば店員がやってくれる。今回は僕がやるけどな」


 そもそもの話として、潔癖症気味な秀一郎は他人を信用していなかった。自分の口に入れるものを昨日今日出会ったような人物、特に結芽のような部室の管理すら碌にできない者に任せるつもりは毛頭無かった。


 しかし秀一郎の本心なぞ知る由もない結芽は、尊敬の眼差しで秀一郎を見つめる。


「すごいね。上手に焼ける人が居ると、周りのみんなも大助かりだよね」

「一人でしか来たことないですけどね」

「あ、そっか……それは、なんかごめんね?」


 部室の掃除も碌に出来ず、お好み焼きすら満足に作れない女に同情された。その上、同類相憐れむかのような慈愛に満ちた生暖かい視線を向けてくる不気味な女まで居る。自身の尊厳を傷つけられた秀一郎は苦虫を噛んだかのような表情で舌打ちをする。


 しかし、当の結芽は秀一郎の舌打ちを意に介する事なくニコリと微笑むと、再度秀一郎に声を掛ける。


「これからはこのメンバーで一緒に来られるね。また来ようね?」

「……たまになら」




「それじゃあ、これからの方針についての話し合いなんだけど……その前に秀一郎君、その……本当にごめんね?」

「駒井、すまん」

「僕は金輪際、未来永劫、二度と、このメンバーでお好み焼きは食べに来ない」

「何故ですか? せっかく和気藹々と楽しい時間を共有できているのに。駒井君は何故そのように悲しいことを言うのですか? 是非また皆で来ましょう。ね、約束ですよ?」


 頑なな態度を堅持する秀一郎に対し、心底悲しげな表情を浮かべた律が必死に引き留め宥めすかす。しかし、その手はヘラで鉄板をカツカツと打ち鳴らし、次はまだかと秀一郎に催促をし続けていた。


「うるさい、お前は僕に話しかけるな」

「なぁ佐田、もうその辺にしてやれよ」

「律ちゃん……」


 先程まで平身低頭の勢いで秀一郎に謝罪を行なっていた二人は、律に対して自制を促す。彼等に出来ることは精々それくらいであった。失敗作を量産した大地と、食器をなぎ倒し大惨事を引き起こした結芽も、迷惑レベルで言えば律と大差無かったからだ。


 しかし二人の懇願と一人の苛立ちが通じたのか、律は咀嚼を終えると口元のソースを拭いながらゆっくりと口を開く。


「……分かりました。では、のものを最後に休憩にしましょうか」


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