第4話 ハイパーつよつよ金持ち姫様
「何があったんだ?」
問うと、パン屋の店長は傲然と言った。
「この女が『この店のパンは死ぬほど不味い』と言いやがったんだ! 俺の、二〇年の努力を馬鹿にしたんだ!」
二〇年も頑張って、このクオリティだとしたら、あんた、パン屋さん向いてねぇよ。
あれだ。諦めて転職しなさい。
最近はITエンジニアが熱いらしいぜ。
この世界に、ITエンジニアという仕事があるかは知らねぇけど。
無責任なことを考えながら、少女の様子をチェック。
大柄の成人男性が、本気でキレているのだ。怖いに決まっている。さぞ怯えていることだろう。背中をさすってあげなければ。ぐへへへへ。
彼女を再び視界に収める瞬間、下卑た思考は、即座に雲散霧消した。
怯えや恐れなど、毛ほども感じさせない。自信に満ち溢れた面持ちを浮かべていたからだ。
「マズいパンをマズいと言って、何が悪いの?」
手に持ったチーズパンを食い千切り、顔を顰める少女。
彼女は無理矢理パンを口内へ押し込み、飲み込み、とうとう完食した。
意外だ。シェフ自慢のフルコースであろうと、平気で捨てそうな顔なのに。
唇に纏わりついた油分を、舌なめずりで拭う姿が色っぽい。
「このマズいパンを売り続けて、店の評判が下がり、閉店したら、困るのは貴方でしょう? それを、わざわざ教えてあげたのよ? 改善のチャンスを提供してあげたのよ? むしろ感謝すべきじゃないかしら?」
「この野郎……! もう我慢ならねぇ!」
少女が言う正論のせいで、店長の怒りが臨界点に達してしまった。
さしもの少女といえど、眼前まで危機が迫れば、無反応ではいられない。
「ま、待ちなさい! 私は、このリリりゃりあ王国、リリりゃり、リリラびゃ、リリりゃ……私は、国王の娘よ! 姫よ! そんなことして、許されると思ってるの!?」
諦めやがった!
この国、そんなに言いづらい名前なのかしら。
権威を盾にした少女だが、リリりゃりあ王国のパン屋は、全く臆さない。
「うるせぇ! 知ったことかぁ! パンの恨みを思い知れぇ!」
多分、パンが恨んでいるのは、自分を不味くしたアンタの方だと思うぜ!
パンの本意を代弁するべく、デッキブラシを引っ掴み、それを伝説の剣みたいに振りかざす。
俺の間合いへ入る直前で踏み止まった店長が、鮮やかなブラシ捌きに目を見開く。
「そ、その構えは、まさか、ルカルカ流!? あんた、ルカルカ流の流れを継ぐ剣士なのか!?」
「――ご名答」
厳かに言う俺。店長はムキになって反論する。
「は、ハッタリだ! あの流派は、先の大戦によって潰えたはず!」
「ならば、貴様の前に立つ、俺の構えは何だ?」
「……!」
店長が下唇を噛んで後ずさる。
圧倒的強者の介入より、彼の戦意は完全に失われた。あとは柔和に告げるだけ。
「ここは、俺に免じて、引き下がってくれないか?」
「……分かったよ」
こうして、無傷で窮地を切り抜けることが出来た。
活舌に難のある姫を連れて、裏通りの小路に逃げ込み、安堵の息を吐く。
「っぶねぇ! どうにか乗り切ったぜ! 流石は俺! さす俺!」
ルカルカ流? そんなフザけた名前の流派なんざ知るか! 初耳じゃボケ!
ナイトフィーバーしか思いつかんわ!
中学時代に同級生だった、剣道部部長の動きを真似しただけじゃ!
――もはや説明の必要はないと思うが、俺はこの類まれなるモノマネ能力を駆使し、どうにかこうにか日々を凌いでいるのだ。
先ほどは、剣の達人を完璧に模倣することで、敵の戦意を喪失させた。
俺は、あんな風に『何か分かんないけど凄そう』とか『何か分かんないけど強そう』という雰囲気を醸し出すのが大得意なのだ!
つまり、戦闘フリークみたいなタイプに遭遇した場合は終わる。死ぬ。
次に死んだら、今度こそ人生終了かなー。ぼんやり考えつつ、姫様に言った。
「おい、アンタ。ああいうヤバい奴もいるんだから、発言には気を付けろよ?」
彼女の反応は鈍い。まだ現実感を取り戻せていない模様。
……御礼に、おっぱい揉みしだかせてくれねぇかな?
『プリーズおっぱいモミモミオーケー?』で通じるかな?
懸命に文章を練っていると、突如、右頬に凄まじい痛みと衝撃が走った。
数秒、遅れて気付く。姫様に殴られたのだ。全力の右ストレートだった。
「ぎゃぼぉっ!」
無様に吹っ飛び、住宅の壁に背を打ち付け、醜い悲鳴を上げてしまう。
急展開に戸惑い、痛みに悶えながら、暴力女を問い詰めた。
「な、何すんだゴラァ! 親父にもぶたれたことないのに!」
彼女は、俺と同じかそれ以上のボルテージで言い返してくる。
「まずは『ありがとうございます』でしょーが!」
「何でだよ!」
心の底から出た叫びだった。本当に意味不明すぎる……。
女は意味不明な供述を続ける。
「この私の命を救うという
「そんな道理があってたまるか!」
道理は道理でも、非道の
「ざけんな! どう考えても、そっちが感謝する側だろ! そっちが何か寄越しやがれ!」
プラスアルファで、エロい御礼もあると、こちらとしては非常に助かります!
切実な要求に、傲慢な姫は鼻を鳴らした。
「貧乏人はさもしいわね~」
貧乏人じゃねぇ! 現代日本では!
低い社会的地位に見合わぬ、高いプライドを胸に秘め、敵を睨む。
その眼に恐れをなしたのか、社会的地位もプライドも高い姫が、あるものを俺に手渡した。
「はい、綺麗な石」
「俺は子供かよ!」
ていうか、そんなに綺麗でもないし。足元に落ちてた石だろ。ダルそうに拾う所、見てたぞ。
「何となくわかるだろ! 金だ! 金を寄越せ! 金! 金! 金! 金ぇぇぇぇ!」
「うっさいわねぇ。分かったわよ。いくらほしいの?」
「え? えっと……」
ふと考える。そして思い出す。
こいつ、お姫様なんだよな?
つまり、ハイパー金持ちってことだよな?
「……ご、五億円よこせぇぇぇぇぇ!」
五億円よこせ。
我ながら、なんて馬鹿な文章なんだろう。
この台詞を言った人間の中で、実際に五億円を入手できた者など、未だかつて一人もいないと断言できる。それくらい馬鹿な文章だ。
遅ればせながら訂正。
「……と、言いたい所だが、アンタの態度次第では、譲歩してやっても」
「いいわよ」
「……は?」
耳を疑った。
今、こいつ『俺に五億円を支払っても構わない』と言ったのか? 堪らず聞き返す。
「じょ、冗談だよな?」
「マジよ」
姫は平然と言い切った。
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