第9話

「アイリー! 第5便到着! 倉庫がもう一杯だよ!? どうしよう!?」

「くっ…! 私はちょっと手が離せません! スーちゃん、代わりに倉庫をどうにかしてきてください…!」

「無理。見ての通り私も作業中」

「くぅ~ッ!」


 磨きかけの球から離れ、研磨液でべとべとのアイリーンさんが渋い顔をして倉庫へと走っていく。物質操作魔法で簡易倉庫を急遽造成するつもりのようだ。

 私が慌ててウォルフメタル珠の配送スケジュールを確認すると、本日中にあと2便が到着予定だ。おそらく今回造成する倉庫でも足りず、さらに追加造成する必要があるだろう。

 心苦しいが、私は倉庫の造成をしているアイリーンさんに保管容量が厳しい状況を伝え、さらに追加で二棟の倉庫造成をアドバイスした。


「ぐすん…」


 涙目で魔法を操り始めるアイリーンさん。


 さて、状況としては激闘の真っ只中だった。

 アイリーンさんが提案したボールジョイント工法によるウォルフメタルゴーレム制作の為、その計画の肝となるウォルフメタル球が次々と支給されてきている。

 回転床屋は、これら全ての珠に手作業による仕上げ研磨をかけ、設計寸法にサイズを収める必要がある。それも、1つや2つといった数ではない。ゴーレム製造に必要な422個のウォルフラム球を完成させなくてはならないのだ。

 そして、零細迷宮工房である回転床屋には人員がいない。

 どうにか旧知のダンジョントラップ業者のスーさんを確保し、アイリーンさん、ヨヨさん、そして記者仕事の合間に臨時工員として不定期に雇われる私の4人体制で、ウォルフメタル球の研磨作業を行うこととなった。

 何とか製造体制を整えたものの、全体納期まで残り一ヶ月。全速力で制作してどうにか間に合うかどうか、という極めて厳しいスケジュールであった。


「まったく、アイリーンは700年経っても変わってない。変に見栄を張るからこうなる」


 ぶつぶつと、ウォルフメタル球を磨いているスーさんが言った。

 エルダーグリーンスライムのスーさんはフリーのダンジョントラップ業者で、主にトラップの整備や保守点検を行う業務を行っている。アイリーンさんとは旧知で、アイリーンさんが製作したトラップのほとんどは、このスーさんに保守を依頼しているらしかった。


「スーさんはアイリーンさんとのお付き合いは長いのでしょうか?」

「何? それ、インタビュー?」

「ええ、まぁ」

「仕事中なんだけど?」


 緑色の半透明な人型となり、両手を器用に使って球体を磨いているスーさんは、私に半眼を向けていう。


「………」


 しばしの沈黙の後、ため息を吐いて、スーさんは根負けした。


「まぁいいよ。答えてあげる。アイリーンとは、もう800年近い付き合いだ」

「かなり長いお付き合いですね…」

「アイリーンがぺーぺーのヴァンパイアだった頃からだからね」

「どのような馴れ初めだったんでしょうか?」

「あいつが勝手に私の担当エリアに落とし穴を掘り始めたから喧嘩になったんだ」

「ああ…なるほど…」


 アイリーンさんがダンジョン管理人だった時代からのお付き合い、ということのようだった。と、なればスーさんはかなりのベテランということにもなる。


「今は、罠を手掛けていらっしゃらないんですか?」

「トラップ敷設からは手を引いたんだ。種族柄、細かい仕事に向いてないから」


 そういうスーさんだったが、珠を磨く動きはかなり精緻だ。細かい仕事に向いてない、なんて言う者の動きではない。


「それに、どんどん仕事は減っていって、知り合い同士で少ない仕事を取り合うことになっちゃったからね」


 スーさんが後から小さく言うその理由こそが、彼女がトラップ業界から手を引いた真の理由なのだろう。


「率直にお聞きしますが、同業者としてアイリーンさんのことをどう思っていらっしゃいますか? 」

「アホだね、アホ。こんなバカみたいな仕事を受けて、窒息しかけた魚みたいになってるんだから。手作業でこんなの全部研磨して、サイズを微調整しながらゴーレムのバランス設計をするだなんて、アホの極みだよ」

「そうですね…」


 確かに。私も無謀だと思った。


「でも、もうあいつくらいだよ。ダンジョンの罠を真面目に作るのは」

「と、いうと…?」


 私が尋ねると、スーさんは虚空を見上げた。


「昔は、ダンジョンの罠といえば、それ自体がダンジョンを特色づけるものだった。昔のダンジョンなんて見かけは全部同じだったんだ。スライムの私からしたら、線と面で構成された構造物ってだけだった。でも、そこをダンジョン足らしめたのは、罠と宝があったからだよ」


 ダンジョンに夢と希望を見出し踏み込む者と、それを阻む罠。そして、最奥の宝。

 太古の昔、ダンジョンの構成はそれだけだったのだという。

 落とし穴がたくさんある危険な部屋。

 不意のシュートで誰もが一度は絶望を味わう階層。

 魔法封じとダークゾーンを組み合わせた悪夢のような回廊。

 敢えてテレポートすることでしか入れない領域。


「けど今はそうじゃない。溶岩が流れてるとか、水が流れてるとか、風光明媚なポイントがあるとか、なにやらハイカラな名前がついてたりとかさ。色々だろ? たとえそこに罠がなくても、ダンジョンはダンジョン足るようになってしまった」


 そう、ダンジョンは、かつてはただ暗闇と奥行きだけを感じる場所であったという。しかし、いつしかビジュアルが重要視されるようになったのだ。むしろ、その”異界感”こそが、ダンジョンがダンジョンである理由となってしまった。


「けどね、そんな世の中になっても、あいつだけは、まだ夢見てるんだ。また回転床がダンジョンで使われるようになるって。やがてその罠が、その階層の名になりうる世界が戻ってくるって」

「………」

「だから、私は少しだけ期待してるんだ」


 スーさんは窓の方を向く。

 窓の外では、研磨液で長い髪まで汚しながら、配送業者さんに少し待ってほしいと頭を下げて頼みこみ、慌てて倉庫を魔法で組み立てているアイリーンさんの姿があった。


「あいつが――…またあの時代を作ってくれるんじゃないかって」

「………」

「アンタも、その口だろ?」


 私の中を見透かすように、スーさんの頭ではなく、彼女の胸部で光る朱色のコアが、私を”見た”。


「そうですね」


 私は頷いた。


「なら、アンタもアホの仲間だ。さ、話は終わり。珠磨きに戻るよ」


 スーさんはそう言って、珠磨きに戻った。

 私も作業の手伝いに戻る。

 そうしていると、半泣きのアイリーンさんが戻ってきて、珠磨き作業に合流した。

 この調子で、本日はあと60個、ウォルフメタル球を磨かなくてはならなかった。

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