第3話
インタビューを中断し、私はアイリーンさんと一緒に、工房の外へ様子を見に出てみる。
するとそこにはグレータードラゴンが豪快に着地し、勢いのまま地面を抉って膝まで土に刺さっている姿が確認できた。
「おーい! アイリーン! わらわじゃよー!」
「はぁ…」
グレータードラゴンの上から、若いゴブリンの声がした。アイリーンさんはため息で返事をする。
私が声の主を探していると、やがてグレータードラゴンの頭の上に小柄な影が立った。
「じゃじゃーん! ダークゴブリンプリンセス、マイム参・上! なのじゃー!」
グレータードラゴンの上でポーズを決めているのは、褐色の肌と整った顔立ちのメスのゴブリンだった。何やら豪華なマントと腰布を着ており、それなりに地位の高い士族の姫であるように見えた。
「む!? 今日は他に客がいたのか!?」
ダークゴブリンの姫はそう驚いて、ドラゴンの頭の上からぴょんっと降りてくる。
「お初にお目にかかる! わらわは、魔王領北部の地下都市、ドドンガド市を束ねるゴブリン士族が姫、マイムじゃ! 客人が居られるとは思わず、お騒がせして大変申し訳ない!」
「これは、ご丁寧にどうも」
話してみると、初対面の印象よりもずっと礼儀正しく、溌剌としたお嬢さんだった。
最近のゴブリンの若者はといえば、自分の洞穴に閉じ籠って本を読んでばかりで、外に出て運動をしないせいで太り、外見のコンプレックスから恋愛にも奥手で、少子化が危ぶまれているという有り様だと聞いていた。
「普段、アイリーンの店に客などいないものでな…。うっかり騒ぎ立ててしまった…。御客人、アイリーンと商談中であったなら、わらわの用は日を改めよう」
「そうですかそれなら――」
「いえ、大丈夫です。そちらの用件を先にどうぞ」
アイリーンさんが何か言いかけたが、士族の姫ともなれば上客のはず。木っ端フリーライターのインタビューなどよりも、よほど利益になるはずだ。折角の仕事のチャンスを記者の私が挫くことなどあってはならない。
「なんと! 大変助かる! アイリーンに火急で仕事を頼みたかったのだ。御客人、感謝する!」
「いえいえ」
「………」
火急の仕事なら尚更だ。しかし、何故か頭を抱えているアイリーンさん。私が首を傾げていると、マイム嬢が「では早速」と言って、マントの内ポケットから丸めた羊皮紙を取り出した。
「アイリーン! これを見て欲しい!」
「あー…えー…はい…」
マイム嬢が広げた羊皮紙を、私も少しだけ横から覗かせて貰う。
そこには、クレヨンで描かれた前衛的な芸術があった。
「……」
「……」
「どうじゃ!? わらわ渾身の作じゃ! あまりの素晴らしさに声も出まい! でな! でな!? こことここ、それと、えーと、ここ! ここをな、こう、ぐーるぐーる…って、このくらいの速さでな? 何かいい感じに回るようにして欲しいのじゃ!」
「な、なるほど…」
アイリーンさんの笑顔が引き吊っていた。
「えーと、えー…それで、その、その建築物の設計仕様書は…?」
「しよう…?」
「えっと……せ、設計図は、ございますか…?」
「これじゃよ?」
と、マイム嬢は前衛芸術を再び示す。
「……そ、そうでしたか…。失礼いたしました…。で、では、工期の方は…?」
「うん! いま、じいやが頑張って作ってるぞ!」
「………」
ついに、アイリーンさんは絞り出す言葉も尽きたらしく、引き吊った笑顔のまま何も言わなくなった。
「じいやが大体作ったら、迎えを寄越すから、ぐるぐるさせて欲しいのじゃ!」
「…………………………」
何かとても、とても言いたいことがあるが、それを言ってしまったならどうなるかわからない為に、どうしてもその一歩を踏み出すことができず、主義を殺し、感情を殺し、思考を殺し、アイリーンさんは、
「………承りました」
そう言った。
「よかったー! では、じいやが作ったら迎えに来るからな! 準備を進めておいて欲しいのじゃ!」
「準備…? あ、いえ、はい。そうですね…。準備しておきます…」
「うむうむ! では、御客人。こちらの用は終わりだ! 助かったぞ! いつじいやがわらわの至高の作品を作り上げてしまうか、わからなかったのでな!」
「そ、そうですね…。よかったです…」
急に話をこちらに振られ、私もドギマギしながらマイム嬢に応えた。
「それでは失礼する!」
マイム嬢は助走などせず、その場で膝を折って跳ねると、恐ろしく高く跳ね上がり、器用に乗ってきたグレータードラゴンの頭の上にシュタッと着地する。
マイムの命令を受け、グレータードラゴンはのっそりと立ち上がると、大きな翼を広げて、悠然と羽ばたいていった。
「………」
「………」
残された私達は、空へと消えていく巨大なドラゴンの後ろ姿を見送るだけだった。
「えーと、その…すいません……」
やがて、私が口にしたのは謝罪だった。
見ての通りではあるが―――…アイリーンさんは、あまりこの仕事を請けたくはなかったようだ。それものそのはずで、依頼された設計図は子供の落書きであるし、そこから何の完成形も想像できないし、工期の予定は一切が未定で、おまけに依頼された機構を取り付けられるかどうかも不明なのだ。
業界素人である記者の口からこのような事を言ってしまうのは大変憚れるのだが、はっきり言ってこんなものは仕事ですらない。子供の遊びだ。
しかし、相手はゴブリンの有力士族の姫。粗相をすれば、顧客を失うことになる。
「いえ、いいんです…」
アイリーンさんの声は震えていて、深い嘆きが含まれていた。
「この仕事の悩み―――それは、それはですね…ふふ」
自嘲するアイリーンさんは、私に振り向いた。
「回転床の依頼なんて、もう来ないんです」
「え!?」
「回転床の需要なんて、もう無いんですよ。ダンジョン全盛の時代からもう半世紀。冒険者達は、ウェルダネスだのオープンワールドだのと言って、ダンジョンの外へ飛び出していってしまいましたから…」
そう、そうなのだ。
いまや冒険者達の冒険の舞台は、今やダンジョンのみに留まらない。
広大な草原、幽玄な山々、無限に続く海。
あるいは、深く広がる地底世界。空の果てにあるという浮島。
ある者は、天の果てすら冒険の舞台にするのだという。
もう、薄暗くカビ臭いダンジョンなど、時代遅れなのだった。
無論、ダンジョンの需要が完全に無いわけではない。
発行部数が減少しつつも、月間ダンジョンマスターは売れ続けているし、秘宝の眠る遺跡や、財宝が隠された洞窟は、いつの時代でも冒険者の魂を揺さぶるのだ。
しかし、ダンジョンだけが舞台ではなくなった。
世界はとても、とても、広くなった。
暗く、見辛く、陰気で、自由度のない、閉じた世界は、多くの者にとって退屈となってしまった。
故に――――…ダンジョントラップ業界は、斜陽産業化の一途を辿っている。
オープンワールドに、太陽の下で無限に広がる大地に、回転床の居場所などないのだった。
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