第10話 ゼロベース思考
2017年11月12日
諌早湾の干拓事業見直しに関する議論がマスコミを賑わしている。
見直し派の論点は、環境破壊と事業効果への疑問という明快なものであるが、「今頃になって、何故?」という疑問は推進派のみならずとも抱く。
一方、推進派の反駁には全く説得力がなく、「今ここで中止したら、これまでの事業費が無駄になる」の一点張りである。
この思考過程には、事業目的を変えてでも継続しなければ、国からの巨額な補助金の返済を迫られるという地方自治体の論理も働いている。
しかし、国からの補助金は元より、その返済に地方自治体が充てる金にしても、所詮は国民の税金であることに違いはない。
数年前、青島氏が東京都知事に当選した際、それまで進行中の「都市博」計画を見直ししようという機運が盛り上がった。
この時の推進派の議論も、その必要性を説くというよりも、「中止した場合の費用の方が高い」という試算に基づくものであった。
欧米のマスコミまで巻き込む賛否両論のなか、青島知事の「都民との約束を守る」の一言で中止が決定した。
その結果、実際に中止に要した費用は試算を大幅に下回っていたが、推進派からの釈明はなかったように記憶する。
新しく事業を興すときには、明確な目的の元に綿密な計画を練るのが当然である。
しかし、いったん事業が開始されてしまうと、事業見直しの問題が出てきても、これまで進められた事業(特に費用)を無駄にしたくないという考えが強く残る。そうなると、目先の算術や人事に関する思惑だけが先行することになる。
ここで有用なのが、ゼロ・ベース思考と呼ばれるものであり、その事業が現時点でも新規に必要かという根本的な議論である。
国立病院療養所が第二の国鉄とか失業対策事業とまで陰口をたたかれるのも、国立病院という体系の存続が前提にあり、トカゲのしっぽ切りのような統廃合でお茶を濁そうとしているからであろう。
この国立病院療養所の統廃合問題をきっかけにして、21世紀の日本の国営医療をゼロ・ベース思考で考えてみよう。
1)そもそも、国が医療施設を直轄で運用する必要性があるかどうか?
2)あるとすれば、どういう種類の医療施設が必要か?
3)そのためには、具体的に何処へどれだけの施設が必要か?
その結論が出たうえで初めて、既存の施設や人員とのすり合わせをしてみる。
たとえば、国立の医療施設は必要ないという結論であれば、現存の全ての国立病院療養所や国立大学付属病院が国の手から離れることになる。
その際、厚生省と文部省の垣根を取り外さないと、日本全体としての医療体系は刷新できない。
仮に、ナショナルセンターが必要という結論であれば、その具体的なネットワーク構想を立て、次に既存の施設のうち流用できるもの以外は全て国立から外す。
その際、人事に関してもゼロ・ベース思考が必要で、ナショナルセンターのネットワークに沿った人材を新規採用することが重要なのである。
撤退戦略とは、将来に進むため過去を切り捨てることを意味している。
この基本原則は、古いものを排除して新しいものを始めるということであり、痛みや悲しみを伴うことも多い。
具体的な撤退戦略としては、国鉄が解体したときの清算事業団のような受け皿が必要になるかもしれない。
いずれにしても、行動の決断が出来ないことは、事業の失敗を招く大きな原因になり、その負債を更に増大させる結果に繋がる。
「全国的に暑い夜になるでしょう」という天気予報を聞きながら・・・
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