第8話 沈黙は金?

2017年11月12日


来年の話をすると鬼は笑うそうであるが、思い切って一昨年のことを思い出してみたい。

1995年10月25日、全国から医長34名が国立東京第二病院脇の研修所に集められ、第一回目の管理者(医長)研修会が行われた。

研修の目的は3つあり、施設のリーダーを目指すこと、国立以外の病院との相違を理解すること、国立病院のネットワーク化を推進することであった。

研修テーマは広範囲なため消化不良気味ではあったが、弘前病院での沈滞ムードに嫌気がさしていた私にとって目から鱗が落ちる思いであった。

特に、「医長に求められる病院管理」という講義は素晴らしく、長谷川医療政策研究部長の話術にも魅せられてしまった。


三日間ですっかり洗脳されて帰った私は、病院の管理会議などでも積極的に発言しようと、配布資料に予め目を通しておくことにした。

すると退屈だけだった会議にも興味がわき、中学時代に聞かされた「予習をしてくれば授業が面白くなる」という担任の言葉に納得もした。

しかし、自分が発言するようになると、まわりの静けさが妙に気になり始めた。

会議とは議論を通してより良い案を決定することであり、上意下達の連絡だけなら時間を割いて招集する意味は少ない。

会議で発言しない理由として、上位の人と異なった意見の持ち主は異端視されがちなため、自分の考えを公の場では発言しなくなるということが考えられる。

もうひとつの理由として、せっかく意見を出しても検討されたり実現されることがなかったため、だんだんに発言する気力がなくなるということもあるだろう。

いずれにしても、会議の後の雑談で素晴らしいアイデアを出す人を見るにつけ、こういう状況は本人にとっても病院にとっても大きな損失だと思う。


多くの職員の貴重な時間を割いて開催する会議を、ただ回数を消化するためだけの集まりにしないため、会議の主催者側に次の提言をしたい。

1)会議の進行を「報告事項」と「審議事項」に分け、前段は事前配布資料などを充実させて簡略化し、会議の主眼を「審議事項」に置く。

2)十分な審議をしたら必ず結論を出すように努力し、先送りになった場合でも次回までに何を検討しておくかを明確にして継続審議を約束する。

3)会議の結論として満場一致は望ましいが、それがかなわない場合は結論を安易に先送りせず、審議が尽くされたと判断したら民主主義の原則である多数決に移るべきである。

4)会議での発言はどんなものでも尊重されるべきであり、なおかつ会議終了後に討議事項以外のいかなる点でも発言者が影響を受けないよう配慮する。

5)会議への参加者数を適正化して顔ぶれも変化させることにより、時間的な負担をみんなで分担しあうとともに多くのひとの考え方を集約することができる。


これが完璧に実行されれば、もっと多くの自由な発言が飛び交い会議の意義も高まり、さらに病院全体の活性化にも寄与するものと期待される。

しかし、会議の運営に問題があるとすれば、なにも弘前病院に限ったことではないようである。

先の管理者(医長)研修会の際、一緒に昼御飯を食べながらそれぞれの施設の問題など話し合ったが、上意下達に終始する会議への不満が多かった。

せめて弘前病院だけでも、会議が面白くなれば小人にとって望外の喜びである。


妄言多罪


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