第6話 「愛社」精神

2017年11月12日


管理者(医長)講習会について先月号で紹介したが、その時の講師の多くが「我が社」という言い回しをしていた。

本当は「我が省」と言っているのかもしれないが、どうしても私には「我が社」と聞こえるのであった。

この場合の我が社というのは厚生省のことであるが、ばりばりの官僚の口から出る言葉が奇妙な響きで耳に残ったことを思い出す。

単に役所というマイナスイメージの言葉を避けるためかとも思ったが、官僚が「我が社」を口にする理由は未だに分からない。

役所を新明解(三省堂)で調べると、「国・地方公共団体の行政事務を取り扱うところ」のあとに、お役所仕事とは「形式だけを無闇に喧しく言う上に、非能率的の典型とも思われる仕事ぶり」という説明があった。

その弊害の原因として、セクショナリズム(縄張り意識)や前例踏襲主義が考えられる。

そこで、「我が社はどうであろうか?」と、国立弘前病院に眼を向けてみよう。


そもそも病院というのは、非常に多くの職種から構成されるため、セクショナリズムに陥りやすい。

その結果、横の連絡が取れにくいばかりでなく、自分たちの縄張りに立てこもって既得権を主張しがちになる。

この上さらに、お役所の得意技である前例踏襲主義や官僚主義の弊害が加わるため、多くの国立病院では同じような問題を抱えているのが現状であろう。

本省や地方局の強い指導のもとで運営されている現状では、それぞれの国立医療施設が独自の運営方針を打ち出すのは容易ではない。

しかし、本社から支社へ全国一律に下される指令を忠実に守っているだけでは、「我らの弘前支社」が他の支社に追いつき追い越すことは到底できない。

その解決策として、愛社精神という動機付けのもとにセクショナリズムの打破を強調したい。


その具体的な成功例として、手前味噌になるが、輸血管理室の設置までの経過を紹介したい。

従来は、研究検査科で輸血検査を行い、薬剤科で血液製剤を保管してきた。

しかし、安全な輸血管理のためには業務の一本化が必要であるという輸血療法委員会の判断に、セクショナリズムを越えた研究検査科の協力が実り輸血管理室が設置されたのである。

当初は臨床検査技師の業務量が増加するという懸念もあったが、輸血業務が一本化してベッドサイドとの連絡が密になったことにより、逆に交差試験件数のみならず輸血件数まで減少した。

この結果として、適正な輸血により患者の安全がはかられたことに加えて、血液製剤の返品が減少したことによる経営改善効果も生まれた。

最近では輸血用フィルターセットまで輸血管理室が一括発注しており、さらに輸血業務の一本化が推進されている。

一方の薬剤科も、血液製剤管理業務から開放されたことにより、病棟における服薬指導など新たな業務展開が可能となった。

結局「我が社」としては、輸血管理室を設置したことにより、経営改善という観点からも二重の効果が生まれたことになる。


何かを新しく始めたり改革する際の障害には、セクショナリズムのほかに前例踏襲主義が上げられる。

すなわち、同じ環境に長い間いると問題点があっても気付きにくくなり、たとえ気付いても「前例がない」という一言で摩擦を防ごうとする。

もちろん、これらの問題を解決するため各種会議が頻繁に行われるが、同じメンバーで会議を繰り返していると前例踏襲主義に陥りやすい。

特に毎週行われているような定例会議の場合など、それらに費やされた時間と見合うだけの成果を収めるためには相当の努力が必要であろう。


またしても、妄言多罪

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