第2話 内科医改め児童指導員見習い

 1999年2月16日

「国立八戸病院内科医師に併任する。第5病棟の担当を命ずる」と宣言され、驚く間もなく内科医にされた。


 重心病棟での仕事始めは、2~3枚の処方箋を看護婦さんの言うとおりに書いたこと。弘前病院の産婦人科医には夢のような生活だ。

 しかし、3日もすると拘禁状態になるから、人間とは我侭な生き物である。津軽藩から南部藩へ差し出された人質の心境で、開き直って票欠解除要員なりの活きる道を探した。


 内科医として処方箋を書いたあと、人手不足の職場でお手伝いしようと考えた。きっかけは拘禁状態から逃れるためであったが、幾つになっても子供のような患者さんたちに情が移ったのかもしれない。

「内科医改め児童指導員見習い」を自ら宣言し、白衣もTシャツとジャージに変えた。

 車椅子を押して買い物に出かけるのは、患者さんのみならず指導員見習いにとっても楽しみなひととき。店の中を廻りながら患者さんの反応を見て欲しいものを選ぶのだが、なかなか個性があって面白いし難しいところでもある。

 病棟前の草原を芝刈り機で往復したり、ジャガイモ畑の草取りをしたりと、それなりに日中は結構忙しい。

 ところが夜になると流石に寂しく、開設されたばかりのHOSPnetだけが心の慰め。


 1997年5月から3ヶ月間の約束だったが、無理に行かされたうえ家賃まで払うのも癪なので、意地を張って当直室へ泊まることにした。便利なことに、HOSPnetのサーバーが向かいの図書室へ置かれていたので、自前のマックをおいて書斎として利用した。

 当直業務といっても特別なことが起こる訳もなく、17時に検食して20時に当直婦長さんのお供で病棟巡回するだけの毎晩である。書庫に積まれた雑多な本を斜めに読みながら、hospnet newsを使ってのチャットで夜を過ごす。

 勝手に〈八戸療養所HOSPnet同好会〉を作ったところ、コメディカルスタッフや仙台からパートで来ている医師など参加してくれた。


 そのうち、5病棟の患者さんのなかにワープロを使える人もいることが判ったので、何とか彼らにインターネットを体験させたいという話が持ち上がった。

 Mさんはおしゃれな30代の女性で、キムタクの大ファンである。当直の夜に小野寺指導員と二人がかりで、彼女を同好会の部室まで運びあげた。SMAP関連のホーム頁を見て大満足の様子。階段を下ろすのもまた一苦労で、5病棟にもインターネットを接続して欲しいと痛感した。自分で動けない彼らにとって、インターネットは必須アイテムであろう。


 ちょうどその頃、HOSPnetの端末が全国の施設長室に設置されることになり、それに伴う管理棟のLAN工事が行われることになった。その際、5病棟まで延長して貰えるよう、工事の下見に来た業者にケーブル工事の見積もりを頼んだ。

「数十万円はかかる」との返事に指導員見習いの置きみやげは吹っ飛んだ。


 何とか3ヶ月後には弘前へ戻ったものの、天気のいい日など思わず外の芝生に目が行ったものである。


 私がHOSPnetを利用し続けてきた裏には、単にインターネットを無料で使えるという便利さだけでなく、巨大なイントラネットを支える仲間との交流があった。

 もし、HOSPnetに巡り会わなければ、とうの昔に国立病院へも見切りを付けて、またどこかの大学で文部教官をしていたかもしれない。

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