10.

 転校して最初の金曜日──


 時季外れの転校生ということもあって、他のクラスからも多少なりとも注目を集めていた久遠だったが、クラスメイトたちとの距離はあまり縮まってはいなかった。弥が言っていたように、向こうから声をかけてくることも少なくなってきた。


「よう、御山」

 理科室から自分のクラスに戻るため一人廊下を歩いていると、担任である千晶に呼び止められた。突然のことで、久遠は思わず身体を強張らせる。

「学校には慣れたか?」

 いつものように気怠げな態度で話しかけてくる。久遠は襟足を撫でながら、ぼちぼちだと答える。クラスに馴染んでいないことに千晶は気づいているのだろう。普段から興味の薄そうな態度だが、生徒たちの様子を伺う目は弥の視線を彷彿とさせた。だから、わざわざこうして声をかけてきたのだろう。


「確か、妹さんと二人暮らしだったよな。一度くらい家庭訪問したほうがいいか?」

「えーっと、どうなんでしょう?」

 生徒に直接訊くことなのだろうか。久遠は苦笑いを浮かべる。

 すると、千晶がにやりと笑みを浮かべるのが目に入った。どうやら、そういう冗談のようだったらしい。


「まあ、俺がわざわざ見に行かなくても大丈夫だろ。神秘局の世話になってるわけだし」

「そうっすね。こっちも生活かかってるんで、滅多なことはするつもりないし」

「そうかそうか」

 そう答えると、千晶は笑いながら久遠の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「ところで、雨辻にこき使われてないかい?」

 思わぬ名前が出てきて、久遠は目を丸くする。

「え、知り合いなんですか?」

「知り合いも何も、あいつはここの卒業生で、俺の元教え子だぞ」

 聞いてなかったのか、と彼も意外そうに眉を上げた。


 この高校に編入を決めたのは弥だった。新宿のど真ん中にあるにも関わらず、新宿御苑が近いこともあり、あたりには自然が多い。交通の便もよく、神秘局の寮からも通いやすい。さらに弥が住んでいる神楽坂にも足を運びやすかった。だから単純に利便性を重視しているのかと思っていたが、千晶の言葉で、なるほどと久遠は納得した。


「まあ、魔術のことはよく判らないけどな。話くらいは聞いてやれるから、いつでも声をかけてこい」

「……ありがとうございます」

 ポン、と鼓舞するように背中を叩かれる。

 大した会話をしたわけではないが、久遠はなんだか心強さを感じた。事情を知ってもらっているというのもあるが、飾らない態度に身構える必要がないからなのだろう。そうやって人の警戒心を解くのが、千晶は上手いのかもしれない。

 久遠は乱れた髪を撫でつけながら教室に戻った。




 放課後、久遠は神秘局に向かった。

 道枝から話を聞いて少し経つが、捜査は進展していない。弥は取り寄せた当時の事件資料を読み込んだり、新たに情報を集めたりしているようだったが、あの日以来何も言ってこなかった。呪物のほうも、もうじき解呪ができるだろうと担当している魔術師の報告があったが、それ以外、何も聞かされていなかった。こちらから訊ねることもできたのだが、研修生の身である自分から聞くのも気が引けたので、進展があるまでは様子を伺うことにしていた。


 神秘局のロビーに入ると、受付の前に人だかりができていた。ざわざわと何やら騒がしい。

 広々とした一階ロビーには来客の対応をする通常の受付の他に、神秘的事象に関する相談を受け付ける専用の窓口がある。この場所でトラブルが起こるのは珍しいことではなかった。一般の人からの神秘局への依頼は意外と多いのである。そのほとんどが失せ物探しだった。人であったり物であったりと、その対象は様々であるが、どれも警察に訴えても思うように動いてもらえなかったものがほとんどであった。神秘局はそういった人たちの駆け込み先だった。


 しかし、神秘局も片っ端から依頼を受けるわけにはいかなかった。魔術を使えば、大抵の失せ物探しは造作もない。けれども、それができる人材は限られていた。結果的に、急を要する案件や魔術を用いるだけの理由がある案件を優先的に受け付けることになる。それに対して不満を持つ者の苦情を吐いたり、暴れ出したりするなんてことも少なくはなかった。


 当然のことながら、そういった人たちの対処もしなければならない神秘局の受付や広報課は大変だと、久遠は常々思っていた。

 今日もそういう類の騒ぎだと思った。だが、ふいに背筋がゾッとした。その感覚には覚えがあったのである。


 病院のベッドの上で苦しんだ数日間、この身体を蝕み続けたモノ──


 久遠は早鐘を打つ鼓動に急かされるように、騒ぎの中心に駆け寄った。そこには、床に蹲る女性と、それに寄り添う受付係がいた。

「──どうしたんですか?」

 久遠は恐る恐る声をかけた。受付係の女性も上京が理解できていないようで、おろおろしながら顔を上げる。

「この方が駆け込んできたと思ったらいきなり倒れて、子どもの様子もおかしいんです……!」


 よく見ると、蹲る女性の腕の中には五、六歳くらいの男の子が抱えられていた。彼らはおそらく患者着のようなものを着ていて、見るからに衰弱している。呼吸が荒く、時折えづきながら、痛いよ痛いよと譫言のような声をこぼしている。


 これは──


 弥次馬の数は増えていく。その中には他の局員の姿もあったが、専門の人ではないようで何が起きているのか判らないといった様子だった。

「と、当麻さんを連れてきてください。たぶん、オレがかかっていた呪いと同じだと思います」

 そう伝えると、ようやく状況を察した局員は慌てて呪術師を呼びに行った。

 久遠は母子おやこの様子を見るためにしゃがみ込む。子どもだけでなく、母親も患者着を身に着けていた。そこに上着を羽織っているだけの寒々しい恰好だった。そして、酷く辛そうな表情をしている。


 こっちもか、と久遠は察する。二人からは死の気配が発せられていた。

 呪いに侵されていたときは判らなかったが、自分からもきっとこんな気配が漂っていたのかと久遠は思った。


「……たすけて」


 消え入りそうな声だった。


「この子を、たすけて……」


 母親が縋るように手を伸ばしてくる。

 その瞬間、久遠の思考が止まる。

 割れたフロントガラス。拉げた車体。伸ばされた右手。


 ──助けられなかった。


 目の前には、苦しむ子どもと、我が子の救いを求める母親。


 ──オレに、一体何ができる?


 不安と恐れがぐるぐると久遠の身体の中を駆け巡り、胸の奥がぎゅっと絞めつけられるかのようで苦しくなる。


「だれか……」


 誰か──


 たすけて──

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