3.

 日本の政治や行政の中心地である霞ヶ関に、日本魔術の中枢である魔術機関〈神秘局〉も拠点を置いていた。

 魔術機関とは魔術の研究や技術の普及、魔術師の取り締まりや保護、育成など神秘に関わる事柄を受け持つ独立機関である。


 古来、日本には陰陽道や修験道、神道といった独自の魔術系統や、中国から伝来した儒教や仏教由来の呪術なども存在している。それらは様々な形で日本人の生活に根付いているのだが、その事実はあまり知られていない。

 一方で、近年では魔術は若い世代や企業の新規事業として受け入れられつつあった。そんな前向きな現状と比例するように、魔術関連の事故やトラブルも増加傾向にあった。そういった事態に対処するのも神秘局の仕事であり、先月の死体損壊遺棄事件についても捜査本部の捜査に協力をしていた。




 転校初日の放課後、久遠は神秘局に足を運んでいた。

 久遠は受付係に会釈をしながらロビーを通り過ぎ、局員専用のゲートの先にあるエレベーターホールに向かう。目的の階でエレベーターを降りると、すぐ目の前に〈特別捜査課〉のオフィスがあった。

 初めて部署の名前を聞いたとき、久遠は小さい頃に夕方のテレビの再放送で観た刑事ドラマに出てきた簡素で堅苦しい空間をイメージした。だが、実際にはガラス製の扉や大きな窓から外光が入り込んでくる開放的な造りのオフィスで、大いに拍子抜けしたものである。


 扉を押し開けると、入ってすぐそばにある給湯室から生姜の効いた紅茶の香りがした。

「やあ、久遠。いらっしゃい」

 雨辻弥が声をかけてくる。マグカップを片手に給湯室から出てくるところだった。羽織っているロングパーカーの裾が翻る。

 はっきりとした目鼻立ちだが年齢のわりに幼い印象の女性で、少年のように溌溂とした笑みを浮かべている。けれども眼鏡越しに覗く大きな瞳からは、意思の強さと凛々しさが感じられた。癖のある黒髪の毛先がぴょんと跳ねている。


「どうも」

「永久はそこにいるよ」

 弥が指差す先には、今は誰も使っていないというデスクでタブレット端末を操作している妹の御山永久がいた。


「……おかえり」

 彼女は顔を上げて、控えめに呟いた。

 久遠と永久の母親はハーフだった。そのため、永久は母親譲りの色素の薄い髪と瞳を持っており、顔立ちも日本人離れしていた。贔屓目に見ても美少女だと久遠は思っている。


 ただいま、と言いながら隣の席に腰掛ける。何をしているのかとタブレットを覗き見ると、そこにはアルファベットや記号、数字などが組み合わさった文字列が並んでいた。

「えーっと、これは何をしてるんだ?」

 久遠は理解ができなかった。

「いやー、兄妹揃って才能豊かだねぇ。情報分析課のメンバーが永久の組んだプログラムを見て、舌巻いてたよ」

 おかげで検索処理能力がアップしたそうだよ、と弥は両手でマグカップを抱えながら愉しそうだった。


 弥の言葉を聞いて、永久は椅子の上で膝を抱えて小さな身体を縮こませる。さながら兎やハムスターといった小動物のようだ。顔を膝に隠すようにしているが、どうやら照れているらしい。タブレットに映し出された文字列が何を表しているのかさっぱり判らない久遠だが、普段感情を表に出さない妹が嬉しそうにしている姿に思わず顔が綻んだ。


「それで、学校はどうだった?」

 紅茶を啜りながら、弥は訊いた。

「特に問題はないです」

 他に言葉が見つからず、つい素っ気なくなる。

「えー、何かないのかい?」

「なんかって、何ですか」

「例えば、かわいい子がいたとか」

 弥は身を乗り出しながら、まるで同い年の男子高校生のようなことを訊いてくる。


「そういうの、あんまり気にならないっていうか」

「じゃあ、面白そうなやつとかは?」

「……さぁ?」

 久遠は首を傾げた。

 なんだよ、と弥はつまらなそうに背もたれに寄り掛かる。一体何を期待していたのだろうかと久遠は頬を掻く。


「何か興味をそそられることはなかったのかい」

「そんなこと言われても……」

「言ったはずだよ。出会いは経験と選択にとって必要不可欠なものだって。本質っていうのは、そういうものの積み重ねなんだ」

「それは判ってますけど……」


 今まで極力避けていたことを急にやれと言われても、そう上手くは行かないもので。ふいに、教壇に立って名前以外何も言えなかったことを思い出して、久遠は俯いて襟足を撫でた。

「転校生だからって、ちやほやされるのは今のうちだぞ」

「別にちやほやなんて」

「永久もそうだけど、神秘局ここでは上手くやってるじゃないか」

「それは、皆さん理解があるから」


 魔術機関といっても、神秘局にいるのは魔術師ばかりではない。むしろ魔術師は片手の指で足りる程度の人数しか所属していない。大半は知識や理解のある人たちばかりで、あとは魔術学者や特異な能力を持っている人たちで構成されている。

「なら、大丈夫だ。君の人見知りは人を視る目があるからこそ。だから、ちゃんと観察して見極めれば、友達なんてすぐにできるさ」

 男勝りな口調で、弥は眼鏡越しに大きな目を細めて笑った。

 本当に視る目がある人に言われてもなぁ、と久遠は唇を噛んだ。弥は時折うがった見方をする。まるで自分の知らない胸の裡までも見透かされているような──


「そういえば、今日も人がいませんね」

「うん。魔術が使える人以外は、みんな広報課の手伝いに駆り出されていてね。ボクはいざというときの留守番さ」

「また講演会ですか?」

「そう。あの事件以来、問い合わせが多くて」

 広報課は魔術の正しい認知を広めるための講演を開催したり、関心を持ってもらうためのイベントを運営したりと、神秘局の中でも一般の人たちにオープンな活動をしている部署である。


 先月の雑司ヶ谷の事件で黒魔術の噂が広まったことをきっかけに、学校などを中心に講演依頼が殺到しているらしく、広報課だけでは手が足りないと連日のように特別捜査課や他の人員にも声が掛かっているという。おかげで事件発覚以降、休日返上だそうだ。

「魔法魔術に興味を持ってくれるのは有難いけど、こういう凄惨な事件がきっかけというのもなかなか複雑な気分だねぇ」

「……事件に進展はないんですか?」

 久遠は訊いた。

 年末の会見を最後に、あの事件について警察からの発表は一切なかった。被害者がどこの誰なのかすら判らない状態だった。


「やっぱり気になるかい? 第一発見者としては」

 弥は笑みを見せた。どこか悪戯っぽい笑い方である。

「まぁ……」

 久遠は首元を摩り、唇を舐めた。

「教えてあげたいのは山々なんだけど、ボクたちも正式に捜査協力の要請があったわけじゃないからね。今は、あの呪物の解呪が無事に終わってくれることを願うだけさ」

 弥はそう言って、紅茶を啜った。


「そうですか」

「しかし、あっという間だったね。君がボクの前でぶっ倒れてから、もうすぐ一ヶ月だよ」

 そんなことを言われると、久遠は苦笑いを返すことしかできなかった。




 今から約一ヶ月前、久遠は死体を見つけた。

 それはバラバラに切断されていて、歪な木箱に入れられていた。

 嫌な臭いが。

 赤黒い肉塊から覗く、白い骨が。


 ──今でも、鮮明に思い出される。


 そして、それが久遠と、雨辻弥との出会いだった。



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