4.

 十二月十三日。その日は金曜日だった。

 久遠は街を彷徨っていた。いつもなら真っ直ぐに帰路へ着くところだが、どうしてもそんな気になれなかった。

 ひどく気分が落ち込んでいた。両足に重しでも付いているかのように、前に進むのが億劫だった。

 両親を亡くしてから、御山兄妹は親戚中をたらい回しにされて転校と引っ越しを繰り返してきた。しかし、とうとう引き取り手がいなくなり、久遠の高校進学と同時に都内の児童養護施設の世話になっていた。

 これまで問題を起こしたことなどなかった。面倒を見てくれる家庭の迷惑にならないようにしてきたつもりだった。しかし、結局どこも長続きしなかった。

 彼らは久遠が持つ才能を恐れていたから。その才能を悪用するような子ではないと判っていた人もいただろう。しかし、得体の知れないことや簡単に説明のできないことが起きると、久遠を疑わずにいられなかったのである。

 久遠は施設に移っても、問題を起こさないように努めた。

 高校を卒業して就職することができれば、永久と二人で暮らせるようになる。それまでの辛抱だ、と自分に言い聞かせて頑張ってきた。


 だが、いつからだろうか。途方もない虚無感に襲われるようになった。

 いきなり身一つで大海原に放り込まれるような恐怖、世界中から見放されたかのような孤独。それらが波のように押し寄せることがあった。要するに情緒が不安定なのである。一時は鬱病を疑ったこともあったが周囲に迷惑をかけたくなかったので、いつも波が引いていくのを静かに耐え忍んでいた。

 今日も突然、不安に襲われた。きっかけは些細なことだった。放課後に、普段は関わってこないクラスメイトに声をかけられたのである。

 どこから情報を仕入れてきたのか、お前魔術師なんだろう、と言ってきた。おそらくSNSの書き込みを見たりや、以前通っていた学校の誰かから聞いたりしたのだろう。思っているよりも世間は狭い。転校を繰り返すなかで、似たようなことが何度かあったので深くは考えなかった。

 久遠はまず、自分が魔術師と呼ばれたことが気になってしまった。魔術師というのは、魔術協会や魔術機関から正式に認められた者しか名乗ることが許されない。才能があったり魔術が使えたりするだけでは、魔術師とは呼べないのである。だから、久遠はその呼ばれ方に抵抗があった。

 久遠の事情を知らないクラスメイトたちは魔術を見せてほしいとせがんできた。彼らにとって魔術は好奇心でしかないのだ。しかし、何か善くないことが起きたら、あることないこと騒ぎ立てることは予想できていた。だから、どんなにせがまれても魔術を見せることはしなかった。


 否、見せることはできなかった。


 両親が死んだ事故以来、久遠は魔術が使えなかった。決して、才能がなくなったわけではない。だが、どうしてもできなかった。


 あのとき、ちゃんと魔術が使えていれば、両親は死なずに済んだのだから──


 母親からもらった魔術書は、あの日以来、ずっと荷物の奥底に仕舞い込んだままだった。

 そのとき、あの波がやって来た。急に事故のことがフラッシュバックし、目の前が真っ暗になった。何も答えない久遠にクラスメイトたちは痺れを切らして、彼を置いて帰ってしまった。

 久遠は重い足取りのまま、学校を後にした。頭の中がぼーっとして、記憶は曖昧だった。だから、どうやってそこまで行ったのか覚えていなかった。


 じわり、と胸の奥に、何か嫌なモノが広がっていくのを感じる。

 久遠は信じていた。信じて疑わなかった。


 ──オレは、助けようと……守ろうとしたはずなのに。


 しかし、結果はどうだ。

 奇跡なんて起こらなかった。


 じわり、じわり──


 嫌なモノが広がり、久遠を包み込もうとする。

 妹が待つ施設に戻らなければならないのに、足はまったく逆の方角へと向かっていた。帰らなければいけないのに。これまで迷惑をかけないようにしてきたのに。このままでは永久にも心配をかけてしまう。

 頭の片隅でそんなことを考えていながらも、久遠の足は重たいまま進んでいく。そして、目の前に見覚えのなる景色が広がっていることに気づいた。幼い頃に両親と暮らしていた池袋だった。ぼーっとしたまま進むと、鬼子母神堂に通じる欅並木があった。今はすべての葉が落ちた木が並んで寂しい雰囲気が漂っていたが、久遠は縁日や節分祭のときに足を運んだことを思い出す。

 並木道を抜けると、住宅街の中に森が現れた。鬱蒼と茂る常緑樹の間に鬼子母神堂の社が佇んでいる。記憶にある賑やかな祭りの様子と随分かけ離れた光景が広がっていた。

 久遠は正面の鳥居を潜り、境内に足を踏み入れる。


 すると、そこには箱があった。

 ひっそりとした境内に、ポツンと置かれていた。

 その箱は木製で、どこか歪で、異様な雰囲気があった。両手で抱えるには少し大きく、持ち運ぶのは容易ではなさそうだった。なにやら赤黒いモノが滴っており、下の石畳を濡らしているのが薄暗い街灯の中で伺うことができた。

 そして、嫌な臭いがした。

 その箱を前にした瞬間、頭の中で警鐘が鳴った。あれには近づくな。危険だ──と。

 ところが、久遠の手は箱に向かっていた。意識ははっきりとしない。だが、確かに身体は動いている。蓋に手をかける。封がされていない蓋は簡単に持ち上がった。

 だんだんと臭いが強くなる。嫌な臭いだ。しかし以前にも、どこかで嗅いだことがあるような気もする。

 中には血まみれの肉塊が収められていた。一番上に見えるのは、人の手首だった。親指の位置から左手だと判る。手の甲にある三つの黒子が歪な三角形を描いていた。切断された断面には錆びた鉄のような色の血液がこびりつき、白い骨が覗いていた。

 ふと、久遠は思い出した。この場所に祀られている神──鬼子母神について。

 かつては人の子を取って喰らう夜叉であったことを。

 目の前の肉塊を見て、久遠は思った。


 まるで、食べられてしまったようだ──と。

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