第6話 銀髪の少女・ルーナ【前編】

 銀髪の少女・ルーナは逃げていた。


 時刻はもうお昼前。朝から逃げて回り、もう体力は底をつきかけていた。

 最初は、一番近い天空機関車の駅に向かって逃亡を図ろうとした。しかし、天空機関車の駅は待ち伏せされているのが見えたため、断念。近くの馬車乗り場にも行ってみたが、次の馬車は1時間後。さすがにずっと待ってはいられなかった。

 そうこうしている間に追っ手にも見つかり、時には建物の影や路地に身を隠しながらなんとかここまで逃げ続けている。いつの間にか目指している場所の位置もわからなくなり、迷子にもなっていた。いつ追いつかれてもおかしくない。そんな思いだけが彼女に付きまとう。捕まったらどうなるかも彼女にはわかっていた。


「いたぞ、あそこだ!」


 全身黒服の、体格のがっちりとした男たちである。どの男も顔に傷やけがの跡が多く、強面であった。町の人たちが、何だ何だ、と騒いでいる。


 はあ、とため息をつき再び走り出す。ルーナは走りには自信がある方だった。まだ追っ手とは距離がある。撒くには十分だ。ルーナは通りの左側の路地に入り、追っ手を巻こうとする。

 しかし、そこは行き止まり。隠れられるような場所もない。正面の塀は高く、よじ登ることは難しそうだった。おそらくもう、すぐそこまで彼らが来ている。ルーナの焦りがピークになった、その時だった。


「こっちです! 乗ってください!」


 声のある方に向くと、空に浮かぶ絨毯とそこに乗りルーナに手を差し出す一人の男性の姿があった。ルーナはとっさに差し出された手を取った。



 ◇



「助かったわ、ありがとう。えっと……?」

「絨毯タクシーの運転手をやっているウィズといいます。無事で良かったです」


 それを聞いてルーナは、運転中のウィズに問いかける。


「あ、えっと私はルーナよ。改めて感謝するわ。どうして助けてくれたの?」

「空からたくさんの男の人たちに追いかけられている姿が見えたので、ただ事ではないなと。逃げきれて本当に良かった」

「ええ、本当に」


 前に見える建物たちも次々とルーナの後方へと逃げていくようだ。ルーナは絨毯を右手で触りながら話をつづけた。


「それにちょうどよかった。絨毯タクシー、なのよね? 私行きたいところが……。あの、運転手さん?どこに、向かってるの?」


 空に上がる直前に聞こえた、どこにいった、という男たちの声はもはや聞こえず、今は絨毯が風を切る音しか聞こえない。


「警察ですよ。あんなに大勢の人が相手だと僕の力だけではどうにもできませんし、専門のところに行ったほうがいいと思いまして」


 ウィズの脳裏には、黒服の男たちの姿が浮かぶ。


「え! あの、行かなくていい。大丈夫よ」


 ウィズは振り向かない。


「だめですよ。あなたのような女性があんな強面の、全身黒服で顔にたくさん傷があるような人に追いかけられて大丈夫なわけがないでしょう?」

「え、いや」


「あの人たちに何かしちゃった感じですか?もしお嬢さんのほうに非があるならそれはそれで問題ですけど……。追われていることには変わりないので、一回警察の人に守ってもらいましょう?僕も口添えできるかもしれませんし」

「その」


「もしかして法に触れるようなことをしたんですか?もしそうなら……」

「法なんて犯してないわよ!」

「良かった。お客さんが何かしたってわけではないんですね。でも、あんな人たちに追いかけられるようなことは普通じゃないですよ。やっぱり警察行きましょう?お代とかの心配はいりませんから、そこは安心してください。」


 ウィズは焦っていた。ウィズが仕事を始めたのは18歳の時。大ベテランとは言わないが、ある程度の年数この仕事を続けている。それでも警察の厄介になりそうな出来事はほとんどなかった。初めての状況に対しての焦りが、ウィズに冷静な判断を失わせていた。



「もう話聞いてよ!」


 突然、ルーナが胸と腕でウィズの頭を抱え込むような形で思いっきり抱き着いた。ウィズの視界がさえぎられる。


「ちょっ、前見えないから離してください。危ないですって」

「やだ、警察行かないって言うまで離れない」


 さすがに急ブレーキは危険なので、ウィズは徐々に絨毯のスピードを落とす。

 魔法の絨毯は特殊な力が働いているため、逆さまになっても乗っている人が落ちることはないし、頭に血が上ることもない。とはいえ、急に止まると吹っ飛ばされてしまう可能性があるのは他の乗り物と変わらないのである。


「わかりました、わかりましたから離してください」


 ウィズは絨毯が止まったのを確認して、いまだにしがみついてくる彼女を、体をひねり両手で無理やり引っぺがそうとする。しかし、ウィズの思った以上に抱き着く力が強く、二人一緒に絨毯の上に倒れこんだ。


「キャッ」


 ウィズは女性の声とともに頭が解放され、目を開いた。そこには仰向けで、顔を真っ赤にしている彼女の姿があった。


 よく見ると、左手は絨毯の上であったが、ウィズの右の手のひらが彼女の胸に、ちょうど手に収まるぐらいの大きさの胸に触れている。ウィズが彼女を押し倒したような体制になっていた。黒い丸帽子は、脱げて彼女のすぐそばに落ちている。


 ウィズは弾かれたように起き上がる。ルーナも体を起こすと、自分の胸を両手で隠し、ウィズのことを睨みつけた。


「変態……」




 小さく細い声で発せられたこの言葉を聞いた時、ウィズは悟った。




 警察に行くことになるのは自分かもしれない、と。

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