第45話 湯冷めしないように

「あんたら、そのうち本当に一線超えそうで心配だよ私」

「俺を巻き込むな、そこの戦犯に言え」

「えー、だって兄さん寂しいかなって」


 温泉から上がり、すっかり薄暗くなった農道を三人で進む。

 冷たくなった風が少しだけ髪を巻き上げて、それが気持ちよかった。


 ドライヤーなどはもちろんないので、三人とも半乾きの髪を三者三様で揺らしていた。


「大体雪ちゃん、こいつに裸見られて平気なの?」

「へ、へいきではないですけど。か,家族ですし……」

「ほー、その割にはこの前のぞきがどうのとか言ってた気がするけど」

「――っ!」


 幸が楽しそうに、雪に追及を続ける。


「大体、あんたのお兄ちゃんだって男なんだからそのうちムラムラってして襲われちゃうかもしれないんだよ」

「そ、そうなんですか……」

「そうだよそう。雪ちゃんの裸なんて見たら一発だね。すぐ食べられちゃうよ」


 二人のやり取りを静観していたが、あまりの言われようにたまらず声を出す。


「せめて本人がいないところでそういった話はしてもらえませんかね……」

「あっ、いたんだ歩」


 幸が意地悪な笑みをうかべてこちらに目をやる。

 こいつマジで……。

 こちらがやや青筋を立てたのを知らずにか,雪と幸がそのまま話を続ける。


「け、けど私兄さんになら別に……。そ、その私だってそういうときあるっていうかなんていうか……」

「あーー! 本当にこの妹はーーー!!」


 急に幸が、雪の言葉に食い気味に大きな声を出したので雪が何を言ってるか最後まで聞き取れなかった。


 ――聞き取れなかった。

 そ、俺は何も聞いていないのだ。


 今日だけは貝になりたい人の気持ちがよく分かった。

   



※※※




「今日ほど、お前を恨んだ日はないわ」


 星の光を頼りに各々が食卓につく。

 ここに来てから缶詰ばかりで、そろそろ他の食料が恋しくなってきた。


 お湯を沸かせば持ってきたカップラーメンくらいは食べられるし、飯盒使えるようになれば米だって炊ける。


 今まで、文明の利器に頼りっぱなしだったのが仇になって、サバイバル関係はさっぱりだった自分が情けなくなる。


 火の起こし方からスタートしなければならず、これから頑張って色々覚えていくしかないのだ。


「なによ、文句あるわけ」


 焼き鳥缶をつつきながら,幸がこちらに悪態をつく。


「文句しかないわ、雪に変なこと吹き込みやがって」

「だって仕方ないじゃん、あんたら今日おかしかったし」

「んっ?」


 雪は確かにおかしなことになっていた気がするが、俺は普通にしていたつもりだった。


「あんな風にからかってあげないと見てらんないっつーの。あんまり妹に気をつかわせないでよお兄ちゃん」

「……雪、俺に気を使ってたのか?」


 台所で、何を食べようかと食料をごそごそしている雪に目をやる。


「だって、あんた温泉行くとき怖い顔してたでしょ。ちょっとピリついてたし。そういうのって分かっちゃうんだよなぁ」

「――そうだったのか、ごめんな」

「あぁ、ごめんごめん別に攻めてるわけじゃ全然ないんだけどね」


 幸が片手に持っていた焼き鳥缶を座卓に置きどこか物思いに天を仰いだ。


「……多分、今あんたの抱えてるキズって時間しか解決できないんだと思うんだよね、それは私も雪ちゃんもだけど」

「……」


「なに話してるの?」


 雪がキッチンからひょこひょこと戻ってきた。


「さっきの雪ちゃんの話」


 幸がいたずら顔で雪に言う。


「もう! あれは忘れてください! 兄さんもだからね!」


 白い肌を真っ赤にして雪が声を荒げる。


「だいたい、星野さんだってエッチな気分になるときだってあるでしょ!」

「ちょ、ちょっと雪ちゃん!」


 思わぬ反撃をくらって雪が赤面をする。


「そうだ、そうだ! もっと言ってやれ!」

 

 復讐のときは今来たりと、雪に援護射撃を送る。


「くー、覚えてろよ」


 そのまま幸が雪にけちょんけちょんにされるのを眺めていたが、なんだかこちらも姉と妹みたいだなと思ってしまった。

   



※※※




「時間でしか解決できないか……」


 最近、どうしても夜中に目が覚めてしまう。

 そもそも寝るのが早いこともあったが、原因はそれだけじゃなかったと思う。


 ――目をつむるとどうしても、あの日の鮮烈な光景を思い出してしまう。

 

 そんなときは布団から抜け出して、外の縁側に座って眠くなるまで広大な空を眺めていた。


 一人だけがこの広い空間にいるような感覚になり、俺の考えていることなど本当にちっぽけなのではという気持ちがして少しだけ心が軽くなる。


「あっ兄さん、ここにいたんだ」


 ふいに、後ろから声がかかる。


「起こしちゃったか? ごめんな」

「ううん、ちょっと目が覚めたら兄さんいなかったから探しちゃって。何してるの?」

「別に何も。星を眺めていただけ」

「ふーん」


 俺の横に雪が腰をおろす。


「まだ、ちょっと寒いね」

「風邪ひくぞ、戻ってろよ」

「兄さんがここにいるならここにいる」


 そういって、雪も遠くに目をやっているようだった。


「月が綺麗だね」

「……死んでもいいわ。って何言ってんだか、しかも男女逆だし」

「あはは、さすが兄さん知ってた」


 雪の頭が俺の肩にぽんっと置かれる。


「どうした」

「んーん、ちょっと寒いから湯冷めしないようにくっついただけ」

「湯冷めの時間なんてとっくに過ぎてるはずなんだけどな」


 会話はそれ以降なかったが、二人で田舎の夜空を眠くなるまで眺めていた。

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