第42話 今日は何もしたくない日

「兄さんもう朝だよ。そろそろ起きなよ」


 雪がゆさゆさと俺を揺さぶる。


「んー、今日はスイッチオフだからそっとしておいてくれ」

「もー! そんなこと言ってここに来てから三日は経つよ、片付けとか色々やることあるのに」

「今日は雪と幸に任せたー」

「任せられません。星野さんはスケッチブック持ってすぐ外にいっちゃうし」

「……」


 幸は昔から考え事があるとスケッチブックをもって絵を描きにいく。

 好きなことに没頭して頭を真っ白にしたいのだろう。

 俺はそんな趣味もないので、嫌なことは寝て忘れるしかないのだ。


「……」


 雪が俺の頭元までやってきて、そっと俺の頭を撫でる。

 こういう日は、雪がよくちょっかいかけてくるのだが、今日はどことなく様子が違った。


「雪?」

「……」



さわさわ



 雪の小さくて冷たい手が俺の頭を撫でる。

 雪の表情は真っ黒な髪隠れてここからはよく見えない。


「どうしたんだよ」

「……」


 少しだけ沈黙が流れたが、雪が口を開いた。


「兄さん、落ち込んでるでしょ」

「……」

「頭ちょっとあげてもらっていい?」

「ん? いいけど」


 少しだけ頭を浮かすと、雪のひざが間に入り込んできた。

 今日の雪はショートパンツを履いていたので、俺の頭が雪の生足に直接乗っけられる。


「なにこれ?」

「ひざまくら」

「それは知ってるけど」

「枕は持ってこれなかったから頭元寂しいかなぁと」

「そんなことはないけどな」


 そう話しながら人のは頭を撫で続ける。

 子供に対するそれみたいで、少し気恥ずかしい。

 これではいつもと逆の立場になってしまっていた。


「……お前だってあんなことあったんだから相当落ち込んでるだろ」

「それはそうだよ、思い出すと今でも泣きそうになる。星野さんだってきっとそうだよ」

「……」


 嘘偽りなく正直に自分の心境を明かす雪のことがどこか愛おしくなって、思わず手を伸ばして雪の頬をそっと撫でる。


 頭を撫でられてる相手の頬を撫でるという、よく分からない構図が出来上がってしまった。


「けどね、それだけじゃいられないなって思って」

「例の手帳になんか書いてあった?」

「うん、内容は秘密」

「一生中身教えてもらえそうにねぇな、おい」

「ふふっ」


 雪が少しだけ笑った。


「はぁ、しょうがないな。少しだけ作業開始しますか」


 そう言って、起き上がろうとすると雪が俺の肩をぐっと押さえた。


「なんだよ、起きろって言ったくせに」

「もう少しこのままでいたい」

「足しびれるぞ」

「私の足しびれたら、兄さんと場所交換ね」

「おかしくない?」


 そのまま雪に飽きるまで頭を撫でられていたが、どこか悪い気はしていなかった。

  



※※※




「あんたら、それもうパターン化してない?」


 布団で横たわる俺たちを見て、外から戻ってきた幸が飽きれて声をかける。

 

「歩は仕方ないとして、雪ちゃんも案外抜けているというかだらしないというか、やっぱり二人は似たもの兄妹だよねー」

「そうですか? えへへ」


 何故か、雪が嬉しそうに返事をする。


「お前、あれは思いっきり嫌味言われてるんだからな」


 横にいる雪のおでこをぴしっとひっぱたく。


「いてて」

「あはは、まぁ私は雨宮兄妹らしくて好きだよ」


 幸が和室の真ん中に腰をおろす。


「机とか簡単な家具ならあるけど、あとは何もないねー。どうしよっか」


 和室にある大きめの座卓をぽんぽんと叩きながら幸がこっちに声をかける。


「カーテンは付いててよかったなー。あとは電気回りというか、照明回りなんとかしないとな。今のところ寒さは布団でなんとかしのげるけど」

「そうなんだよねー、とりあえず照明だよね。日が落ちたら何もできないし!」

「ろうそくとか何か明かりの代わりになるやつも見つけないとな」

「水はなんとかなりそうだね。井戸水だからちょっと出力は弱いけどちゃんと外の蛇口から出るよ」

「あんまり直接飲んだりするなよ。水質とか色々あるみたいだし」

「えっ! 普通に飲んじゃった。冷たくておいしかったよ」

「お前なぁ、腹壊しても知らんぞ」

「だいじょーぶ! だいじょーぶ! 私、お腹強いほうだし」


 そんな話を幸と矢継ぎ早にしていると、雪があっと何か思い出し風に声を出した。


「今のお腹壊すで思い出したんだけど」

「ん? どうした?」

「トイレの紙ないよ」


「「あっ」」


 雪がそう言うと、思わず幸と声がダブってしまった。

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