第36話 崩れ去る日常②
くすんだワインレッドのコンパクトカーにぎゅうぎゅう詰めに荷物を載せる。
後ろの荷台のみならず後部座席も半分以上が荷物で埋まっている状態だ。
食料、ペットボトルなどの飲み物を重点的に車に乗せ、着替え、布団など生活用品も入れなければならなかった。
三人分の荷物をこのコンパクトカーに詰め込むとなると、どうしても無理があるため、雪と幸の荷物を優先に、俺の荷物は本当に必要最低限なものにした。
「もうこれ以上はのせられないな」
「そうだね,トランクなんて開けたら荷物飛び出てきそうなくらいパンパンだよ」
荷物を詰め込み,若干すっきりした部屋で荷物の最終確認をしていた。
……が、残った荷物の中に幸のスケッチブックを見つけてしまった。
「それくらのせられるだろ。持ってけよ」
「けど車にのせるのに邪魔にならない?」
「こんなの大したスペース取らねーよ,助手席とドアのすき間にでも入れとけ」
渋る幸を無視して、強制的にスケッチブックを横に抱えて,出発の準備をする。
「雪,大丈夫か。忘れ物ないか」
「……ないと思うけど。ここの部屋離れるの寂しいな」
名残惜しそうにに雪が部屋を見つめる。
「仕方ないさ、もう行くぞ」
雪の背中を押して、玄関に向かう。
その時、外から大きな声が聞こえてきた。
丁度熊田さんの家の前あたりだろうか、何を話しているかは分からないが大きな声で揉めているのは分かる。
玄関から出た2階の通路で、すぐにかがんで身を隠す。
「……雪、幸、目立たないようにゆっくり車に行くぞ」
「ちょっと待って兄さん。この声って……」
そう言われて、その声の方向に耳を傾ける。
――この声の正体は熊田さんだった。
なんで、どうしてまだここに……。
最近姿を見なかったので、てっきり娘さんの待つシェルターに行ったものだと思っていた。。
熊田さんは、体の大きい男性に囲まれていた。人数は、ここから見るに四名ほどだろうか。
「歩、奥側見てみなよ」
幸が、その奥側に例の大和田さんの姿を見つける。
「溝口さんの話は、どうやら本当だったみたいね」
様子を見ていると、その大和田さんが男性たちになにやら指示を出しているようだった。
……正直、この目で見るまでは半信半疑だった。大和田さんのグループが暴徒化して略奪行為をしているということに。そもそも、その大和田さんに付き従うメリットがよく分からなかった。
でも、この目で見るとその答えは意外にシンプルだった。
「あの人……銃持ってる」
男性たちの後ろで、大和田さんが銃を見せびらかすようにして、熊田さんと対峙している。銃の形状は警察官が持っているような小型の銃だった。
「兄さんどうしよう!!」
……正直、ここは雪と幸の安全を第一に考えるならあの場に近寄らないほうが賢明だ。あの大和田さんのことだから、ヒステリックに銃のトリガーを押してしまうなんてことも十二分に考えられる。
そう決して近寄らないほうが賢明なのだ。
――でも、
『こういうご時世でしょ、助け合わなきゃ。お金のある人はみんなシェルターに入って新しい生活を築いていって。シェルターの外にいる人間は「人にあらず」みたいな扱いじゃない。それこそ、感染した人と一緒の扱い。感染した人だって人間よ。誰も悪くないのに不思議よね』
――いつかの熊田さんの言葉が脳裏に浮かぶ。
『あんちゃんも俺と一緒さ。大切な人がバカにされて許せなかったんだろ?誰かの力になりたかったんだろ?、そういう気持ちはこれからずっと大切しないといけないよ。この世は義理と人情だから』
――あのときの溝口さんの言葉を思い出す。
●●●
『雪ちゃんのことは残念だけど、置いていくしかないよお兄ちゃん』
実の妹の葉月が俺にそう言う。
どうして……。
『雪ちゃんのことは仕方なかったんだよ、お兄ちゃん』
実の弟の翔が俺にそう言う。
どうして……。
『雪はしっかりしているからね、きっと外でもなんとかやってくわ。感染が落ち着いたら迎えにくるからね』
雪の実の親であるはずの花さんまでがそう言う。
雪は悲しそうに笑う。
顔をくしゃくしゃにして、涙をうかべて、無理矢理口角をあげて。
あの表情がいまだに忘れられない。忘れることができない。
あんな悲しそうな笑顔なんてあってはならないと思った。
――どうして
余裕がなくなると、人は冷たくなってしまうのだろう。
――どうして
皆、もっと他の誰かに優しくなれないのだろう。
●●●
「幸」
「……なに?」
「雪のこと頼めるか?」
「っ!!」
少し沈黙があったあと、
「――分かったよ」
納得はしていない様子だったが、車のカギを幸に渡した。
「えっ? えっ? 兄さんどういうこと……?」
「幸、もし何かあったらすぐ雪を連れて車を出してくれ」
俺がそう言うと幸は返答はせず、
「……待ってるから早く戻ってきて」
と、だけ言った。
それに返事をせず、俺はそのまま熊田さんの家のほうに駆けだした。
雪の泣き声が聞こえてきたのがやけに心に刺さった。
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