第35話 崩れ去る日常①

「すごーい!」


 雪が,幸の絵を見て感心している。

 俺が惰眠を貪っている間,二人でスケッチをしていたらしい。


「まぁーこれでご飯食べてたからね」


 えへへと照れながら幸が俺にスケッチブックごと渡して絵を見せる。見慣れたはずの洋室だったが,スケッチ越しでみるとまた別の部屋のようだった。白黒の陰影が,なんというかすごく味がある。


「……めちゃくちゃ上手くね?」

「絵具があれば色もつけたいんだけどなぁ」


 元からうまいのは知っていたけど、改めてみるとすごい才能だなと感じる。俺も、こういう風に描けたらなと少し幸が羨ましい。


「……で、そこでもじもじしてる人は見せる気ないのかな」


 後ろで雪は自分が描いていた絵をひっそりと隠そうとしていた。


「星野さんのあとに見てもらうのは気が重すぎるよ……」

「えー、そんなことないよ!ちょっと見せてよ!」


 そう、幸が強引に雪の絵を取り上げる。

 俺もここぞとばかりに、その絵をのぞき込む。


 そこに描いてあったのは……布団で寝ている俺だった。絵はまぁ……普通だった。特別、上手くも下手でもないって感じだった。


「あははは! 歩、寝ているところバッチリ描かれてるんじゃん。いいね、こういう何気ない日常の絵って私好きだよ」

「絵のモデルが悪すぎるんだが」


 幸と俺で、感想を言い合う。


「普通に恥ずかしいんだけど」


 もっと下手くそだったら、ネタにできるのにそれほど下手でもないのでネタにもしづらいなんとも微妙な評価になってしまった。


「じゃあ、次は私も歩のこと描こうかな。雪ちゃんもまた一緒に描こうよ!」

「勝手に人のこと描くな。俺がはずいわ」


 絵のことになると本当に楽しそうに話す幸。

 そのうち、絵の具でも探してきてやるかと思ったのだった。



 ――そんな風に過ごしながら、ここ数日は穏やかな毎日が続いていた。


 退屈ではあるけど、心穏やかに過ごせる毎日。


 将来に対して不安がないわけではない。

 

 それでも俺は、この三人で過ごす日々にある程度の満足感を得ていた。


 できれば、このままこのアパートでのんびり過ごしていきたい。


 しかし、そんな望みは突如打ち砕かれることになる。

  



※※※




「雨宮くん! 星野ちゃんいるか!」


 まだ、朝の早い時間帯だった。窓の外から大きな声がして目が覚める。

 ドタバタと駆け足で階段を上る音が聞こえてきて、ただ事ではない様子が伝わってくる。

 呼び鈴が鳴らされて、朝の早い雪が玄関に出る。


「あれ?どうしたんですか、こんな朝早く」

「はぁはぁ……雪ちゃん。お兄さんと星野ちゃんはいるかい」


 大きな声が聞こえてきて、急いで俺も玄関に向かう。さすがに朝の弱い幸も目を覚まして身支度を整えていた。


「溝口さんどうしたんですか?」

「あぁ! 雨宮くん、大変なことになっちまった」

「何があったんですか?」

「大和田さんって覚えているか?前に君とトラブってた人なんだが」

「忘れようにもあのキャラクターは忘れられないですよ」


 できれば思い出したくなかった名前が出てげんなりする。


「あぁ……あの人のグループが今暴徒化してて、今色んな家の物資を漁っているんだ、生活感のある家とかは手当たり次第にだ」


 いつも飄々としている溝口さんが、今日は鬼気迫る表情でこちらに話をかける。


「……けど、それは今の時勢仕方ないんじゃ」

「違うんだ! ただ漁るだけならいいんだが、わざと人のいるところを狙って略奪しているんだ!人がいるところになら物資はたくさんあるからな!」

「……まさか、このあたりでもそれが起きたんですか」

「あぁ、あそこのショッピングモールにはわずかに人が残っていたんだが、そこは大和田さんのグループによって占領されちまった。大きい避難所や施設はどんどん占領されちまってる。あの人はいよいよ超えてはならない一線を越えちまった!俺の世話になっていた公民館も壊滅状態だ。死人もでてる!」


 溝口さんが、悔しそうに口を震わせる。その様子が、現在がただならぬ状態になっていることを思わせてくれた。


「そんな……」

「あの人たちのやってることは、物資の“独占”だ。自分たちが選定した人間……ようするに気に入った人物にだけ物資を与えられるべきだといった思想に染まっちまってる」

「それってもしかして」

「あぁ、一回大和田さんとぶつかっちまったあんちゃんたちは、まずその選定とやらに引っかからないだろう。だから、早くどこかに逃げたほうがいい。ここは大通りから離れているが、見つかるのも時間の問題だ」


 後ろにいた雪と幸が青ざめた表情をする。

 まさか、あの人がそこまですることになるなんて……。

 そして、自分たちの住み家が襲われたのにその危機を真っ先に教えてくれようとしている溝口さんには本当に頭が上がらない。


「溝口さんはこれからどうするんですか?」

「あぁ、俺はこれから同じように近隣に住んでる人たちに逃げるように言って回ってくる。あんちゃんたちも早くこの町からは離れたほうがいいぞ!」


 そう言って、足早に軽トラに戻り溝口さんはここを後にした。


「兄さん……これからどうするの?」

「歩……」

「雪、幸。これから何があっても俺のそばから離れるなよ」


 不安そうな二人に決して弱気な姿は見せないようにする。


「とりあえず、ここにある食料と必要なものをできるだけ車に積み込もう。どこに避難するかは作業しながら考えよう」


 早速、荷物をまとめる作業に入る。


「大和田さんってそんなに影響力ある人だったんだ……」


 幸は避難所にいた手前、大和田さんという人物を一番知っている。その分、心境は複雑なんだろう。


「兄さん……私怖い……」


 雪が俺の上着の裾を掴み、そう呟く。


「大丈夫だって、何とかなるから」


 そう言って、雪の頭をそっと撫でた。

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