第32話 今、一番怖いこと

「……幸がそう思った理由聞いていいか?」

「まぁ、ほとんど直観なんだけどさ、さっきの熊田さんこっちの目を見て話さなかったでしょ。だから何かあるのかなって注意深く見ちゃってさ」

「まぁ、そりゃ俺たちを置いていく話だから少しは後ろめたさとかあったんじゃない?」

「私も最初はそう思ったんだ。けど、やっぱりちょっと違うなって」

「何が違うなって?」

「歩、気が付かなかった?」

「……何を?」

「熊田さん、しきりに裏のお庭のほう気にしてるの」


 全然気が付かなかった。


「多分ね、お庭に何か見られたくない? のあるのかなって。私たち家に入れたのもそれを悟られたくないからじゃないかなって」

「……考えすぎじゃないかな」


 熊田さん宅に裏にあるのは例の家庭菜園と小さな物置くらいだった。


「かもね、けど一応注意したほうがいいかなって。何か疑り深くなっちゃって嫌なやつだね私」

「……そんなことないよ。俺にはない視点でそういうこと言ってくれると助かるよ」


 さすが元美術部、こういう観察眼は俺なんかよりずっと秀でている。


「ところでこの車って、昔デートで乗せてくれたやつ?」

「……あぁ、そんなこともあったな」

「また、乗れるといいな」


 幸がどこか寂し気にだがニコっと笑う。


「歩にとってさ、今一番怖いことってなに?」

「怖いこと?」


 唐突に幸がそんなことを聞いてくる。それは……。


「雪ちゃんに何かあることじゃない?」


 答えを言う前に幸が言ってしまった。


「今ね、私が一番怖いことはまた一人ぼっちになること、あなたたちと離れてしまかもしれないこと。だからね、雪ちゃんのこと私たちで守ってあげないとね。こういう気づいたことはなるべく歩に伝えるから」

「……ありがとう。幸にこうしてまた再会できて本当に良かった」


 えへへと幸が照れる。


「なんなら、もう一回付き合ってあげよっか?」

「……検討しとくよ」


 そんな軽口を叩きあう。


 もう夕方になっていたが、夕暮れが綺麗だった。

  



※※※




翌朝


 七時を回ったくらいだろうか。下の駐車場から大きな声が聞こえてきた。


「おーーーーい、雨宮くーーーん!!」


 最近まで聞き覚えのあったこの野太い声は……溝口さんだった!


「兄さん、リーダーが下にいるよ」


 今日はいつも通り早起きだった雪が、下を指さして俺に伝える。


「な、なんで」


 あまりにも早い再会に驚く。

 思わず布団から飛び出て、急いで下に降りる。


「ど、どうしたんですか、こんな時間に」

「いやー、すまんね。まだ寝てたか?」


 ぼさぼさの寝ぐせ姿の俺を見て溝口さんそう言う。溝口さんの脇には溝口さんが乗ってきたであろう軽トラがあった。


「軽トラ? 燃料とか大丈夫なんですか」

「おう、大丈夫、大丈夫。あるところにはあるからさ」


 そう言って、軽トラの荷台からお米が入っている茶色い米袋を2つほど下ろそうとする。30kgサイズの大きい袋のものだ。


「見てないで、重いんだから手伝ってくれよ」

「は、はい」


 二人で米袋を荷台からおろす。


「……これどうしたんですか」

「どうしたって、おすそわけだよ。これだけあればしばらくは食っていけるだろ」

「そんな……いいんですか?」

「いいんだって! あるところにはあるんだから遠慮しないで受け取れ!」

「すんません……」


 そう言って、溝口さんはタバコに火をつける。


「この世は義理と人情だからな」

「完全にそっち系の人みたいですけど」


 よく見ると、荷台にはまだまだ米袋が乗っかっていた。まさか、これ配ってまわってるのか……。


「良かったら、うちで一服していきますか?」

「おう、ありがたいけど、女二人もいるアパートにおっさんが乗り込むわけいかねーよ」


 ガハハと豪快に溝口さんが笑う。


「こんなにいただいちゃって……。俺、溝口さんにお返しとかできないですよ」


 さすがにしてもらってばかり申し訳なくなってしまう。


「いいんだって、俺も昔そうやって年上の人に色々やってもらったからさ。そういうのは俺じゃなくてあんちゃんが大きくなったら他の人にしてあげな」


 と、角刈りのいかつい見た目からはほど遠い爽やかな答えが返ってきた。本当にこの人の面倒見の良さには頭が上がらない。


「分かりました。覚えておきます」

「ところで、あんちゃん携帯持ってるか?」

「持ってますけど、何かありました?」

「友達登録しとこうや」

「……いいですけど、ネット使えないですよ」

「いいんだよ。何かあって世界が元通りになったら、携帯で酒飲みでも誘うからよ」

「あはは、それは楽しみしときますね」


 思わず笑みが漏れてしまう。本当にこの人は裏表なく人に接してくる。不覚にも俺もこういう大人になれたらなと思ってしまった。


  


※※※




「雪―、ちょっと手伝ってくれー」

「はーい、どうしたの兄さん」


 雪を下に連れてきて、溝口さんが持ってきた米袋を車に乗せるのを手伝ってもらう。なお、幸はいまだに爆睡中だった。


「こんなにどうしたの?」


 当然の疑問を雪が言う。


「溝口さんが持ってきてくれた」

「えっ、すごくない」


 雪もさすがに驚く。


「ところで、なんでクルマに乗せるの?」

「上まで持ってくの大変だし、今置くとこないだろ!」


 雪にクルマのバックドアを開けさせ、無理矢理、後部座席に放り込む。


「なんか、段々物置っぽくなってきちゃったね」

「仕方ないだろ。ドライブ行くわけでもないからこれでいいんだよ」

「えー、いつかドライブ行こうって約束したじゃん」

「予定は未定だからな」


 ちぇっとわざとらしく肩をすくめる雪。


「……なぁ雪」


 昨日の幸との会話を思い出し、思わず雪にも聞いてみることにする。


「雪にとって今一番怖いことってなんだ?」

「怖いこと?」

「そう、怖いこと」

「そんなの兄さんと一緒にいられなくなることじゃん」


 何言ってんのとばかりに即答する雪。

 兄として、家族として、やっぱりそんな風に言われると嬉しいもんだった。


 そんなこの子を守るため、ここから見える熊田さんの裏手の庭に少しばかり注意を向けることにするのだった。

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