第24話 今日は何もしない日 part2

 兄さん、今日は避難所行かないの?」


 制服に既に着替えていた雪が俺に声をかけてくる。


「今日は引きこもりデーです」

「すごいデジャブなんだけど」


 雪がそう言って制服のままダイニングテーブルに勉強道具を広げる。


 そう俺は今日決めたのだ。今日は何もやらない日にしようと。ちなみに二日ぶりの登板である。

 最近、食料目当てで避難所に行くことが多かった。ちゃんと朝起きて、ちゃんと着替えて、ちょっとお手伝いをして。なんて“らしく”ないことをしていたのだろうと思う。

 幸や熊田さんにはなんとなく悪い気がするが、どうせ明日は行くことになるのだろうから,今日は充電させてもらうことにする。


「私も最近勉強できてなかったから、今日は勉強する日にしよう」


 俺とはうって変わって大変真面目なことを言う雪。


「こんなだらしない兄貴でスマン」

「一応自覚はあったんだね」


 雪がクスクス笑う。


「しかし、そんなマメに勉強して何かなりたい職業とかあるのか?」

「んーん。何もないよ。ただ何となくやってるだけ」

「なんとなくの選択肢で勉強が出てくるってすごくない?」


 パンデミック後で今後どうなるか分からないのにそれでも勉強をし続ける雪。テストもなければ受験もないのだ。なるべく効率良く生きようとしてきた俺にとって,それはある意味では未知の生物の行動だった。


「まぁ、できないよりできたほうがいいしね」

「さすがだな」

「それ昔、兄さんが私に言ったんだよ」

「えっ」


 全く記憶になかった。


「できないよりできたほうがいいって。楽しくやらないより楽しくやるほうがいいに決まってるって」

「なんだ,そいつ良いこというな」

「でしょ。その人、今は布団から出てこないけど」


 いささか冷たい視線が雪から降り注ぐ。いつもと同じ様子なのでこの前の《なんとか避け》は大分緩和されたらしい。

 それにしても当時の俺はいささかかっこつけ野郎だったらしい。今はそういう人生論的なものを人に押し付けるのはあんまり好きではなかった。


「兄さん,今後やりたいこととか夢とかってないの?」

「働かないで収入を得て暮らすこと」

「うわつ,即答」


 本心から言ったのだが何故か引かれる。


「そういう雪は夢とかあるのかよ」

「……ぉよめさん」

「えっ、なんだって」


 小声で良く聞こえなかった。


「お嫁さん」


 開き直ってきっぱり雪がそう答えた。恥ずかしいのか、目線は机に広げたテキストの上を泳いでいる。


「それって小学生の低学年とかが言うやつじゃ……ぶっ!」


 教科書が俺の顔めがけて飛んできた。


「働かない人に言われたくない!」

「いや、確かに今は働いてないけどさ」

「あーあ!兄さんのせいで勉強やる気なくなった!」


 パタンとノートを閉じる雪。

 勉強している雪の邪魔をしてしまったことに反省する俺。今度から,雪が勉強をしている間はあまり話しかけないようにしよう。


 それにしても、


「お嫁さんか」


 案外そんな夢だったら、パンデミック後の世界でも叶うんじゃないかと思ってしまった。

 



※※※




「けど、働かないで収入得る方法ってなんだろ?」


 雪が素朴な疑問を聞いてきた。

 その後、勉強にやる気をなくした雪は俺の布団の隣に腰をかけて本を読んでいる。


「株取引とかFXとか?」

「あれって儲かるの?」

「どうなんだろ? ある程度の元手がないとできないイメージあるな」

「ふーん。そうなると兄さんの夢って中々難しそうだね」

「言っとくけど俺はまだ諦めてないからな」


 そう力強く雪に宣言する。


「兄さんってそういうのじゃなくて、学生のときとかなりたい職業とかはなかったの?」

「学生のとき?」


 昔のことを考える。そういえば昔は色々あったなぁ。プロのスポーツ選手になりたいとか、本が好きなので漫画家とか作家になりたいとか思ってたときもあった。まぁ、ことごとく才能という言葉に阻まれて諦めていくわけだが。


 そもそも、才能だとかで諦められる夢はただの“憧れ”であって“夢”ではないのだろうと今は感じる。


 一つだけ本気でやりたいことがあった。それは介護の仕事だった。きっかけは,大好きだったおばあちゃんだった。俺を、親父の代わりに俺たちの世話してくれたおばあちゃんの,もしくは身寄りのないかたのお世話をできる仕事をやりたいと思っていた。

 おばあちゃんにしてもらった分,誰かに返したい。誰かの拠り所になりたいと青い情熱を抱えていたときがあった。


 ―――まぁ現実はやりたいことってできないわけで。


 そもそも介護の仕事は薄給だったので、情熱とやる気だけで飛び込んでいけるものではなかった。当時の俺はお金がどうしても必要だったので、お金を最優先にして仕事を選んでしまった。


「まぁ、特になにもなかったかな」

「なんだ、つまんない」


 雪にこの話をするわけにはいかないので、言葉を濁した。

 当時、お金が必要だった理由は雪のことが多分に関係しているからだ。

 このことは今後、雪に言うつもりはないし、このことについて雪に余計な重荷を背負わせたくなかった。


「雪はこれからがあるんだからゆっくり考えればいいさ。お嫁さん以外もちゃんと考えとけよ」

「もう! そうやって兄さんは意地悪するんだから!」


 そう言うと雪は頬を膨らませた。

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