第19話 名前で呼んで

「陽性って……大丈夫なのかよ」

「んーどうだろ。そのあと検査もしてないし、特に身体の異常はないかな」


 あっからかんと星野が答える。


「心配してくれてるの?」


 星野がニヤニヤと聞いてくる。こいつ絶対分かってて聞いてきてる。


「そりゃそうだろ」

「そっか、ありがと」


 満足そうに星野が笑顔になる。


「あれじゃん、どこからどうやって感染するか分からないじゃん。巷では空気感染ととか色々言われてるけど結局分からないし。今、シェルターの外にいる人たちってワケ有りの人多いから、そういうのって不問じゃん。色んな人に迷惑かけて検査受けてごねるより、今の感じのほうがラクかなって」

「――分かるよ。俺も同じような感じだから」

「歩も?」


 そのあとの俺の言葉を星野は待っていたが、俺はその先の言葉を言うことができなかった。


「何か言えないわけがあるんだ」

「ごめん。俺一人の問題じゃないからここから先は言えない」

「雪ちゃんのこと?」

「……」


 言うことができなかったが、その沈黙は肯定を表していた。


「雪ちゃんのこと大切にしてるんだね」

「あぁ」

「ちょっと妬けちゃうかな」


 てへへと星野が笑った。




※※※




「――あっ、兄さんがまた星野さんといる」

「おっ、雪ちゃんおつかれー!」


 雪が熊田さんから解放され戻ってきた。


「お疲れ雪。仕事どうだった?」

「んー、普通だよ。ただ物の場所とか教えてもらっただけだし」


 星野が兄妹のやり取りをニコニコと見ている。


「なんだよ、そんな顔で見て」

「いや、雪ちゃんって歩と話してると随分雰囲気が柔らかくなるなぁと思って」


「別にそんなことないです」


 雪が毅然と答える。


「そんなことあるって~。何かそういうの可愛いなって思うよ」

「私そういう風に言われるの嫌いです」


 珍しく雪がはっきりノーを突き付ける。

 なにやら、今までのやりとりを見てると雪と星野の仲が良くないようにみえる。

 というか、雪がやたらつっかかる言い方をする。


「兄さん、早く帰ろう」


 そう言って、雪が俺の服の裾を引っ張り手を握ってくる。

 それを見た星野が何か驚いたように長いまつ毛をぱちくりさせる。

 

「あー、なるほどそういうことねーー」


 星野が合点が言ったといった感じで一人でうんうんとうなづく。


「じゃあ星野、俺らそろそろ帰るな」

「はーい、またね歩。雪ちゃん」


 と、帰る前に星野に言っておきたいことがあった。


「星野」

「どうした?真面目な顔して」

「俺に何かできることあるか?」

「あははは。あゆむー。今そんなこと言っていいの?」

「えっ何で?」

「んーじゃあ、折角だしそうだなー」


「前みたいに名前で呼んでよ」




※※※




「私あの人苦手かも」


 部屋に戻ってくるなり雪がそう言ってきた。


「何かそういう感じだよな。雪がそういうこと言うのって珍しいな」


 雪がはっきりと他人に対してそういうのは俺の記憶の限り初めてのことだった。


「だって、だってさ。名前呼びってさー。うー」


 雪が一人でうなだれている。


「何だよ、言いたいことあるなら言っとけよ」

「あるけど言えないもん」

「めちゃくちゃ気になる……」


 とは言っても、これ以上は聞いても答えなさそうだったのでとりわけ詮索はしないようにする。


「私、あんまり兄さんに避難所行ってほしくないかも」

「なんで?別に俺も特別行きたいわけじゃないけど」

「なんでもったらなんでもだし」


 そう言うとまたはぐらかされる。

 何だか最近、この思春期の娘は不可解な言動が多いような気がする。


「兄さんは私とここにずっと引きこもってればいいんだよ」

「おー、ようやく雪も引きこもりらしくなってきたな。さすが俺の妹」


 妹の成長に喜ぶ俺。いや、あんまり喜んじゃダメなんだけど。


「――その妹っての嫌」


 雪が深くそう呟いた。


「嫌だって言っても、俺の妹だろ雪は?」

「……そうだけどさ」


 納得がいっていない様子の雪だったが、これ以上この話題について雪から話を広げることはなかった。




※※※




「兄さん、一緒に寝ていい?」


 雪が襖越しに声をかけてきた。


「別にかまわないよ」


 もぞもぞと雪が俺の布団に忍び込んできた。


「体調はもう大丈夫そうか?」

「ダメっていったらこの前みたいに優しくしてくれる?」

「そりゃそうだろ」

「じゃあ、ずっと具合悪いままでいようかな」


 そう言うと、雪が俺の胸元に顔をうずめてくる。


「兄さんいい匂いする」

「匂い嗅ぐな変態」

「兄さんが良いっていうなら変態でもいいもん」


 そんなめちゃくちゃなことを言ってくる。深夜テンションで多分今何言ってるかわけ分からなくなってるなこいつ。


「兄さん、ぎゅっとしてよ」

「はぁ、最近の雪は甘えん坊だな」


 そう言って雪の細い背中に手をまわして、頭を撫でてやる。


「んっ……兄さんに頭撫でられるの気持ちいい」

「そりゃ良かった」

「兄さんは私とずっと一緒にいてくれるよね。誰のところにも行かないよね」

「……前も約束しただろ」

「――うん」

「私のほうが名前で呼んでもらってるもん、負けてないもん」

「何の話してんだ……」


 朦朧としていて雪の意識はほとんどなく、そのまま眠りについてしまった。

 俺は雪の女の子の部分の柔らかさが気になって中々眠りにつくことはできなかった。


 「はぁ、困ったな」、思わずそんな言葉と大きいため息がでた。

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