幕間 雨宮雪

 私の兄の名は雨宮 歩という。


 「雨」に「歩く」と書くものだから、子供のころはクラスメイトに「雨のときはあゆむじゃなくて走らないとなー」とか、からかわれたときがあるらしい。

 本当にくだらないと思う。


 本人は髪を天パだくせっ毛だと気にしているが、よく言えば無造作ヘアみたいに見えないこともないので私は割と好きだった。


 兄の性格は一言といえば、ただのめんどくさがりやだった。


 布団は基本敷きっぱなしだったし、ごみも洗い物も一片に片付けようとして溜めとくタイプの人間だった。


 ただそのめんどくさがりやの反面……すごく要領のいい人だった。


 そういったごみや洗い物を溜めていても誰かに小言を言われる前にいつの間にか終わらせていたし、やると決めたことに対してはすごくスピーディに終わらせていた。


 ……まぁ終わらせたあとは決まってぐーたらしていたのだけど。



 ――そんな兄との出会いは、私が十一歳の頃、人生で一番喧嘩したときだった。


 喧嘩の相手は母親だった。


 うちの母親はすごく自由奔放な人で、特に男の人関係にだらしのない人だった。


 そんな母親がある日、いつもとは違う様子で、ある男の人を連れてきた。


 「雪ちゃん、この人が新しいお父さんよ」

 「はじめまして雪ちゃん、雨宮 奔 (あまみや はしる)と言います」




※※※




 その後のことは、よく覚えていない。


 急に知らないおじさんが来てお父さんと呼べとか、今後の生活のこととかでぐるぐる頭が回ってしまっていた。


 そのおじさんにも連れ子がどうとかの話を聞いたが、頭の中はそれどこじゃなかった。


 そんな、慌ただしさで時間がただただ過ぎ去っていく中で、ついに両親の家族の顔合わせというものが実現してしまった。


 雨宮さんは一戸建てのきれいなおうちに住んでいるらしく、そのおうちでうちの母親が食事を作って、家族で顔合わせをしようという話になったらしい。


 当日、私はいかにしてその場に行かない方法ばかりを考えていた。体調が悪くなったとか、友達と用ができたとかそんな言い訳ばかりを考えていた。


 しかし、結局家族の顔合わせ以上の予定が思い浮かばず、渋々母親に連れてこられて当日を迎えていた。


 「雪ちゃんも大きいおうちのほうがいいわよね」


 ―――そんなことない。


 「家族が増えるっていいことだよね」


 ―――そんなことない。


 「これからは、いつでもここに住んでもいいんだよ」


 ―――そんなことしたくない。




※※※




「お母さんは!本当に自分勝手だ!!」


 気づいたら私は、雨宮さんの家でそんなことを叫んでいた。


「雪ちゃん!奔さんの前でなんてことを言うの!」

「まぁまぁ花さん、知らない家にきて緊張もしているんだろうし、ごめんね雪ちゃん」


 知らない人に雪ちゃんなんて呼ばれたくない!

 そんな思いばかりが強くなって、私はいつの間にか外に飛び出していた。


「雪!いい加減にしなさい!」


 お母さんのそんな声がしたが、私は無視して思いっきり外に向かって駆け出した。




※※※




 家を飛び出してから、一時間くらいは経っていたと思う。


 そこらへんを走り回って、疲れて、公園のベンチで休んでいた。気づいたらもう日も沈んで真っ暗になっていた。


 「帰らないといけないのかなぁ」


 そんな憂鬱な気持ちでいると、若い男の人がぜーぜーと息を切らせて話しかけてきた。


「はぁはぁ……やっと見つけた……」

「どちら様でしょうか?」


 私が、小首をかしげていると


「ははっ、小さいのに礼儀正しいね」


 と、やや軽薄そうな顔でそう言ってきた。


「俺の名前は、雨宮 歩 (あまみや あゆむ) 。さっきの自己紹介聞いてなかった?」

「あー……」


 嫌な予感がした。この人が私の兄になるらしい。

 大方、親に言われて私を連れ戻しにきたのだろう。


「はー、ちょっと休憩、隣いい?」

「……」


 返事をきくまでもなく、私の横に腰をかけてきた。


 私はこの男の妹になるらしい。よく分からない父親によく分からない兄、あともう何名かいた気がするがそれすらもよく覚えていなかった。


 そういった人に話しかけるのも憂鬱でしばらく何も言わず黙っていた。


「……」

「……」


 どちらかががしゃべりだすわけでもなく、沈黙が流れて小一時間が立っていた。


 なぜか、どちらから話しかけるかのチキンレースをやっている気分になってきてイライラしてくる。


「私を連れ戻しに来たんじゃないんですか」


 先に痺れを切らしたのは私だった。

 できるだけ拒絶の意志をのせてこの男に言った。


「いや別に」


 何もなかったかのようにそう言いのけた。


 ますます訳が分からなくなった私は「じゃあ何しにきたんですか」と嫌味たっぷりに返す。


「んーと、月島さんだっけ? あなたと同じ、俺もサボり」

「同じサボりなら別に一緒にいる必要なくないですか」

「小学生なのにひねくれてるなー、別に俺が勝手にここにいるだけなんだからよくない?」

「よくないです」


 突き放すように言い放つ。


 今考えると本当にひどい対応だったと思う。

 そんな対応を無視して兄になるだろう人は口を開きはじめた。


「やってられないことばかりだよなー。まぁ親の人生だし知ったこっちゃないんだけどさ」

「知ったこっちゃない?」

「知らないってこと。親に振り回されて月島さんも大変だね」

「……」

「まぁ、俺は別に兄と呼べとも言わないし家族になろうとも思わない。君も好きにすればいいと思うよ」

「いいんですか? そんな勝手しちゃって」

「家あんな勢いで飛び出したくせに、もう勝手してるだろ」

「……」

 

 何も言えずに私がいると、そのままこの男の人は話を続ける。


「親が勝手にやってるんだからこっちも勝手にやるっつーの、大体君のお母さんのこと母親って呼ぶ気にならないし」

「私はあなたの父親のことお父さんって呼べません」


「だって」

「どーせ」

「「飲み屋でひっかけてきた人だから!!」」


 声がハモった。

 兄となるだろう人がククッと笑っているのが聞こえた。

 私も連れられて思わず笑ってしまった。


「よく知ってるじゃん」

「自分の母親なので」

「さすが」


 「さてと」と背を伸ばしながら若い男の人は言う。


「俺はそろそろ戻るけど君はどうする」

「・・・私もそろそろ戻ります」

「そっか」


 どこか気持ちが軽くなった気がする。


「ところで」

「ん?」

「どうして、あんな息切らしながら私のこと探してたんですか」


 と、素朴な疑問を投げかけてみる。


「別に、ただサボり仲間探していただけ」」


 兄になるだろう人はぶっきらぼう本当に何でもないっていた様子で返事をする。


 いくら幼い私でもそれが言葉通りの意味だけじゃないということは分かった。

 このやり取りが微妙に心地よくて、沈んだ気持ちがいくらか晴れていくのが分かった。


 


 ――今思えばこの時からこの男の人に恋をしはじめていたんだと思う。

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