第12話 お粥の味は

 珍しいことがおきた。


 雪が起きてこないのだ。


 いつも俺が起きる時間帯には、ビシッとしている雪が俺より起きるのが遅いのだ。


 最初は、そんな日もあるかなと軽く考えていたのだが、あまりにも遅いので雪の部屋(男子禁制)の襖を開ける。


「ゆきー、大丈夫か」


 布団がもぞもぞっと動くのが見える。どうやら本当に寝ていたらしい。


「どうした具合でも悪いのか」

「すいません兄さん、今日何だか調子悪くて」


 ケホケホっと咳き込む。


「部屋入るぞ」


 雪の枕元に行き、顔を近づけて顔色を見る。


「顔色良くないな」

「なんだろう、風邪かなぁ」


 雪の前髪をかき上げておでこを触る。


「んっ、兄さんの手冷たくて気持ちいい」

「ちょっと熱っぽいかな、今タオルしぼってくるからちょっと待ってて」


 急いで洗面所に行きタオルと水を用意する。市販の風邪薬を押し入れの中から取り出す。


 この生活で恐れていることが起きてしまった。体調が悪くなったときに医者に診てもらえないのだ。


 それに、パンデミック後の体調不良となるとどうしてもアレを想起させてしまう。


「なんでもありませんように……」


 祈るようにそう呟かずにいられなかった。




※※※




「なんだか今日の兄さん優しい」

「そんなことない、いつも俺は優しいぞ」


 雪の枕元でタオルをしぼっておでこにのせる。

 薬を飲ませるためにパックのご飯で簡単にお粥も作ってきた。


「ふふっ、こんなに優しくしてもらえるならたまにはこういうのもいいかな」

「良くないわ、看病めんどくさいんだから早く元気になってくれよ」

「また、そういうこと言う」

「ご飯少しでも食べて、薬飲もう」

「んー食欲ないけど分かった」


 雪にお粥の茶碗とスプーンを渡す。


「兄さん」

「どうした、早く食べて薬飲んで寝なさい」

「……ご飯食べさせて」

「それくらい自分でできるだろ」

「私、病人」


 そういって茶碗をこちらに差し出す。


「はぁ、しょうがないなぁ」


 ふーふーと息をかけてスプーンに乗せたお粥を冷ます。


「ほら、あーん」

「あーん」


 雪の小さい口にスプーンを入れる。


「……んっ。美味しいけど、もうちょっと塩気がほしかったかな」

「そうか? さっき味見したときは丁度良かったんだけど」


 雪の口に運んだスプーンを使って、俺もお粥を味見してみる。


「あっ」


 雪が何かに反応した。


「んー、確かにちょっと薄いかな。ちょっと醤油使うか?」

「兄さんはもっと色々気にしてほしい」

「えっ、ちょっと味薄いくらいでそこまで言うか」

「そういう意味じゃない」

「なんだそりゃ、よく分からないこと言ってないで早く食べろ」


 スプーンを雪の口元に運ぶ。為されるがままに口を開けて食べる雪であった。

 


※※※




「兄さん、私が寝るまでそこにいてくれる?」

「あぁ、いるから安心してゆっくり寝な」


 薬を飲んで再び寝る体制に雪が入る。


「兄さん手を繋いでいてくれますか」


 布団からひょこっと雪の白くて細い手がこちらに向けられる。


「なんだ、今日の雪は甘えん坊だな」


 優しく包み込むように雪の手を握る。


「ふふっ、兄さんの手おっきい」

「そういうお前の手はちっこいな」


 小さい手でぎゅっと俺の手を握り締める雪。


「最近、ちょっと頑張り過ぎたかな」

「あー、熊田さんのところ行ったりしたしな。知らぬ間に疲れていたのかもな」

「そうなのかなぁ」


 どこかうつろ気に話す雪。


「早く良くなってくれよ、俺の好きなものばっかり作ってて雪の好きな食い物まだ作ってないぞ」

「ははっ、覚えていてくれてたんだ、私お団子食べたい」

「あぁ、粉使って一緒に作ろう」


 そんないつでもできる約束をする。


「兄さん」

「んっ?」

「私が発症したら、兄さんは私のこと忘れて早く逃げてね」

「……」

「私、兄さんと一緒に暮らせて楽しかったなぁ」


「やめろ!!! 縁起でもない!!!」


 思わず声を荒げてしまった。


 この世界で具合が悪くなるということは、どうしてもそれを疑ってしまうのだ。ただの風邪かもしれないし、ただの疲労かもしれない。


 でも、どうしてもそれが頭をよぎってしまう。悪い方向へ悪い方向へと思考がいってしまうのだ。


「怒られちゃった」

「お前がバカなこと言うからだ」

「バカじゃないもん」

「大体ドライブ行きたいって話はどうした、映画だって見に行きたいって言ってだろ。人をその気にさせてといてそのままってのはナシだからな」


 そんな思考を遠ざけるべく、未来へできるだけ予定を残す。それが俺と雪のつながりになるのだから。


「そっかぁ、兄さんその気になってくれてたんだ。私とデートしてくれるんだ。楽しみだな」

「デートのつもりだったんか……」

「そうだよ、デートだよ」


 そう言うと、雪からスースーと寝息が聞こえてきた。

 手は握りっぱなしになっていてどこにも行くことができなかった。

 



●●●




 夢を見た。


 この世界が変わってしまって間もない時の夢だ。


『親父はどうせ花さんと一緒にシェルターに行きたいんだろ』


『歩、シェルターに行くにはお前が思ってるよりもずっとお金がかかるんだ、雪ちゃんはこの前の一次検査で陽性だったからシェルターに行けないのは分かってるよな』


『そんなの分かってる! けど雪を一人にはしておけないだろ。まだ中学生だぞ!』


『お前はこの緊急事態に綺麗事なんて言ってられるのか、シェルターだって今逃せばいつ入れるか分からなくなるんだぞ!』


『親父は雪のこと本当の子供じゃないからそんなこと言えるんだ! それを葉月はづきすすむに同じこと言えるのか!』


葉月はづきすすむはお前と違ってちゃんと分かってくれたぞ、雪ちゃんには気の毒だが家族に危険があるかもしれない以上置いていくしかない」


『俺は血のつながりなんてなくても雪のこと見捨てられない』


『じゃあお前は血のつながりある葉月と進と、血のつながりのない雪ちゃんとどっち取るんだ』


『……葉月はづきすすむには父さんと花さんがいるんだろ。だったら――』

 



●●●




「兄さん、起きてよ」


 ゆさゆさと体を揺さぶられる。

 どうやら寝てしまっていたらしい。


 何かあまり良くない夢を見ていた気がする。


「雪っ! もう大丈夫なのか!?」


 バッと雪の様子を見る。雪の顔色は随分良くなっていた。


「もうバッチリだよ! 昨日随分寝たからね!」

「良かった! ってあれ? 今何時だ?」

「七時だよ」

「夜の?」

「朝」


 まさか丸一日近く雪と寝てしまっていたらしい。

 具合が悪かった雪ならともかくこのていたいらくに自分でも飽きれる。


「雪! ホントに具合は大丈夫なのか」

「だから大丈夫だって!元気ありあまってるくらい!」

「良かった……」


 ふいにポロっと涙が頬を伝う。


「に、兄さん!?」

「えっ」

「そ、そんな泣かなくても」

「ち、違う! これは寝起きだから」


 思わず顔を腕でごしごしと拭う。


 油断した。


 安心したら気持ちが緩んでしまったらしい。


「ありがとう兄さん。ずっと手を繋いでいてくれて。おかげで雪はバッチリです」


 こっちにVサインを作って向けてくる。

 それが嬉しくて思わず笑ってしまう。


 そう、まぎれもなく雪は俺の家族なのだ。

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