第8話 さらば味噌煮缶

「兄さん、向こうのおばあさん、おすそ分けで煮物くれるって」

「うぉおおお」


 向こうのおばあさんが、いつものスケッチブックを持ってふりふりとこっちに掲げていた。「煮物食べる?」と書いてあった。雪はカレンダーの裏側の真っ白な面を向こうに見せて「ぜひ!」と書いてやり取りをしていた。




※※※




「煮物楽しみだなーマジで」

「兄さん、そんなに煮物好きだっけ?」


 出かける準備をしつつ、雪が言う。

 これから、向かいのおばあさんちにおすそ分けを取りに行くのだ。

 食べ物のためなら引きこもりと言えど、外にでるのもためらわないのである。


「里芋の煮物とか最高だろ!」

「ふーん」


 今日は髪型を低めのサイドポニーにしていた。

 深緑のブレザーで緑のチェックのスカートの中学の制服を着た雪が気だるげな表情でこちらの準備を待っていた。

 久しぶりに外に出るからなのかやたら身だしなみに気合が入っている。


「何か貰うなら、こっちも何か持ってかないとな」


 ごそごそとキッチンでこちらもおすそ分けできるようなものを選別する。

 お年寄りって缶詰とかでいいのだろうか。あっても邪魔にならいないやつにしないとな。


「あっ、私缶詰であげるならおススメのやつあるよ」

「おっ、どれだ?」

「この前の鯖味噌煮缶まだいっぱいあったでしょ!」

「あるけど、なんでおすすめなのさ?」

「飽きたから」

「おい」




※※※




 マイブームだった鯖味噌缶を献上すべく、お隣のおばあさんちに向かう。

200メートル先なのですぐそこだ。

 見渡した限りゾンビがいるわけでもなく、そんなに危険はないだろうが雪一人で行かせるわけにはいかないので、俺も一緒に行くことにした。

 この前、雪が見かけたというゾンビの行方も気になるといえば気になっていたからだ。



ピンポーン


ピンポーン



 インターフォンを鳴らす。


「はーーい」


 玄関の向こうから、どだばたと白髪のおばあさんが出てきた。


「あーーー!いらっしゃい!どうぞ、どうぞ上がって!」

「あっ、いえ……お邪魔になってしまいますのですぐ……」


 と、雪が言いかけたが、


「いいからいいから」


 ぐいぐいと中に案内されてしまった。




※※※




「雪ちゃん、また大きくなった!?」

「そうですか? 自分では分からないので……」


 テンション高めに次から次へと質問される。


「お兄さんはこうやってお話するのは初めてね、あら! 近くで見るとイケメンじゃない!」

「うちの兄も、熊田さんのこと可愛いって言ってました」

「雪っ!」

「あらま! うれしいねぇ、私があと50年若かったら!」

 

 雪とは、例のベランダのやりとりで自己紹介済みだったらしい。雪も直接話していたわけではないと思うが、直接話していた“てい”になっていた。初めて会ったとは思えないテンションで話かけてくる。


「こういうご時世だからねー、中々人とも会えないから今日は嬉しいわ」

「いえいえこちらこそ、僕も雪も料理できないので煮物いただけるなんて本当嬉しいです」

「年寄一人だとどうしても作りすぎちゃってね、私もありがたいわ」


 熊田さんは何やら、お庭で趣味の家庭菜園をやっていて一人で食べるのも余らせてしまうほど本格的にやっているらしい。


「時々、こうして貰ってくれると嬉しいわ」

「……いいんですか、僕たちから何かできるものってないですし、心苦しいです」

「ふふっ、そんなことないわよ。さっきおいしそうな缶詰もいただいちゃったしね」

「それ、兄のおすすめなんです」


 よそ行きモードになった雪がクールに返す。


「じゃあ、こうして時間あるときにお話し相手になってもらえると嬉しいわ」


 ニコニコと熊田さんが言う。裏表のない笑顔に自然ととこっちも暖かい気分になってしまう。


「こういうご時世でしょ、助け合わなきゃ。お金のある人はみんなシェルターに入って新しい生活を築いていって。シェルターの外にいる人間は“人にあらず”みたいな扱いじゃない。それこそ、感染した人と一緒の扱い。感染した人だって人間よ。誰も悪くないのに不思議よね」


 ほんの一瞬だけ寂しそうな顔をして熊田さんはそう言う。何か思うことがあるのだろう。なんとなく、ご家族のことについて聞くのは失礼な気がして聞くことはできなかった。


「それにしてもびっくりしたわ!」


 突然、話題を変えて大きな声を出す熊田さん。


「二人とも、ここに来るとき手を繋いでくるんだもの、本当に仲のいい兄妹なのね!」


 カァーっと一瞬で真っ白な肌が真っ赤になる雪。


「あ、あれは兄がどうしてもって……」

「捏造よくない」

「ふふふっ、本当に雪ちゃんはお兄さんのことが大好きなのね」

「ーーーっ!」


 恥ずかしさのあまりうつむいてしまう雪。

 熊田さんも意外と人が悪い。

 仕方がないので助け舟を出してやることにした。


「この前の朝、熊田さんのお庭の近くに例のゾンビっぽいのが見えたって言うんですよ、それで少し心配になって」

「あら、そうだったの」


 熊田さんは「うーん」と人差し指で頭をさして、考えている身振りをする。

なんていうか、この人は仕草一つ一つに愛嬌がある気がする。


「私、菜園やってるじゃない。近くにいたらすぐ気づいておうちに引きこもっちゃうと思うわ」


 何事もなかったかのようにケラケラと笑う熊田さん。熊田さん側は何も知らなさそうだ。


「そうですか、それなら全然良かったです。良かったな雪」


 茹でたタコになっている雪に話をふる。


「う、うん」


 どこかほっとしたような顔をする。


「じゃあ、そろそろ俺たち戻ります。ありがとうございます」

「はーい、また来てね。雪ちゃんも、また大好きなお兄さんと一緒にきてね」


 少し意地悪く言う熊田さん。この人、絶対に最後までいじり倒さないと気がすまない人だ。


「は、はい! また来ます」


 ニコニコと笑っていた熊田さんだったが、帰り際にふと見せた真剣な表情が妙に俺の頭から離れなかった。

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