第7話 ねぐせ
未知のパンデミックが起き、しばらくすると政府から緊急隔離命令が発令された。
感染度がひどい地域は感染を食い止めるため、人の流れ・物流を完全にシャットダウンするというものだった。
そして、まるで準備されていたかのごとく途轍もない大きさのドーム型のシェルターが各地にでき、感染していない人間はそこに避難すると行った形が取られた。
しかし、そこに入れる人間は無限でない以上、人数制限が設けられ、そのドームに入るには厳しい審査があった。一つは寄金という名の莫大なお金の納付。もう一つは厳密に診査された健康体の男女しか入れないものだった。その診査にも莫大なお金がかかるらしい。
そうなると、そこに入れるのは富裕層しか入ることができないというのが現状だったが、こういった状況であるので様々な方法でシェルターに入るためのお金の工面を各自がすることになった。そうこうして、現在シェルターの入居率は7割を超えるほどになっているらしい。
しかし、シェルターに入ることができなかった人間はどうなるのか。
当然、やれ差別だやれ格差だと抗議をすることになった。今は初期のころに比べ、そういった暴動は落ち着いているが、ドームに入ることができなかった人間の火種はなおくすぶっている。
※※※
「兄さんすごい寝ぐせだよ」
雪はいつも俺より早く起きてしゃんしている。
この前も一緒の布団で寝たはずだったのに、俺が起きたころにはもう身だしなみが整っていた。
「これは天パだ天パ」
「あー兄さんくせっ毛だもんね、けどそれは寝ぐせでしょ。早く洗面で直してきなよ」
「誰に会うわけでも出かけるわけでもないしなー」
人に会わなくなると、自分の身だしなみって全然気を使わなくなるらしい。仕事があるときは早く起きて髪もちゃんとセットしてたっけ。
「雪は毎日ちゃんとしてて偉いよなー」
「どうしたの急に」
「いや、毎日髪の毛とかちゃんとしてるなーと思ってさ」
雪の肩ほどある真っ黒な長い髪はいつも寝ぐせなどはなくサラサラだった。今日は特に髪を結んでたりはしていなかったが、たまにサイドで結んだり、ポニーテールにしたりと髪型のバリュエーションが豊富だった。
「ちゃんと見てくれてたんだ」
と、なぜか照れくさそうにお礼を言って髪の毛をいじいじする雪。
今日は寝すぎて怒られると思ったけど機嫌は悪くなさそうだった。
「私、今日はこの前の料理にリベンジしてみようと思うんです」
薄い胸をつきだして張り切っている様子の雪。
「え゛」
「この前兄さんも手伝ってくれるって言ってくれたし」
「お、おう、もちろん俺も手伝うよ」
突然やってきたピンチにできるだけ明るい声で返事をする。
「いいの?」
「も、もちろん!!」
「やった!」
雪が楽しそうだからまぁいいかと、なんだかんだで妹の笑顔に弱い俺であった。
※※※
「兄さんって割と何でもできるよね」
「なんだよ、急に」
「いや包丁とかも使えるし、手際もいいなーって」
「そりゃ昔、スーパーの魚屋で働いていたから包丁は使えるけど、料理できるわけじゃないしこの鯖缶ハンバーグも本の通りにやってるだけだからな」
「ふーん」
「大体、お前より歳取ってるんだからお前より色々できて当たり前だっつーの」
「でましたでました、アラサー発言」
「・・・言っとくけどまだ20代半ばだからな」
「四捨五入したら?」
「・・・・・・・30」
「正直でよろしい」
何故か負けた気分になる俺。
自分より一回り近い年下の子に負ける情けなさよ。
「賞味期限とかせまってるから調味料とかも段々気にしないとだよなー」
と俺がぼやくと、
「まだしばらく大丈夫だよ、それにこの時世に賞味期限なんてこだわってるのおかしくない」
雪が正論で返してきた。
「そうだけど、腐ったりしたらさすがに食べられないし」
「そうなる前に食べるから大丈夫、任せて」
雪が力強くそう宣言するのであった。
※※※
社会が崩壊する前は仕事もあり色々なものに縛られていた。
納期、ノルマ、アポイント、次はこの資格を取れ、次はこの勉強をしろ。
当時はそういったものが煩わしかったし、毎日そういったやり取りで気持ちが摩耗していくのが自分でも分かっていた。
――ただ、いざこういう生活になるとそういったものも懐かしくなるのだから不思議なものだった。結局はないものねだりなのかもしれない。
<人間は自由に憧れながら不自由を美徳とする生き物だ> 、ある書籍でそのように書いてあったが全くもってその通りだった。
「雪は偉いな」
「そう?」
上手くできたハンバーグを食べながらそんな話をする。俺が手伝ったということもあったが、雪自身も間違いなくこの前よりは成長している。
「こんな世の中なのに、色々やってみる気があってさ。今日の料理もそうだし、毎日の身だしなみとかもちゃんとしてるしさ」
「うーーん」
「俺なんか全然ダメだなー、まぁ今の引きこもり生活全然気に入ってるんだけどな」
と雪のちょっとした成長に感嘆しながらも軽口をたたく。
そうすると雪は一旦、ハンバーグを食べていた箸を止めてこう言った。
「それはね、兄さん。ちゃんと見てほしい人がいるからだよ」
雪は真っ黒な大きな瞳でまっすぐに、どこまでもまっすぐにこちらを見つめていた。
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