第1話 バスルームと落ち着かない妹
ライフラインが止まっていないのは本当に幸運だった。
世の中は色々変わってしまったが、電気・水・ガスが通常通りということは最低限の生活は保障されているようなものだったからだ。
エアコンがあるので快適な室内温度は保たれるし、水があるのでとりあえずお風呂だって入れる。水洗のトイレだってちゃんと使えるのだから文句なしだ。
※※※
1月中旬
「兄さん、お風呂どうぞ」
風呂上りの雪が黒髪をわしゃわしゃと拭きながら、ほてった顔で俺に声をかける。
「はいよー」
軽く返事を返す。
雪はいつも風呂上りは中学の紺色のジャージを着ている。まだ高校に上がっていないのだから当たり前といえば当たり前なのだが、中学のジャージを着ていると成長途中の体とあいまって本当に幼く見える。
「今、失礼なこと考えてなかった?」
まじまじと雪を見つめていたら、雪が訝し気な顔でこちらに言い寄ってきた。何故かこういうときのカンはすごくいい。
「何も考えてません」
「胸のあたり見てた気がした」
「……見てないので濡れ衣はやめてください」
「ほんとかなぁ、兄さんすぐ顔に出るし」
雪はそう言うと、読みかけの本に手をかけた。
「この本に書いてあったんだけど、セクハラって被害者がセクハラされたって思ったらセクハラになるんだって」
「なにそれ怖すぎる」
私、セクハラされましたとばかりにそんな話を雪がする。
「兄さんって大きいの好きそうだもんね」
「……一応聞いとくけど何の話?」
「ですから、む、むねの」
本に目線をやって誤魔化しているが、耳まで真っ赤になっていた。。自分で照れるくらいなら話振らなきゃいいのに……。
「別に大きいの好きってわけじゃないし」
「そ、そうなの?」
「好きな人のならサイズとか関係ないと思うけどなぁ」
割と真面目に答えてしまった。妹になんの話してるんだと少し後悔する。
「そ、そうなんだ……」
そういうと、雪は自分の胸に手を当てた。残念ながら大きいとはほど遠いサイズ感だった。
「わ、私、自分の部屋戻るね」
そう言って、気恥ずかしそうに奥の和室に戻っていった。
自分で聞いといて、半分自爆してないかあいつ……。
そんなことを考えつつ、俺は風呂場に向かった。
※※※
「ふーーーきもちーーー」
アパートのお風呂は足がのばせるほど広いわけではないが、それでも湯船につかるというのが気持ちがいい。
もう一人の同居人がいるので、実質アパート内には自分一人のパーソナルスペースというのはほとんど確保できていないようなものだった。
それは、元々一人が気楽で好きな俺にとって微妙にストレスに感じることもあった。ただ、お風呂に入っているときはそこは完全に自分のパーソナルスペースと変わる。そんなこともあって、何か考えごとしたいときなどはついつい長風呂になってしまっていた。
これからのことについて、不安がないわけではない。
ライフラインはいつ止まってもおかしくないし、現状の食料も無限ではない限り、調達はできてもいつかは必ず限界はくるのだ。
雪のことについてもそうだった。今頃は、中学校最後の生活を謳歌にしているに違いないのにこうして俺と無為な日々を過ごしている。そのことについて思うことがないわけではなかった。
しかし、今できることと言えば今の生活をできるだけ楽しむことのみで特に何か解決策があるわけでもなかった。
自分一人だったら楽観的にいけたのになぁと思いつつ、雪の存在に助けられている部分もあったのでなんともなんともな状態である。
「まぁ考えても仕方ないか」
考えても自分の力で解決できないものは考えない。
俺のポリシーの一つだった。そんなことを考えつつバスルームをあとにした。
※※※
キッチンで風呂上がりの水を飲んでいたら雪が慌ただしくこちらに話しかけてきた。
「に……にににいさん!」
「うるさいなぁ、なんだよそんな焦って」
「せ、洗面所で何か見ませんでした?」
「あー、何か花柄の可愛い下着が置きっぱなしになってたぞ」
「ばかっ! 見ないフリしてくれてもいいのに!」
「えー……自分で聞いといて」
いそいそと洗面所に向かって下着を回収しにいく雪。これでも学校ではクールキャラで通っていたらしいから笑えてくる。
「兄さんのばかばか!」
洗面所のほうから声が聞こえてくる。俺は悪くないので完全に言われ損である。
「うぅー……また見られたー……」
「そういう見せるのは彼氏だけにしとけよ」
「彼氏になんか見せないもん!ってかそもそも彼氏何かいらないもん!」
頭から湯気がでそうなくらい真っ赤になる雪。元が色白だから顔が赤くなるとそれ相応に目立ってしまうのである。
「えー、ずっと一人は寂しくない……?」
「兄さんに言われたくない」
「ぐっ……」
とびっきりの会心の一撃が入った。
確かに仕事ばかりで浮いた話はなかったけどさ。
「……それにね、兄さんがずっと一人だったら私が面倒みてあげるよ」
「……」
「どしたの兄さん?」
「妹に言われても全然嬉しくない……」
「いいこと言ったつもりだったのに! ひどい!」
そう言いつつ、雪が本当に彼氏連れてきたときのことを考えると、少し寂しいなと感じる自分に少し苦笑してしまった。
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