第11話 爪先はいつだって揃わない
修司の運転する車で一時間程かけて着いたのは、以前志穂と遭遇した時に訪れた駅の近くにある、住宅街の中だった。
分譲住宅の一つらしく、似たような住宅が幾つも立っている中、車が停まったのは、白とベージュを基調とした外観が可愛らしい家で、年数も然程経っていないか、もしくは新築なのだろう、僅かな隙間に造られた小さな庭も綺麗に調えられている。
未成年の少女を車に乗せた上に、兄の家に連れていっている、と言う事実に頭を痛めているらしい幸喜は、車の中でも度々降りるよう説得してきたが、茅乃は頑として聞き入れようとはしなかった。
強引についてきたのだけれども、修司の奔放さと強引さが前面に出ている分、茅乃は然程引け目を感じていない。
幸喜自身、困り果てている顔をしているけれど、怒りはしていないので、恐らく許容範囲内なのだろう、と考えて、茅乃は我儘を押し通してしまっている。
「……、一軒家、なんだな」
車を出て、家をぼんやりと眺めた幸喜は何処かほっとしたようにそう言った。
意外、という意味なのだろうか。
不思議に思って幸喜を見上げるけれど、茅乃にはその意味がわからずに、彼の横顔を隣で見つめた。
「こっちのが安心するからね」
修司は眼を眇めて頷くと、幸喜の頭を撫でている。
二人にしか理解出来ない何かがあるのだろう、それが、少し淋しい事のように思えて、茅乃は緩く唇を噛んで、家に入る二人の後を追った。
「おかえりなさい」
玄関へ入れば、どうやら修司が知らぬ間に連絡を入れていたらしく、迎えてくれた志穂は、いるはずのない茅乃がいる事にも驚かず、柔らかい笑顔を浮かべている。
優しそうなその姿は、駅で会った印象のままだ。
既にスリッパを並べて待っていてくれた彼女は、幸喜の顔を見ると、頰を押さえて困ったように眉を下げている。
「幸喜くん、色々とごめんね」
「こっちこそクソ兄貴がごめん。今回も全面的に修司が悪いだろうし、謝らなくていいよ」
あの時酷く動揺していた幸喜も、何故だか今はすっかり落ち着いて話をしていて、茅乃は思わず二人を交互に見た。
駅で会った時のあれは何だったのか、と思いはするけれど、幸喜は志穂に手土産を渡しているし、志穂はそれを受け取って喜んでいる。
相変わらず距離感はあるものの、それなりに親しい間柄なのだろう事は、二人の話を聞いているだけでもすぐに知れた。
茅乃はすっかり疑問だらけで困惑していたが、二人の話を聞いている限り、どうした理由があるかははっきりしないけれど、幸喜は意図的に二人と連絡を断っていた、らしい。
その上、知らない間に引っ越しすらしていたというから、余計に茅乃は驚いてしまう。
一体何故そんな事になっていたのか気になって仕方がないのだけれど、二人の話に無理やり入るのも、幸喜にそれを聞いてしまうのも憚れて、茅乃は落ち着かない気持ちのまま、二人の話の端々を拾い集めながら、自分なりに内容をまとめているしかない。
志穂は偶然駅で幸喜達と会った事を修司に話したそうだが、内容として話した事はそれだけで、何処でいつ会ったかも伝えてはいなかったけれども、ものの二週間程で今日幸喜を此処に連れてくるまでの準備までしていたそうだ。
人懐っこい笑顔で誰とでもすぐに仲良くなれるという修司は、引っ越し先はおろか、ありとあらゆる人脈を駆使して意図的に途絶えさせていた連絡先まで見つけ出してきたのだという。
気がついた時には隣に座っている同僚から、昨日お前のお兄さんと飲みに行っていたんだ、などと聞かされ、その日は一日中頭痛が治らなかった、と幸喜は苦々しい面持ちで額を押さえている。
神妙な顔の二人の様子に、茅乃は修司の人となりに恐ろしさを感じているが、当の本人はけろりと笑って洗面所で手を洗っているようで、洗面所からは鼻歌まで聞こえていた。
「あの、私まで突然お邪魔してすみません」
幸喜の後ろでおずおずと頭を下げた茅乃がそう言うと、志穂はほんの少しの間、不快ではないように見つめてから、ゆっくりと笑みを浮かべている。
「ううん。私、自分が作ったご飯を誰かに食べてもらうのが大好きなの。良ければいっぱい食べていってくれると嬉しいな」
「は、はい……」
突然の来訪にも関わらず、志穂は嬉しそうに中へ入るよう促してくれていて、それに茅乃は安堵しているものの、茅乃がどうしても気になってしまうのは、自分の家とは違う家の匂いだ。
どこか懐かしいような、ほっとするような……、それでいて決して馴染みのしない他人の家の匂いに戸惑ってしまい、茅乃は思わず身を竦めて足元を見つめてしまう。
形も大きさも違う靴が並んでいる、明るい玄関。
あたたかく迎えてくれる家の象徴、みたいな光景に、いつも、どうしたって、自分だけが異物のように感じられて、馴染む事が出来ない。
「もしかして、人の作る食事が苦手とか?」
「もしそうなら、市販のお菓子やレトルトもあるから、無理しなくて大丈夫よ。アレルギーや好き嫌いもあるだろうし、気になる事があれば遠慮なく言ってね」
不安気な様子に気がついたらしい幸喜と志穂が心配そうに言ってくるので、茅乃は慌てて首を振った。
「ち、違うんです。あの、人の家に入るの久々で……、それに、自分以外の人が作ったお家のご飯を食べるのも、久しぶり、なので」
戸惑いながらも茅乃が胸元で両手を握り締めてそう言うと、洗面所から顔を出した修司は不思議そうに首を傾げて問いかけてくる。
「もしかして、今は一人暮らしなの?」
「い、いえ、学校の寮で、暮らしてます」
遠慮の欠片もない修司のその問いかけに、茅乃は思わずすんなりと話をしてしまった。
知らない人に聞かれたなら警戒をしてしまうけれど、彼のタイミングの良さは絶妙で、考える暇もなく答えてしまった事に、茅乃は慌てて口を両手で押さえてしまう。
問い掛けたものの、修司は何の気もないのだろう、そっかそっか、と適当に相槌を打っていた。
「修司」
茅乃が動揺している事を理解したらしい幸喜は、少し強い口調で彼の名前を呼んでいたけれど、修司は眼を細めて見つめると、幸喜はいつ見てもかわいいなあ、などと言いながら奥に入ってしまっている。
「ごめんなさいね。修司くん、幸喜くんと会うのが久しぶりだし、幸喜くんのお友達が一緒で余計に浮かれてるみたい。後で言っておくから」
困ったように笑う志穂に促されて中に入ると、通されたリビングはこじんまりとしてはいるが開放的で明るく、入って左側には対面式のキッチンがあり、何処も綺麗に掃除が行き届いていた。
真新しいフローリング、アイボリーの壁紙、色合いの柔らかいカーテン、痛みのないリビングテーブル。
その穏やかで優しそうな雰囲気の室内に、茅乃は不思議と気持ちが落ち着いていくのを感じていた。
どことなく、自分の家に似ているからだろうか。
茅乃が見慣れない他人の家をあちこち眺めていると、先を歩いていた志穂が小さく声を上げている。
どうやらつまづいてしまったようで、慌てた幸喜が彼女の肩を押さえていた。
「大丈夫?」
「ごめんね。ありがとう」
ただ転びそうな所を助けただけ、それだけなのだけれども、茅乃はその光景に思わず眉を寄せてしまう。
自分が目の前で転びそうになったとしても、きっと彼は腕を掴む事すら躊躇してしまうのだろうな、と思ったからだ。
それはとても正しいのだろうけれど、とても、淋しい。
手を振り払われない事に安心しても、その先に淋しさがあるというのなら、一体どれだけ手を伸ばさなければいけないのだろう。
途方もない、と見つめた先の幸喜は、茅乃の視線に気がついたらしい、不思議そうに首を傾げている。
「何?」
「何でもないです」
茅乃が子供のように唇を尖らせてそっぽを向くと、視線を向けた先のキッチンで、志穂がてきぱきと食事の用意をしていた。
まろやかな匂いがしているので、帰宅の時間に合わせて準備をしていたのかもしれない。
「あの、何かお手伝いします」
慌ててキッチンカウンターに駆け寄ると、志穂は優しく笑いながら首を振り、大丈夫だよ、とリビングテーブルへ座るよう促してくれる。
気を遣ってくれているのだろうけれども、流石にただ待つだけというのは体裁が悪い、と茅乃が困っていると、キッチンの奥から顔を出した修司が水の入ったグラスを二つ手渡してくれた。
「気にしなくて平気だよ。俺も手伝うし、これ持って幸喜と一緒に座ってて」
「……はい、すみません」
そう言われてしまえばもう何も言い返す事も出来ず、茅乃はおずおずと促された席に着いた。
幸喜も志穂から水の入った二つのグラスを手渡されて適当にそれをリビングテーブルに置くと、茅乃の隣へと腰掛けている。
幸喜は普段茅乃と会っている時と変わらない様子で、それよりも何よりも茅乃が気になっているのは、幸喜が妙に志穂を気にかけているように感じられる事だった。
駅で会った時はそんな素振り少しも見せなかったのに、と茅乃が思わず頰を膨らませていると、不思議そうな顔をした幸喜が顔を覗き込んでいる。
「何怒ってるんだよ」
「別に怒ってません」
「怒ってんじゃん……」
意味がわからない、と呟いた幸喜の腕を、膨れっ面の茅乃が無言でぺちぺちと手のひらで叩くと、彼は困ったように頭の後ろを掻いていた。
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