第3話 取るに足らないもの、かもしれない
「どうして、ここにしたんですか?」
問い掛けに、目の前の幸喜は深く長く息を吐き出した。
二人が今いるのは、最寄り駅から少し離れた場所にある大型のショッピングモールだ。
オープンから大分経過しているからか、それとも、入っているテナントが代わり映えしないからか、少し寂れ気味ではあるのだけれど、土曜日の昼過ぎという時間帯だからか、それなりに人は入っている。
茅乃は幸喜と二階にあるフードコートで待ち合わせをして、ぎっしりと並んでいる店舗の中からファストフードのハンバーガーショップを選び、別々に会計を済まし、窓際の席で向き合いながら、ストローの袋を破ってカップに突き刺した。
学生やカップルや家族連れや老夫婦……、ありとありとあらゆる人々の中にいる二人は、然程目立った様子はない。
幸喜は細身の黒いスラックスにグレーのポロシャツを着ていて、以前見たスーツ姿よりすっきりして見える。
彼と出かけるという事を意識して、茅乃もいつもよりシックな丸襟のついた紺色のワンピースを選んで着てきたのだが、はたから見たら仲の良い兄妹のように見えるのだろうか。あるいは、叔父と姪のような。
身長差も年齢差もあるから……、恋人は、難しいかもしれない。
考えて、見つめる幸喜は少しも気にした様子はなく、茅乃は小さく唇を尖らせて足を揺らした。
あちこちで話し声がするので、彼の声は少し、聞き取り辛い。
「どこから見ても周囲が見えて開放的。必ず誰かしら人がいる。学生でも安心の価格設定で食事が出来る。これ以上に良い場所があるなら教えて欲しいよ」
奢って貰おうなどという気は更々ないので構わないけれど、開放的で周囲に人がいる、というのは、人の目を気にしているらしい幸喜にとっては、あまり好ましい立地ではないのではなかろうか。
茅乃はそう思うけれど、彼の考えは真逆らしい。
「大体、人目につかない場所で女子高生と三十近い会社員の男が会ってる、っていう方がおかしいだろうが」
「そうですか?」
よく考えてみるけれど、いまいち理解が及ばない、と茅乃は肩に頭がくっついてしまう程に傾ける。
幸喜は呆れた顔でハンバーガーの包みを丁寧に開きながら、「こないだ腕掴んだ男と密室に二人きりでもそんな事が言えんのか」と肩を竦めている。
彼が言っているのは、茅乃が幸喜を待ち伏せしている時に絡んできた、酔っ払いの大学生らしき男の事だろう。
あの時は幸喜が男を追い払ってくれたから良かったものの、彼がいてくれなかったらどうなっていた事か。
自分では全く敵わない、体の作りからして違う男性の手のひらが、強い力で掴んできた事を思い出すだけで、ぞわりと背筋が冷たくなってくる。
茅乃は思わず腕を抱えるように胸に押しつけて、頭を振った。
「そ、それは嫌です!」
茅乃が慌てて首を振りそう言うと、「だから態々こういう所にしたんだよ。理解してくれ。頼むから」と、彼は呆れた顔でハンバーガーを頬張っていた。
ばくり、ばくり、と食べていく彼の一口は大きく、その食べっぷりの気持ちよさに、茅乃は思わず笑みを浮かべてしまう。
その健やかさと大らかさが、茅乃をすっかりと安心させてくれるのだ。
「でも、幸喜さんは助けてくれたじゃないですか」
「やましい気持ちがなくても誤解されたら困るだろうが」
「誤解……」
別に、悪い事をしているわけじゃないのに、と思いながらも、この奇妙で不思議な関係性を言葉では到底言い表す事が出来なくて、茅乃はハンバーガーのセットでつけたポテトと共に口の中で咀嚼した。
ポテトは少し太めの、じゃがいもの味がしっかりとするもので、ほくほくとした食感がとても美味しい。
味を確かめるように食べている茅乃とは違い、幸喜はきちんと噛んで食べているのか怪しいスピードで食べ進めている。
そんなに美味しいのかしら、と茅乃は彼の食べているハンバーガーを覗き込んだ。
「幸喜さんは何を頼んだんですか?」
「テリヤキバーガー。俺はこれしか食わない」
「どうしてですか?」
問い掛けに、幸喜は何故だか不思議そうに首を傾げると、何かを思い出そうとしているのか、ぎゅうと眉を寄せると、視線をやけに遠くへと向けてしまう。
「……、昔から、そうだから?」
「疑問形、なんですか?」
「どうしてそうだったか、もう忘れたから」
つまらなそうにそう言った幸喜の表情に、茅乃は視線を逸らす事が出来なくなって、思わずじっと見つめてしまった。
茅乃からの視線に気がついたらしい幸喜は、ばつの悪そうな顔をすると、軽く息を吐き出して、茅乃のハンバーガーを覗き込む、演技をしている。
「お前は? 何にしたの?」
「私は海老カツバーガーにしました」
ひとくち食べますか、と彼の前に差し出すと、彼は心底嫌そうに顔を顰めている。
冗談でも止めろ、と言いたいのだろう。
普段から学校設備を利用し、出来る限り自炊をしている茅乃にとって、こんな風にファストフードのハンバーガーを食べる事はあまりなく、友人達と遊びに行った際、稀に食べる程度だ。
安価で手早く食べられて、消費者を飽きさせないよう季節によって新しい商品を提供する、その淀みなさと健気さに企業の努力を垣間見れる気がしてしみじみ感心する、等と幸喜は言って、赤いロゴが印刷された白いカップに入っている烏龍茶をストローで啜っている。
先日待ち伏せしていた時も、会社員である幸喜が帰ってきたのは夜の十時過ぎだった。
今日だって目の下にうっすらとクマが出来ているので、きっと昨日は帰りが遅かったのだろう。
名刺を貰ったけれど、会社名だけでは何の仕事をしているかは検討もつかない上に、茅乃自身、別段気にしてもいない。
幸喜も茅乃のプライベートについて追求をしないので、互いの情報共有をするつもりは更々ないのだろう。
けれど、彼が社会人として働く事は、決して簡単な事ではないに違いない。
学校の規則からアルバイトさえした事のない茅乃には、想像さえ出来ない苦労も沢山してきたのだろう。
「しっかし、お嬢様でもこういうの食べるもんなんだな」
ぼんやりと考え事をしていると、何故か感心したように幸喜がそう言うので、茅乃は慌てて首を振った。
通っている学校の為か、彼はこうして揶揄うけれど、茅乃の通う学校は中高一貫の女子校であり、茅乃は高校からの外部生だ。
金銭感覚が合わない内部生のクラスメイトより、世間を知っている自覚がある。
「私、お嬢様じゃないですよ」
「はいはい。ハナカカヤノサマでしたね」
「そ、そういう意味じゃありませんっ」
慌ててそう返せば、眉を下げ、口元を少しだけ緩めて彼は笑っている。
少し彼が元気になった事に、内心でそっと安堵して、茅乃はハンバーガーを頬張った。
***
食事を終えるなり、幸喜は両腕を組み、深く息を吐き出して、口を開いた。
「で、本題に入るぞ」
「はい!」
居住まいを正し、元気よく返事をした茅乃は、持ってきた鞄の中から目当てのものを引っ張り出すと、彼の目の前へとそれを広げてみせた。
彼とこうして会ったのは、彼にそれらを紹介する為なのだ。
「まず、幸喜さんに必要なのは洗濯ネットですね。これは絶対におすすめです!」
服を傷めにくくなる上に、型崩れも抑えられる。おまけに百円均一ショップでも買えるというお手軽さ。これ以上に良いものはない、と茅乃は両手で洗濯ネットを握り締めて熱弁する。
「最近は一人暮らし用に、こうして分割しているネットもあるんですよ!」
そう言って広げたのはノート程の大きさをしたものだ。
チャックを開けると中に小さな仕切りが三つ程ついていて、小物をまとめて入れられる優れ物だが、幸喜にはいまいち理解が及ばないらしい。眉間に皺を寄せ、首を傾げている。
「ネットに入れるなら分割する必要があるか?」
「例えばですけど、靴下、下着、って種類毎に分ける事が出来るんです。靴下も洗濯機の中で迷子にならないですし、とっても便利ですよ」
あ、でも色物と白物はちゃんと分けなきゃ駄目ですから、と付け加えれば、幸喜は早くも難色を示していた。
「もうこの時点で面倒。俺には無理」
「ちゃんとやれば結果が全然違うんですよ。生地が傷みにくいのは勿論、ゴミがつかないし、毛玉とかも出来にくいんです。良い服を着ているなら尚更気をつけるべきです」
見ている限り、幸喜はそれなりに質の良いものを選んで着ているように見える。
良いものを長く使うという性質ならば、一時の面倒さえ我慢すれば、長持ちをさせる為に少しでも工夫したほうが痛みも色落ちも防げるのだから、是非とも実行して欲しい、と茅乃は考えるけれど、彼はその手間を習慣づけるまでがどうにも面倒らしい。
そういや前に着てたセーターも普通の洗剤入れて洗ったら縮んでたな、などとさらりととんでもない事を言っている幸喜に、茅乃の形良い眉はひゅうと跳ね上がった。
折角良いものを着ているのに、そんな事で駄目にしてしまうのはあまりに勿体無いではないか。
「セーターはちゃんと中性洗剤で洗って下さいね? 物によっては洗濯機が使えない服もありますから」
服についているタグに洗濯方法のマークがついているから気をつけましょう、と言うと、幸喜は視線を泳がせた挙句、明後日の方向へと逸らしている。
「……幸喜さん。もしかして、知りませんでした?」
「いや、知ってるけど面倒で無視してた」
「えっ」
大体、あのマークの意味がよくわからない、と頭の後ろを掻いて面倒そうに彼は言う。
信じられない、と言わんばかりの茅乃の表情に、幸喜は息を吐き出して肩を竦めている始末だ。
「それに、不安なものは全部クリーニングに出せば問題ないだろ」
「そんなあ……!」
自分が言った事全てを水に流してしまうような事を言う彼に、泣き出しそうな顔で茅乃がそう言うと、彼は口元に手を当てて、可笑しそうに笑っていた。
顔全体がくしゃっとするような子供っぽいその笑顔は、無邪気さが素直に表れているようで、茅乃は思わず嬉しくなって、つい笑顔が浮かんでしまう。
「まあ、ちょっとずつやるよ。あんがとな」
「はい」
***
食事をして、話をして、結局二時間程過ぎた辺りで、幸喜は解散を告げていた。
茅乃としてはもう少し一緒にいたかったけれど、社会人である幸喜にとっては貴重な休みの一日である。
それでなくとも、茅乃が彼を待っていたあの日にだって、夜の十時を過ぎていた頃に帰宅していたのだ。
流石に何時間も拘束するのは憚られ、茅乃はすんなりとは言えない表情で、ショッピングモールの入り口まで幸喜の少し後ろを歩いている。
「じゃあ、ここで」
入り口に辿り着き、呆気ない程に呆気なく彼はそう言うと、片手を上げた。
また明日にでも会えそうな素振りで言うものだから、茅乃は思わず自らの両手を握り締めて、幸喜の眼をしっかりと見つめる。
日差しが強いので、彼の赤茶けた瞳は奥底まで覗き込めそうな程、透き通って見えた。
「あの、ちゃんとこれからも会ってくれますよね? これでお別れじゃないですよね?」
今回はどうにか誤魔化して、その後は距離を取られて疎遠になってしまうのではないか、と不安になった茅乃が焦ったようにそう言うと、彼は呆れた表情で息を吐き出している。
煩わしいという態度を取りながら、こうした所で面倒そうにしていないのが、きっと、彼が気になってしまう要因の一つなのだろう、と茅乃はぼんやりと思う。
「そうしたらお前、また待ち伏せしたりするだろうが。ちゃんと連絡して、都合がついたら、だからな」
言い聞かせるようにそう言う彼に、茅乃は全力で頷いてみせた。
「はい! 絶対、です!」
今度は洗濯表示を覚えましょうね、と言えば、彼は肩を竦めているけれど、仕様がない、とでも言いたげな顔で笑っている。
片手を上げて、また、と帰る彼の背中を暫く見つめ、それから、反対方向へと歩き出そうとして、茅乃は立ち止まる。
他人から見たら、取るに足らないものかもしれない。
そんなもの、と吐き捨てて終わるものかもしれない。
けれど、私はこういうものが大切で、大事にしたいのだ、と茅乃は強く思う。
振り返って見た、彼の少し丸まった広い背中が、何だか無性に堪らなく感じられて、茅乃は踵を蹴って、跳ねるように帰り道を踏み出していた。
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