黒き鏡の玉兎。

四谷軒

01 三代目・坂東三津五郎の憂鬱。

 三代目・坂東三津五郎ばんどうみつごろうは、月を眺めながら、夜の江戸郊外・根岸をふらふらと歩いていた。


「ったくよオ、何なんだ、玉兎たまうさぎってなア」


 これから訪ねる根岸のご隠居に言わせれば、それは月の別称だという。

 だから三津五郎はこうして月を眺めているわけなのだが――。


「月と言えば武蔵野……って寸法だが、こうして見ていても、オイラにゃ分からねぇ。何なんだ、玉兎って演目はよウ」


 時は文政。

 いわゆる化政文化の咲き誇る、江戸の町。

 その花形ともいえる、歌舞伎役者――坂東三津五郎、三代目。

 しかし今はこれから挑む演目「玉兎」をどう演じるか悩んでいる最中である。

 そもそも、「玉兎」というのは、七変化舞踊「月雪花名残文台つきゆきはななごりのぶんだい」のひとつ「玉兎月影勝たまうさぎつきのかげかつ」のことである。

 この七変化舞踊、七つのを演じることになるのだが、中でも「玉兎」は、月の兎が杵と臼で団子をき、そのあと兎つながりで「カチカチ山」の話となって、舞台に立つ兎――三津五郎が、ひとりで兎と狸、爺さまと婆さまを演じ、そしてまた最後には兎となって、幕となる。

 つまり、兎、狸、爺、婆と、かなりの演じ分けが必要となる、難しい芝居である。


「しかもこれ、、狸や爺さま、婆さまをらなきゃならねェのかい?」


 三津五郎はうなった。

 だが、そういう筋書きでないと、全体として「七変化」をうたっている芝居にふさわしくない。


「とは言うものの、如何どうったらイイんでい? 能楽のうがくだって、まだおもてとかあるってのによオ」


 だがそのまま立ち往生したら、坂東三津五郎の名がすたる。

 そもそも、七変化という出し物ネタをやろうと言ったのは、三津五郎自身だ。


「で、困ったときのだが」


 二代目・坂東三津五郎は、初代・坂東三津五郎の弟子である。

 初代・坂東三津五郎の死に際して、当時まだ幼少であった三代目・坂東三津五郎に代わり、弟子だった伊三郎が三津五郎を襲名した。やがて三代目・坂東三津五郎に名を返し、自身は荻野伊三郎を襲名し、今に至る。


は大看板……何かの助けになると思って、『玉兎』をどうるか聞いてみたはいいものの」


――黒き鏡だ。


 という答えが返って来た。


「ンなこと言われても、わかるかよッ」


 三津五郎の叫びが、月夜にこだました。

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