仕事について



『布団の中の男曰く、仕事はスピード、初速なり』


          ○

 

 あなたにとって、仕事とは何でしょうか?


「お金を稼ぐ方法!」

 ——もちろん、その通りです。


「生きがい! 一生かけてやっていきたいこと!」

 ——そのように言える人は、本当に幸福なのだと思います。一番理想的な回答かもしれません。


「う〜ん…………」

 ——これは、なんともはっきりしない返事ですね。なんだかとても苦しそうに思えます。


 でもこの最後の回答は悲しいかな……まさに僕のものなのです。『仕事とは何でしょうか?』と景気良く聞かれても、何も言葉が出てこないのです。


『仕事』と言われて一番最初に僕の頭をよぎるイメージは、労働、労働、労働。そして時に地獄とも思える理不尽な環境。肉体的かつ精神的なダメージの蓄積による妙なハイテンションと、その後にやってくる底なし沼のような憂鬱。それらの漠然としたイメージがF1レースのように一瞬にして過ぎ去り、後に残るのは静けさと儚い虚無なのです。


「もうそろそろ落ち着かないと。地に足つけて、覚悟を決めて、しっかりと真面目に働くべきだよ」


 そんなふうに周りから諭される事もあります。たしかに僕は、キャリアアップや自己成長など、どこ吹く風といった感じで生きてきました。ミッション車の半クラッチ状態で微速運転をしているような人生で、のんびり過ぎるがあまり他の車には差をつけられ、極めつけはクラッチが摩耗して故障するという事態も今後は予測されます。


「おーい、そろそろ危ないぞ」と言ってくれる人がいる環境に身を置いている事自体、恵まれているのだと思うべきなのでしょう。


 それでも僕は、やはり仕事を好きになれませんでした。(これは多くの人が思っている事なのかもしれませんが……)


 仕事の考え方について誰かしらが論じるたびに、僕は謎の反骨精神を目覚めさせるのです。僕個人として確固たる意志や軸がある訳ではありません。資本主義のもとでサラリーマンとして生きる僕が起こす、『様々な仕事論に対する無計画な謀反』なのです。思春期によくある突発的な衝動に似た、あの彗星のような一瞬の煌めきなのです。


 しかし、いい歳こいた大人がそんなロマンティックな事を言っていても仕方ありませんし、誰も見向きもしません。くよくようじうじしたまま幾年か過ぎて、その間に色々な決断を見送ってきました。聖武天皇の遷都を思わせるほどの転職と引っ越し頻度は僕の人生における迷走をよく表しています。


 布団の上に目をやると、変な形の毛玉の群れが天の川銀河のような帯を作っているような、そんなだらしのない男です。僕は決して、布団の中の宇宙に吸い込まれたりなどしていないはずなのですが、「地に足がついていない」という事は、地球でさえも僕を見放しつつあるのでは? と、感じるのです。


「自意識過剰だよ!」


 仕事に意義を見出せないと、おそらく視野は狭くなっていくのでしょう。仕事に熱中していない分、自分のことしか見えなくなっていきます。


 仕事の事を避けているつもりが、実はより多くの時間、人生における仕事について考えています。そしてその事で頭を悩ませているのはなんともやりきれないのです。


 とまぁ、愚痴にもならないどうでも良い事を述べてみましたが、『仕事とは?』という問いに対しての答えは人によって千差万別なのでしょう。まるでピカソのデッサンが繊細である事を知った時のように、僕はただ呆然とするのです。


 そして僕は、仕事について簡単にまとめてみた事を語ります。


          ○


 仕事を主軸とした人生を考える時、僕はよく綱渡りをイメージします。高いビルの間を、いくつもの綱が連なっていくのです。


「おらぁ! どけ、どけ!」

 下へ落ちる事など厭わない、勇猛果敢に走っていく者は大抵の場合大成功していきます。


「あいつらすげぇなぁ。まぁ無理なく着いていくか」

 それに続いて、自分のペースで着実に渡っていく者も、しっかりとした成長を遂げて、タイミングに差はあれど素晴らしい結果を残していきます。

 

「なんだよ、みんな結局行くのか……」

 不貞腐れて社会を濁った目で見つめる者。


「怖い……、落ちたらどうしよう?」

 ビルの高さに怯えてなかなか進めない者。


 両者の意識は違っても、お互い最初のビルに取り残されたまま、途方に暮れてしまいます。


 色々悩んで悩んで悩み倒してふと顔を上げると、かつて同士だった者達は、その姿が小さくおぼろげになるほど遠く離れた場所まで進んでいます。


 そして思うのです。

「早く行っておけば……」


 いくら頭の中で考えても、見える景色は最初のビルからのものでしかなく、新たな出会いや経験は全くありません。結論を出してから進むのでは遅いのです。考えながら進まなければならなかったのです。それに気付くのが遅すぎました。


「仕方ない……」


 ついに、おぼつかない足取りで進んでいきます。人生ゲームでいうと既に70マス遅れくらいのビハインドです。


 渡り方を相談し合える相手も少なく、揺れる綱にしがみつき、なんとか渡っていくのですが、その時に頭の中を埋め尽くすのは『後悔』ばかり。


 そんな暗い妄想が付き纏うのです。

 これは僕の仕事論、人生論なのです。


 暗い話は布団の中まで染み込んで、心なしか黒い毛玉が増えているように思えましたが、それは靴下によるものでした。


 脱ぎっぱなしの靴下を見ると親指の爪のところと足の裏のところが大きく破れていました。そんな男なのです。


 仕事という綱を渡る僕は今、一体どこにいるのでしょうか?


 布団の上?

 否、天の川銀河の中です。


 こうして僕は、ミクロ的人生観から逃れて、より俯瞰的になるために太陽系を脱出し天の川銀河をも脱出していくのです。


「でも実際には、天の川銀河を脱出するには相当な速度が必要なのですが」

 ——有識者の声。


「はぁ……」

 ——僕の溜息。


 これで分かりました。

 やっぱり、この世はスピードが大事なのでしょうね。

 

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