第121話 皇帝の刺客
目だけで振り返った先には、一人の若い男がいた。
成人してるようには見えるけど、三十代には達していないだろう。
真っ黒な装束に、黒塗りの刀。髪や瞳まで真っ黒で、目の前にいるのに夜の暗闇に紛れて見失いそうだ。
でも、そんな見た目でありながら、その存在は嫌というほどにハッキリと感じる。
今こうして刃を向けられる瞬間まで気付けなかったことが不思議なほどに、不気味で濃密なドス黒い魔力。
目を合わせているだけで心臓が握り潰されそうなほどのプレッシャーの中、俺はどうにか口を開いた。
「あなたは……誰、ですか……?」
「俺か? 俺の名は──」
「はあぁぁぁ!!」
意外にも律儀に回答しようとしていた男目掛け、隣で寝ていたセオが飛び掛かる。
肌を褐色に染め上げ、義手を鉤爪状にした本気モード。最初から全力全開だ。
そんなセオの一撃を、男は私に向けていた刀を跳ね上げることで防いでみせた。
「──俺の名はアマツ。この国の皇帝サマからお前を殺せって命令された、暗殺者だよ」
「うぐっ!?」
「セオ!!」
男の無造作な蹴りがセオの体を吹き飛ばし、部屋の壁に激突する。
砕けた木片がパラパラと舞い散る中、男の狂笑が響く。
「ははは! いいねえ、俺の隠密を見抜けなかったのはマイナスだが、気付いた瞬間即座に首を獲りに来た判断の早さは悪くない。しかも……」
スッと、男はいつの間にか首の後ろに回していた片手を前に出す。
そこには、見覚えのあるセオの武器……セオの体から離れて自在に飛び回る“飛翔剣”が握られていた。
「俺を格上だって認めて、形振り構わず全力で不意打ちかまして来たのが特に最高だ。コイツが帝国で開発されたモンじゃなかったら、擦り傷くらいは付けられたかもな」
どうやらセオは、正面から飛び掛かるのとほぼ同時に、男──アマツの後ろから飛翔剣で攻撃を仕掛けていたらしい。
寝起きの一瞬でそれだけの動きが出来るセオもすごいけど、それをあっさり見抜いたこの男はそれ以上にヤバい。
そんなヤバい奴が、なぜか俺の命を狙ってるらしい。
なんで? と疑問に思う間にも、状況は動く。
瓦礫を押し退けてセオが飛び出し、無数の飛翔剣と共にアマツへと猛攻を仕掛けたのだ。
「やあぁぁぁ……!!」
鉤爪と、部屋を埋め尽くす勢いでばら蒔かれた飛翔剣。加えて、義手からは更に縄で繋がれた小さい槍が飛び出し、アマツに絡み付いて動きを封じ込めようとする。
どう足掻いても、人一人で対処しようがない全方位攻撃。だというのに、まるでその男の動きだけがコマ送りでもされているかのように、セオの攻撃全てを刀一本で弾き飛ばしていた。
「どうした、もうネタ切れかぁ? 正面から戦うだけじゃ俺には勝てねえぞ!?」
「ならば、二対一ならばどうだ!!」
「おお?」
部屋の壁をぶち破り、飛び込んできたのはリフィネだった。
剣も、普段身に付けているドレスアーマーもないパジャマ姿だったけど、服装の違いなんて関係ないとばかりに拳を振るう。
それを、アマツは片腕で防ぎ──防ぎ切れず、宿の外まで吹き飛んだ。
「おおおっ、俺を押し退けるなんざやるなぁ、帝国じゃあそんな怪力娘は見たことねえぞ!!」
「随分と余裕そうだが、妾ばかり見ていて良いのか?」
吹き飛ばされてなお余裕……というより、むしろ楽しそうだったアマツの足元に、深紅の魔法陣が浮かび上がる。
俺とセオがいた隣の部屋、ちょうどリフィネが風穴を開けて飛び込んできたその先で、モニカがぶつぶつと詠唱を読み上げながら魔力を練っていた。
「──これで、終わりですわ!! 《
町中であることもお構い無しに、炎の柱が噴き上がる。
夜の闇を赤々と照らす魔法の火に、町の人々の悲鳴が上がり始める中──それでも、アマツは平然とそこに立っていた。
「うわっちぃ! 二対一って言いながら、実際は三人目が本命だったってわけね。いい連携だな、少し服が焦げちまったぞ」
「……嘘でしょう? 本当に人間ですの?」
モニカの魔法を受けて、それでもアマツ本人はほぼ無傷だった。
正直、俺も信じられない。
町中ってこともあって加減したんだろうけど、それにしても俺だったら骨も残らないような火力の魔法なのに、それが直撃して無傷って……。
「じゃあ……次は俺の番だな」
ゾクッと、背筋を悪寒が駆け抜ける。
全身の震えが止まらなくなるほどにおぞましい漆黒の魔力を刀に込めたアマツは、俺達に向かって容赦なくそれを振り抜く。
「これくらいで死ぬなよ? もっと俺を楽しませろ。──《
“死”の概念そのものを具象化したかのような魔法の斬撃が、俺達の方に真っ直ぐ向かってくる。
防ぐことも、逃げることも出来ない俺は、ただそれを呆然と見つめ──ギリギリのところで、大きな背中が俺の前に立ちはだかった。
「やらせるかぁぁぁ!!」
「お兄様!?」
剣を構え、眩い光を湛えた剣でアマツの斬撃を受け止める。
ビキビキと、お兄様の持つ剣にヒビが入る嫌な音が鳴り響き、そして──
「うおぉぉぉ!!」
ギリギリのところで、斬撃を空へ受け流した。
役目を終えた剣が砕けていくと同時に、お兄様が膝から崩れ落ちる。
「はあッ、はあッ、はあッ……」
「お兄様、大丈夫ですか!?」
「大丈夫、少し疲れただけだ。それよりユミエ、早く逃げるぞ、ここにいたら巻き込まれる」
「え? 巻き込まれるって……」
「悔しいけど、今の俺じゃあいつに勝てそうにないからな。後は大人に任せるしかないってこと」
そう言って、お兄様は俺の体を抱き上げる。いわゆる、お姫様抱っこってやつだ。
いきなりのことで恥ずかしがっている暇もないまま、お兄様はモニカ達に声をかけ、俺を抱えて避難を始めた。
「おい待て逃げるな!! やっと面白くなってきたところで……」
「ならば、それよりも更に楽しませてやろう、この手でな」
アマツは俺達を追おうとしていたみたいだけど、そんな彼を引き留める声があった。
俺達オルトリアーユーフェミア連合軍の最高戦力。
たった一人でも軍隊と渡り合う力を持った怪物達。
「この三人で肩を並べるのも久し振りだな。流れ弾で死ぬなよ、バカ虎め」
「こちらのセリフだバカ狼。加減を間違えて余計な被害を出すんじゃないぞ」
「その辺りは、カースの奴がうまくやってくれるはずだ。……だからこそ、容赦はせん」
お父様、レオルさん、それにライガルさんの三人が、鬼の形相でアマツを睨んでいた。
「うちの大事な娘に手を出そうとしたのだ。覚悟は出来ているのだろうな?」
問われたアマツは、全身をブルリと震わせる。
離れていく景色の中じゃ、その表情までは見えなかったけど──纏う雰囲気から、怯えているわけじゃないってことだけは俺にも分かった。
あいつは、お父様達と対峙して……喜んでるんだ。
「いいね、いいね、最高だよ。その殺気、その力……俺が本気を出しても届くか分からない、対等にやりあえる相手……お前達みたいな存在を、俺はずっと待ってたんだ」
アマツの全身から吹き出る魔力が勢いを増し、空を覆う。
それはまさに、この世の終わりを絵に描いたような光景で。
今から始まるのが、この戦争の行く末を決める最後の戦いなんだろうと、嫌でも分かってしまった。
「さあ……楽しもうぜ!!」
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