第99話 金狐の野望が終わる時

「嫌な予感がしたので戻ってみれば……これは何事ですか!!」


 自らの拠点に戻ってきたコーラスは、大慌てで撤収準備を進めている部下達を見て怒声を上げる。


 それを聞いて、彼らは分かりやすいほどに狼狽え始めた。


「それはその……! コイツがあのユミエってガキの口車に乗って、フォークなんか持ってくから……青狼族が、全員脱走して……!」


「お、俺のせいだって言うのか!? それを言うなら、お前こそなんだよあの糸電話!! 通気口まで使ってあんな手の込んだもん作るやつがあるか、バカ野郎!!」


「つーか、誰だよあいつにベラベラと内部事情話したヤツは!! そうじゃなきゃ、あんなにスムーズに脱出されるなんておかしいだろ!!」


「お、俺は自分の仕事のことしか話してねえぞ」


「お、俺も……」


「全員が自分のこと話したら全部筒抜けに決まってんだろうがバカがぁ!!」


 あまりにも醜い罵り合いを始めた部下達を見て、コーラスは頭を抱えた。


 確かに、御者を任せていた男には既にその兆候はあった。


 だが、それにしても……これはないだろうと、コーラスは天を仰ぐ。


「は、ははは……ユミエ・グランベルを拐って、まだ三日ですよ? それで、これですか……」


 何もさせるなと、部下達にはキツく言い含めていたつもりだった。決して“商品”に同情するな、“それ”は単なる金づるなのだと。


 にも関わらず、気付けば関わりを持った部下達全員がベラベラと機密を喋り、知らず知らずのうちに脱出のために必要な道具を取り揃えていた。


 青狼族にしてもそうだ。

 どうやら、糸電話でユミエとやり取りしていたようだが、失敗すればどうなるかも分からない脱出計画に全員が一致団結して協力するなど、それだけでも十分に異常事態と言える。


 しかも、全員が全員逃げ出すならまだしも、ユミエのためにここに残って暴れた老人達までいるのだ。その結果として、万が一脱走が起きた時のためにと用意されていた撤収手順も、そのほとんどがまだ完了出来ていなかった。


 顔も見えない、対面したわけですらない異国の少女のため、命すら懸けて殿を務める者がこれほど大勢現れる。


 それも、たった三日で。


(傾国の美少女? ははは、こんなもの、もはや傾国などというレベルではない)


 ボロボロになって縛られた青狼族の老人達の中心で、同じように拘束されながらも、彼らを労るように声をかけているユミエ。


 まるで長年成長を見守ってきた孫娘や近所の子供に向けるかのような、温かい眼差しを老人達から送られている彼女を見て、コーラスはようやく気が付いた。


 コイツにだけは、手を出すべきではなかったと。


(この娘がその気になったら……“世界”すら滅ぶぞ……!!)


 あまりにも遅すぎた気付きに、コーラスは歯を食い縛る。


 その苛立ちのままユミエに近付いたコーラスは、動けない少女を無造作に蹴り飛ばす。


「あぐっ……!」


「貴様ぁ!!」


「何をする!?」


「単なる八つ当たりですよ。その娘のせいで、こちらは大損害を被ったばかりなのでね……これくらいしないとやっていられませんよ、全く」


 怒りのままに歯を剥き出しにする青狼の老人達へ、悪びれもせずにコーラスはそう言った。


 そして、更にとんでもないことを口にする。


「魔物を誘き寄せる撒き餌は、まだありますね?」


「は、はい。それはバッチリと……」


「なら、そこの小娘と青狼達を適当な小屋に押し込めて、その周囲に撒いておきなさい」


「はっ……!? な、なぜそんなことを!?」


「時間稼ぎに決まっているでしょう。こいつらはここに残していきます、早く撤収しますよ」


 コーラスは既に、ユミエはおろかここにいる青狼族達も全て損切りする判断を下していた。


 ことここに至っては、もはや時間との勝負だ。

 命あっての物種というし、いくら損害が増えようとも自分達が追手から逃げ切ることだけを考えるべきだろう。


 ユミエや青狼の老人達が魔物に襲われていれば、ここに辿り着いた捜索隊は、必ずやその対処に追われて時間を浪費することになる。それがコーラスの狙いだった。


「で、ですが……」


 しかし、なぜか部下はそれを躊躇うような反応を見せた。

 それに苛立ちを覚えたコーラスは、冷たく吐き捨てる。


「嫌なら、あなたの子供を押し込んでもいいのですよ? なんだかんだと、同族に甘い連中ですからね。子供が襲われていれば助けるでしょう」


「い、いえ、やります!!」


 一族揃ってユーフェミアから出てきた金狐族だが、当然ながら全員が裏家業に手を染めているわけではない。特に、幼い子供などはなぜ突然国を出たのかも理解しておらず、他部族の友人と引き離されたことで不満タラタラだ。


 そんな子供を煩わしいと思っていたコーラスの、半ば本気の脅し文句に、部下達もようやく動き始めた。


「やれやれ、これは、再教育が必要そうですね……全く、とんだ疫病神だ……」


 老人達に心配されるユミエを見ながら、コーラスはこれからのことに思いを馳せる。


 今回被った損害をどう補填すべきか、いやそもそも皇帝にどう説明するべきか……そんなことを考え始めた。


 しかし、彼が“未来”に目を向けるのは、まだあまりにも早すぎた。


 たとえ逃げ切った青狼族の者達がこの場所を教えたとしても、救援が来るにはまだ時間がかかるはず。そう思い込んでいたコーラスは、ことここに及んでなお見誤ってしまった。


 ユミエが、このユーフェミアの地で無自覚に振り撒いた影響の大きさを。


 文字通り、“国民総出”というレベルで行われた捜索と、とある少女による自分の身を懸けて得た力によって、既に獣人達の牙は喉元にまで到達しているという事実に。


「ユミエーーーっ!!」


 突如森から響く、少女の声。


 その声の主を、ユミエや老人達はすぐに察した。


「セオ……!?」


「があぁぁぁぁ!!」


 木々をかき分け、飛び出して来た青髪褐色の小さな少女。

 その瞳がユミエと老人達、そして彼女達に近付こうとする金狐族の男達を捉えた瞬間、獣のような唸り声と共に無数のナイフが飛び出し、降り注ぐ。


「ぐあぁ!?」


「な、なんだこれ、どうし……ぎゃあ!?」


 まるでナイフ一本一本が意思を持っているかのように、縦横無尽に宙を舞い、金狐族を薙ぎ倒していく。


 やがて、少し離れた場所にいたコーラス以外全員を制圧しきったセオは、そのままの勢いでユミエに抱き着いた。


「ユミエ……!! ユミエ、ユミエぇ……!!」


「セオ……助けに来てくれたんですね。ありがとうございます」


「ん……!! ユミエ……無事で……よかった……うぅぅ……!!」


 散々に暴れまわっていたナイフが、力を失ったかのように次々と地面に落ちていく。

 

 不気味なまでに滾っていた紫色の魔力が嘘のように消え、褐色に染まった肌さえ元の白色に戻っていく。


 すっかり元通りの、無邪気に懐く幼い青狼に戻ったセオに、事情を把握していないユミエは少しばかり困惑していた。


「セオさん、また一人で突っ走って……しかも、因子の影響が消えているみたいですけど、あれは一体……?」


「ぜーっ、はーっ……た、多分……ユミエに会えて、心が落ち着いたのに、合わせて……表に出ていた魔力が、一時的に、引っ込んだんじゃ、ないかと……思……げほっ、げほっ!」


「……体力無さすぎですわよ、あなた」


「モニカさん! それに、グレイ君も!」


 セオに続いて、モニカやグレイ、それに獣人戦士団やベルモント家の騎士達も続々と現れ、コーラスを含む金狐族を取り囲んでいく。


 部族も、国の垣根さえ越えた、あまりにも大勢の捜索隊。その全てから、憎しみの眼差しが注がれる。


 そんな光景を、コーラスは黙って見つめていた。


「コーラス。ここまで来ては、もう打つ手もあるまい。大人しく投降するがいい」


 その集団を代表するように、セイウスが最後通牒を告げる。


 そこでようやく、再起動を果たしたようにコーラスが口を開いた。


「久しいですね、セイウス。全く、たかが少女一人拐っただけで、一体どれだけの戦力を動かしているのやら。本当に、あなた達は仲間想いが過ぎる、全く合理的でない」


 獣人戦士団は、ユーフェミアにおける最大の防衛戦力だ。その規模がどの程度のものか、当然コーラスも把握している。


 その知識に照らし合わせれば、今ここにいるだけで戦士団のおよそ半数ほどは集結しているだろう。たった一人の、国民ですらない少女を助けることを目的とするには、あまりにも過剰だ。


 だが、それがどうしたとばかりに、セイウスは鼻を鳴らす。


「合理性だけが人の全てではないと、ワシは何度も忠告したはずじゃ。現にそのお陰で、今こうしておぬしを追い詰めることが出来ておる」


「ふふふ……確かに」


 結果論ではあるが、確かにそれほどの戦力を動かしたがために、コーラスは今、逃げることも出来ずに追い詰められている。


 いくら金狐族の力を活用しようが、この包囲を突破して逃げるなど不可能だ。それを、コーラス自身が誰よりもよく理解している。


「潮時、ですか。全く……最後の最後に、ツイていない」


 こうして、ユーフェミアを襲った大事件は、容疑者の確保。そして──青狼族の解放という望外の戦果と共に、幕を降ろした。


 事件の首謀者だったコーラスは、何もかも諦めたかのように全てを罪を自供し──この日を最期に、二度と表舞台に姿を表すことはなかったという。

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