第89話 少年の戸惑いとユミエの決意
またこの子に会うことになるなんて思わなかった──と、グレイは“お守り作り”をしながら考える。
同時に、突然現れた彼を怪しむでもなく、無防備に受け入れて大事な作業を手伝わせてくれたことが、彼にはたまらなく嬉しかった。
(でも、どうしてあいつは、僕をここに……)
金狐族のコーラスは、グレイの前に突然現れて一言、こう聞いてきたのだ。「またあの少女に会いたいか?」と。
会いたくはあった。だが同時に、いくら主人からちゃんと言うことを聞くように言い含められた相手とはいえ、あの少女に危害を加えるような命令を聞きたくもない。
そんな理由から、勢いよく首を横に振るグレイに、彼はこう囁いた。
──別に、何をしろと言うつもりはないですよ。どうせしばらくは様子見ですからねえ、自由に過ごすといいでしょう。もちろん、私達のことは内密に、ですよ? ──と。
本当に、それだけで済むかは分からない。だが、自由にしていいと言われると、あの子に会いたいという欲求が抑えきれなくなり、気付けばここまで来てしまったのだ。
「グレイ君、どうしました?」
「あ……ああ、うん。なんでもないよ」
ユミエに名前を呼ばれ、グレイはサッと顔を逸らす。
生まれて初めて、自分のやったことに感謝してくれた人。
助かった、と笑顔を向けてくれた人。
ユミエに話しかけられただけで、グレイは嫌なことも全て忘れられる気がした。
もっとこの子の役に立ちたい。役に立って、またあの笑顔を向けて欲しいと、そう思った。
「その……これって、単なるお守りじゃなくて、発信器、だよね? ……何に、使うの?」
だからこそ、グレイは声を潜めながらも自らそう問い掛けていた。
それを聞いて、ユミエは目を丸くする。
「よく分かりましたね。……みんなには内緒ですよ?」
しーっ、と、ユミエが口元に指を当てるジェスチャーをする。
そんな何気ない仕草すら可愛い、とグレイは思ったが、一方でその用途についてははぐらかされてしまった。
まだ完全に信用されたわけじゃない、と思うと、当然のことだと分かっていても胸が痛んだ。
「その、使い道にもよるんだけど……このタイプの魔道具なら、こういう形の魔法陣の方が、感度も上がるし、何より書きやすくなっていいかな、って」
「そうなんですか? ……モニカさーん」
紙に描いてみせてみるも、ユミエでは判断がつかなかったようで、もう一人の少女が呼び出される。
ユミエと違い、グレイに対してずっと一定の警戒心を持ち続けている様子のモニカだが、彼の用意した魔法陣を見て目を見開く。
「……なるほど、この部分を省略して、代わりにこれを……むむむ、これで機能するなんて、魔道具と魔法はやっぱり別物ですわね……」
「大丈夫そうですか?」
「ええ、問題ないかと。……でも、本当に不思議ですわね。これほどの魔道具技術、オルトリアでもごく一部の人間しか持っていなかったのですが……それこそ、ナイトハルト家くらいしか」
モニカからの眼差しが、より剣呑なものになった。
バレたのか? と、グレイの心臓が騒ぎ始める。
だが、そんな彼をユミエが庇った。
「もう、モニカさん、グレイ君が怖がっていますよ? そんなに睨んじゃダメですって」
「そうは言いますがユミエさん、やっぱりこの子怪しすぎますわ。先ほど言っていた出自についても、本当かどうか……」
グレイはここに来る際、“ラインハート”という別の姓を名乗るように言われていた。魔法研究のため、世界中の国々を回る放浪の一族なのだと。
自分でも、あまりにも胡散臭い話だと思う。モニカの疑念も当然だ。
それでも、ユミエは変わらず笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ、この子は悪い子じゃありませんから」
どうして、とグレイは問い掛けたくなった。
信用出来る要素など何一つない。むしろ、疑わない方が不自然なほど怪しいところだらけの自分に、どうしてこの子は。
「安心してください、グレイ君」
こんなにも、眩しい笑顔を向けてくれるのだろうか。
「私は、
「ユミエさん、どうしてあの子を庇うんですの?」
「はい?」
「グレイのことですわ。ユミエさんも、あの子が怪しいことは分かっているでしょう? どうして受け入れるんですの?」
グレイがやって来た日の夜。セオが寝静まったタイミングを見計らって、モニカはユミエに問い掛けた。
確かにユミエは、お人好しですぐに人を信用するところがあるが、それにしても今回は行き過ぎだ。
何を考えているのかと問い掛けられて、ユミエは悲しげに目を伏せる。
「分かっていますよ。私だって、あんなことがあったばかりですから……世の中、良い人ばかりじゃないことくらい、知っています」
アルウェ・ナイトハルトの手でリフィネともども殺されかけたのは、まだほんの三ヶ月前だ。いくらユミエでも、その時の苦い記憶は頭にこびりついている。
「だからこそ、許せないんです。グレイ君を利用して、何かを企んでいる人が」
「え……?」
「グレイ君自身は良い子ですよ。じゃなきゃ、あんなにずっと、後ろめたそうな顔で……私に縋るような目を向けたりしません」
ユミエから見ても、グレイはあまりにも怪しい。怪しすぎた。
事あるごとに後ろめたさと罪悪感にも似た感情を覗かせ、ユミエが庇う度に驚いた顔をしていた。
まるで、自分は疑われて当然の悪人で──そうであると決まった瞬間、裁かれることが分かっているかのように。
「グレイ君を利用している“誰か”がいるのは間違いないです。そいつを、私は許せません」
弱みを握られているのか、それとも他の何かなのか、ユミエにはまだ判断がつかない。
だが、そこにどんな事情があっても……あんな子供を利用して、自分は全く顔を見せないまま悪事を働くような存在に、ユミエは怒りを覚えていた。
「ここでグレイ君を追い払っても、尋問したとしても、トカゲの尻尾みたいに切り捨てられるだけでしょう。そんなの、グレイ君があまりにも可哀想ですし……本当の黒幕が、野放しになってしまいます」
ぐっと拳を握り締めながら、ユミエは真っ直ぐにモニカを見つめる。
その真摯で力強い眼差しに射抜かれて、モニカは思った。
──たとえ手足が不自由だろうと、戦う力を失っても。やはり、ユミエは本当に強い人だと。
「お願いします、モニカさん。グレイ君も、セオも、獣人のみんなも、全部守るために……力を貸してください」
「もちろんですわ、ユミエさん。あなたのためなら、私の全てを預けられます」
少女二人で約束を交わし、これからするべき行動について相談する。
セイウスやカース公爵にも事情を話して協力を取り付けようと、話を纏め──その、数日後。
翠猫の里を、魔物の群れが襲撃した。
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