第90話 帝国軍人の誤算・前編
「順調か?」
「はい、金狐の野郎がちゃんとやってくれたみたいです。魔物の群れは翠猫の里に到達し、常駐戦力と交戦に入ったようです」
ベゼルウス帝国の武官であるカイデルは、部下からもたらされた報告に満足げな笑みを浮かべた。
金狐の長、コーラスの手引きによって彼がユーフェミア国内に侵入し、真っ先に行ったのが魔物の扇動だった。
コーラスによって里同士の連絡路が寸断された今、翠猫の里が魔物の襲撃を受けてしまえば、大勢の民が道標もなくバラバラになって森に逃げ込むしかなくなる。そこを狙い、セオを含む何人かの獣人を拐って帝国へ帰還するのだ。
もちろん、リスクはある。もしここで失敗し、ユーフェミア側に囚われてしまうことになれば、彼を含む部隊全員が
それを承知で、カイデルは余裕の表情を浮かべていた。
自らの優秀さを疑うことなく、全ては上手くいくはずだと信じて。
「逃げた翠猫達の足取りは追えたか?」
「そ、それが……この森で獣人達の後を追うのは難しく……すみません」
「ふむ、そうか……」
やれやれと、カイデルは溜め息を溢す。
魔法も使えない劣等種族ではあるが、やはり森の中では地の利は向こうにあるらしい。
だが、甘い。と、カイデルは魔道具を取り出した。
「隊長、それは?」
「発信器の魔道具だ。これを使えば、コーラスの手引きで目標に近付いたグレイの現在位置が分かる」
グレイは発信器を仕込まれていることを知らないがな、と、カイデルは語る。
そう、グレイが道に迷ったことも、そこにたまたまユミエが通り掛かったことも、単なる偶然ではない。
全てはこの時、ユミエや、その傍にべったりくっ付いているセオの所在を明らかにするために。
最初から、カイデルとコーラスが企んでいたことだったのだ。
(全く、愚かな話だ。少しばかり不憫な出で立ちの子供をちらつかせただけで、簡単に懐に招き入れるとはな)
グレイはナイトハルト家での経験や、帝国での立場などの要因が重なったことで、それなりに同情を引きやすいオドオドとした少年になっている。
元々上級貴族の血を引いているだけあって見てくれも悪くはなく、既に帝国にすらその名が伝わりつつあるユミエ・グランベルであれば、あるいは世話を焼こうとするのではないか──そう考えていた。
それにしても、ここまで上手く行くのは予想外だったと、カイデルは嗤う。
(“お人好し”というのも大変だな。その優しさが、自分のみならず、他人すらも陥れることになるとも知らないで)
そう考えながら、カイデルは魔道具によって割り出された位置へ向かって、部下を移動させていく。
すると間もなく、フード付きのローブを目深に被った集団が、ゆっくりと森の中を移動しているところに遭遇した。
「隊長、あれでしょうか?」
「ああ、間違いあるまい」
情報によれば、翠猫族はその能力故に医療技術に秀でており、里には病人が多数いる。セオやユミエもそこに滞在しているらしい。
いくら獣人といえど、病人を抱えながらでは移動がゆっくりにならざるを得ないのだろう、その集団の足取りは非常に緩やかで、足を庇うような動きをしている者や、子供を抱えて歩いている者までいた。
情報通りだ、と、カイデルはほくそ笑む。
「仕掛けるぞ。まずは魔物の幻影を見せ、パニックに陥った隙を突いて拐っていく」
避難する間の護衛なのか、やけに大きな体格の者が集団の前後を挟むような形で歩いているが……逆に言えば、それだけだ。
魔物を見て避難民が一度パニックに陥れば、それを落ち着かせることは困難を極めるだろう。
その間に、目標を確保する。そんな指示に、十人ほどいる彼の部下達は一斉に頷いた。
「では、行動開始だ」
カイデルの号令で、部下達が森の木々に紛れて動き出す。
その間に、カイデルは魔法を発動。部下達の立てる足音に合わせ、避難民に見える形で魔物の幻影を出現させる。
『グオォォォ!!』
「出たぞ、魔物だ!!」
「きゃー」
「助けてー」
偽物の咆哮を轟かせると、避難民達の列が乱れ、バラバラに散り始めた。
その瞬間、潜んでいたカイデルの部下が集団に迫る。
狙いは、第一目標であるセオと近い体型の、まだ小さな子供だ。
(貰った)
作戦の成功を確信し、カイデルも──彼の部下達も、誰もが心の中でそう呟いた。
しかし。
「ふぅ……本当に来ましたわね。馬鹿馬鹿しいことですわ」
「なにっ、ぐわぁぁぁぁ!?」
拐おうとした子供が手のひらを掲げた瞬間、部下の体が燃え上がったことで、カイデルは愕然とした。
何が起きた、と、そう呟く彼の前で、避難民だと思われていた者達が一斉にローブを脱ぎ捨てる。
ローブの下から現れた者達の姿を見て、カイデルは身を隠すことすら忘れて叫んだ。
「クソッ……謀られたか!!」
「謀られたとは語弊がありますわね。元々、あなた方が私達を……いえ、ユーフェミアを陥れようとしたのでしょう?」
その集団の中に、避難民など誰もいなかった。
精悍な体つきの男達が、避難民に見えるように腰を曲げ、慣れない演技で足を引きずっていただけ。
子供を抱いているように見えたのも、単に彼らが使う装備品を纏め、偽装していただけだった。
そんな集団の中でたった二人、本当に子供だったうちの一人が、まるでその“騎士”達の主であるかのように──否、事実彼らの主として、名乗りを上げる。
「オルトリア王国が“最優”、ベルモント騎士団。一時的にその全権を預かるモニカ・ベルモントの名において宣言しますわ。今この場で、不名誉極まりない蛮族として焼き殺されたくないのであれば……大人しく投降しなさいな」
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