第66話 次なる一歩を

 アルウェ・ナイトハルトの起こした事件から、凡そ一ヶ月。俺は今、洋上に浮かぶ船の上にいた。


 オルトリア王国では治せない俺の体を、神獣国ユーフェミアで治療するためだ。


 少なくとも、俺はそう聞いてる。


「ユミエさん、お身体の具合はどうですか? 潮風は傷に染みると聞きますから、辛かったら言ってくださいまし」


 でも、実際にはそれだけじゃないんだろう。

 俺がアルウェから受けた怪我の治療を進めている間に、シグートは急に王様になっちまうし、リフィネも騎士になるって言ったきり顔を合わせられないままだ。


 きっと、王国ではアルウェの件を切っ掛けに、情勢が大きく変わろうとしてる。今の俺がそこにいたら、またどんな事件に遭うかも分からない。


 だからこうして、他所の国に避難させられてるんだ。たとえ、その国との関係が多少危うかろうと、今国内にいるよりは安全だからと。

 それくらいは、俺でも分かる。


「ユミエさん?」


「あ、すみません、モニカさん。少し考え事をしていて……お兄様達、大丈夫かな、って」


 ずっと話し掛けてくれていたモニカに、俺はそう答える。


 今回の、神獣国への一時的な逗留に、お兄様やお父様……グランベル家の人達はついてきていない。


 いや、お兄様は無理にでもついていくと言っていたんだけど、俺の方から断ったんだ。

 私のことは心配しなくていいから、今はシグートを傍で支えてあげて欲しい、って。


「……それでしたら、少し通信魔法で話してみませんこと? そろそろ、定期連絡の時間ですし」


「え? でも、こんな長距離の魔法通信は魔力消費が激しいから、私の無駄話なんてない方がいいんじゃ……」


「それくらいへっちゃらですわ。さあ、行きましょう」


 そう言って、モニカは俺の車椅子を押してくれる。


 ……今の俺は、自力で立って歩くことも難しい。

 足の骨が一度ぐちゃぐちゃになったせいで、くっついても完全には元通りにならなかったんだ。


 腕の骨も同じで、俺は今利き腕を上手く動かせない。そのせいで、自分の意思じゃ車椅子を動かすこともままならない。


 顔に負った火傷も酷くて、つい最近まで痛みであまり眠れなかったくらいだ。


 そんな俺を、家族に代わって甲斐甲斐しく世話してくれたのがモニカだった。


 お兄様達はいなくともリサはいるし、そんなに迷惑をかけるわけには、と思ったんだけど、モニカも「私がしたいようにしているだけですわ」と言って引いてくれなかったんだ。


 正直、気が引けるけど……お兄様達と会えなくて寂しい今、友達がこんな風に気を遣ってくれるのはすごく有り難かった。


「お父様、通信魔法、少し使わせて貰ってもよろしくて?」


「おお、モニカ、それにユミエ嬢も。今ちょうど連絡を取っていたところだから、少しなら構わんぞ」


 モニカに連れられて船室の一つに入っていくと、そこにはモニカのお父さん──カース・ベルモント公爵がいた。


 俺達を見て、厳つい顔には似合わないくらい柔らかな笑みを浮かべた公爵は、大仰な魔法装置の前を快く空けてくれる。


 モニカに押して貰って前まで進むと、通信越しに聞こえて来たのはシグートの声だった。


『ユミエ? そこにいるのかい?』


「はい、いますよ。お久しぶりです、シグート。話せて嬉しいです」


『僕もだよ。そっちは、不便はないかい?』


「モニカさん達、ベルモント家の皆さんが良くしてくれてますから、大丈夫です。シグートこそ、急に国王になって……大丈夫ですか? 少し声に元気がないように聞こえますけど、ちゃんと眠っていますか?」


 俺は、国王っていうのがどういうものか、漠然としたイメージしか持っていないけど……簡単に務まることじゃないだろう。


 その気苦労を察して問い掛けると、通信越しにシグートの少し困ったような気配が伝わってきた。


『僕は平気だよ。忙しいのは確かだけど、思っていたよりはずっと仕事も少ない。これも、ユミエのお陰だよ』


「私の……?」


 どういう意味かと首をかしげると、シグートは丁寧に説明してくれた。


 今回の急な戴冠と、ナイトハルト家やその派閥に属する貴族達への強引な処断は、多くの貴族達の反発を招くものとシグートは予想していたらしい。


 だけど、実際になってみると、そういった反発はほとんどなく、むしろシグートの英断を支持する声がほとんどだったそうだ。


『ユミエが企画してくれた、リフィネの誕生パーティー……あれで、貴族達の多くが君とリフィネのファンになったらしくてね。ナイトハルト家の処断に反発するどころか、もっと徹底的にやれと過激な発言をする輩がたくさん出てきて、そちらを抑える方が大変だったくらいさ』


「あ、あはは……」


 それはそれでどうなんだとは思うけど、シグートやリフィネの味方が多くて、ずっと懸念していた王国内での内乱のような最悪の事態は避けられそうだと分かっただけで、俺としては肩の荷が一つ降りた気分だ。


 ホッと胸を撫で下ろしていると、通信の向こうから新たにドタバタと騒がしい気配がし始めた。


『ユミエ!! ユミエと通信してるって本当か!? おーいユミエ、聞こえるかー! お兄ちゃんだぞー!!』


「お兄様、そこにいるんですか!」


 大好きなお兄様の声が聞こえてきて、それだけで俺は嬉しさが込み上げてくる。

 本当は今すぐぎゅってして欲しいけど、それは無理だから……少しでもその存在が近くに感じられるよう、俺はたくさん話し掛けた。


「お兄様、元気にしてますか? ちゃんとぐっすり眠れてますか? 好き嫌いしないで、ピーマンもちゃんと食べなきゃダメですよ。シグートに迷惑かけないように、普段から礼儀正しくしなきゃダメですからね!」


『いや待てユミエ、お前までお母様みたいなこと言うなよ! 俺だってちゃんとシグートの護衛ってお務め頑張ってるんだからな!?』


 俺のお小言みたいな怒涛の質問に、お兄様から悲鳴が上がる。


 そんなお兄様の、良くも悪くも普段通りの雰囲気に、俺は胸がいっぱいになる。


「それから……! それから……」


 ──早く、会いたいです。

 そんな言葉が喉元まで出かかって、俺はそれを呑み込んだ。


 怪我の治療やリハビリは毎日辛くて、本音を言えば今すぐ王国にとって返して、お兄様の胸に抱かれて思い切り泣き腫らしたい。


 でも、そんなのはあまりにもカッコ悪いし、ただ甘えて我が儘を言うだけの俺なんて、何も可愛くない。


 俺は、お兄様にとって、いつでも自慢の妹でありたいから……だから。


「絶対、体を治して帰りますから。待っていてくださいね」


 寂しい気持ちを押し殺し、俺は改めて自分の決意を口にする。


 そんな俺に何を思ったのか、お兄様は少しだけ考えるように間を空けて、優しい言葉をかけてくれた。


『頑張れ、ユミエ。どんだけ離れていたって、応援してる。でも、無理はするなよ? たとえお前がどんな姿だって、どんな体になったって。俺にとって、お前が大切な妹であることに変わりはないんだからな』


「っ……」


 ああもう、本当に……お兄様は、いつでも俺の欲しい言葉をくれるんだから。


 この上なく大切な家族なのに、そんなこと言われたら……もっと好きになるじゃないか。


「ありがとうございます、お兄様。大好きです」


『俺もだよ、ユミエ。どういたしまして』


 通信を終えた後も、俺はお兄様の言葉を胸に仕舞い込むように、しばらくその場でじっとしていた。


 ……手足が思うように動かなくなって、火傷のせいで顔も酷い有り様になって、それでも家族は変わらず俺のことを愛してくれてる。


 それが堪らなく嬉しいし、だからこそ、もっと頑張ろうって思える。


 リハビリは勿論だけど……俺にはもう一つ、この船でやりたいことがあった。


「モニカさん、“あの子”って今、どうしてますか?」


「あの子って……ああ、あの。それなら、出港前と変わらないですわ。ずっと船室に閉じ籠って、食事にもほとんど手をつけない有り様ですの」


 はあ、と、モニカは溜め息を溢す。


 “あの子”というのは、今回俺の神獣国への訪問にベルモント家が同行してくれている主な理由だ。


 いや、より正確に言うなら、今回の訪問はベルモント家が主で、俺はそれに同行させて貰っている身になる。


 ナイトハルト家が秘密裏に行っていた、非道な魔法実験。

 違法に集めた魔物の因子を魔道具の力で人に埋め込み、生体兵器として活用しようという外道の発想。


 その犠牲者である獣人の女の子が、今から向かう神獣国の国民で……その子を保護するに至った経緯とナイトハルト家の処遇について、神獣国側に説明しに行く大使というのが、カース公爵のお役目なのだ。


「話をするのも難しい有り様で、未だに名前すら聞けていませんが……それが、どうしましたの?」


「私、その子と話してみたいんです。その子は今、きっと……誰を信じたらいいのかも分からなくて、心細い思いをしてると思いますから」


 家族とも故郷とも引き離され、腕を失い、顔まで変質するほどいじくり回された国の人間と、狭い船の中で一人一緒に生活しなければならない。


 きっとそれは、今俺が感じている寂しさや苦しさより、ずっとずっと辛いはずだ。


 俺には、モニカやリサがいる。ベルモント家の人達が味方だって知ってるし、お兄様から元気も貰えた。


 だったら、次は俺の番だろう。

 手を伸ばせば届く場所に、苦しんでいる子がいるなら、少しでも力になってあげたい。


 それが俺なりの、グランベルの名を背負う者としての誇りだから。


「分かりました……でも、二人きりにするのは危ないですから、私も同行しますわよ。いいですね?」


「はい、ありがとうございます」


 こうして俺は、新たな目標を胸に、次なる一歩を踏み出すのだった。

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