第64話 ナイトハルト家の末路・前編

 アルウェ・ナイトハルトが王子の手で処断されたという情報は、瞬く間に王国中に広まった。


 それを聞いて、他のどの家よりも混乱に陥ったのは、間違いなくナイトハルト家だろう。何せ、当主が罪に問われ、貴族裁判すら待たずに王子の手によって直接裁かれたのだから。


 どれほど楽観的に見積もっても、ナイトハルト家の未来は明るくない。


「クソッ!! 父上め、厄介なことをしてくれた……!!」


 そんな中、ナイトハルト家次期当主だった男──ローラン・ナイトハルトの降した判断は素早かった。


 持てるだけの財産と研究成果を手に、隣国であるベゼルウス帝国へ亡命する計画を立てたのだ。


「せっかくこの王国で築いた地位も名誉も台無しだ! だから、もう少し慎重に動けと言ったのに……!」


 ナイトハルト家本邸で荷造りをしながら、ローランは延々と父に悪態を吐く。

 余計なことに意識を取られながらの急ぎの作業は、自然と粗雑なものになり、慌て過ぎて机に足を引っかける。


 積もり積もった苛立ちをぶつけるように、勝手に足を引っかけた机を蹴り飛ばすその姿は、あまりにも滑稽極まりないが……本人がそれに気付いた様子はない。


 ……それを端から見ていた少女などは、呆れて物も言えないとばかりに溜め息を溢していたが。


(父親の言ってたこと、全部素晴らしいって好き放題持ち上げてた癖に。失敗した途端、後だしで文句ばっかり言って……くだらない)


 ローランは、実のところ父親のアルウェと同じ思想を持っていた。

 自らの権力を維持するためなら、他の誰がどうなろうと構わない。権力者である自分は何をしても許されるし、許されるべきだと。


 自分達がより大きな権力を持つことこそが民のためになると、勝手に民の存在を持ち出して自身の行いを正当化する癖に、外道な行いで得た利益は一切民に還元しようとしない。


 そんな醜く歪んだ権力欲の集大成とも言えるのが、その少女の存在だった。


 その事実に、少女はもはや怒りも憎しみも抱く気力が沸かず、ただただ虚しさだけが心を埋め尽くす。


「おい、なんだその目は。俺に何か文句でもあるのか!?」


「……別に、そんなことは……」


「それが主人に対する口の利き方か!!」


「っ……!!」


 ローランは、自身よりふた回り以上小さな少女の体を、容赦なく殴り飛ばす。

 少女が地面に倒れると同時に、ローブで覆い隠されたその体からは、ガシャンッ!! と無機質な音が響き、殴ったローランの方が拳を痛めたかのように手を押さえた。


「っ~~!! クソッ、どいつもこいつも、俺を誰だと思ってるんだ!!」


 勝手に殴って、勝手に怪我をしただけだというのに、それもまた少女のせいであるかのように叫びながら、ローランは何度も少女を踏みつける。


 そんな理不尽な仕打ちに、少女は一切の抵抗をしない。否、出来なかった。


 そういう風に、その体が作り替えられてしまっているのだ。


「坊っちゃん、大変です!!」


「どうした!?」


 息を切らすほどに散々少女をいたぶったローランは、駆け込んできた執事の声に反応してようやくその暴力を中断した。


 彼も、そして執事もまたピクリとも動かない少女には一瞥もくれず、新たに飛び込んできた情報に声を荒げる。


「グランベル家の旗を掲げた騎士団が、この屋敷を完全に包囲しております!!」


「なんだとぉ!?」





「父様……今日は、全力でやればいいんだよな?」


「ああ。余計なことは考えなくていい、ただ力を尽くせ」


 ナイトハルト家本邸を包囲したグランベル騎士団には、まさにこれから戦争を起こすかのような絶大な戦意が滾っていた。


 あまりにも高まり過ぎた戦意が魔力を励起させ、ナイトハルト家を取り囲むように薄い靄となって辺りに漂う。


 本来なら、過剰に過ぎる戦意は戦場においてあまり良い結果をもたらさない。

 程よい緊張感と冷静な思考こそが最適であると、騎士団を率いるカルロット・グランベルはよく理解している。


 だが、今回ばかりはそれで良いと、彼は何も言わなかった。


 なぜなら、彼らにとってこれは戦争ではない。


 ただの、蹂躙だ。


「行くぞニール。ユミエを傷付け、王家に刃を向けた罪。ナイトハルトの連中にしかと刻み込んでやれ」


「うん、分かってる」


 ナイトハルト家も、グランベルが騎士団を展開していることに気付いたのだろう。どこに隠していたのか、彼らもまた騎士団を並べ、迎え撃つ体制を整えている。


 ナイトハルト家お抱えの騎士団の強みは、その全身を覆う数多の魔道具と、その絶対数だ。

 本来、適性によって使える魔法の種類や威力に差が生じるところを、人為的な道具によって矯正し、一定レベルの実力を持つ騎士を大量配備することに成功したのだ。


 その戦力は、この本邸に配備されている分だけでも、小国の正規軍に匹敵する。

 ナイトハルト騎士団が本気で守りに入れば、ニールの魔法でも突破は難しいだろう。


 だが、それがどうしたとばかりに、カルロットはただ一人前に進み出る。


「来るな!! それ以上近付けば攻撃するぞ!!」


 突然現れ敵対行動を取るグランベル家に対し、当然とも言える事前勧告を行うナイトハルトの騎士達。

 そんな彼らの“常識的”な対応に、カルロットは思わず笑ってしまった。彼らにも、そんな知能があったのだなと。


 ユミエなど、何の警告もなく突然襲われ、その愛らしい顔と手足の自由を奪われたというのに。


「我が名はカルロット・グランベル。国王より全権を預かるシグート王子殿下の命により、これよりナイトハルト家に属する全ての者を拘束、王都へ連行する!! ……なお、抵抗する場合はこの場での殺傷も許可されている。大人しく降伏するがいい、これは最後の警告である」


 連行するとは言っているが、連れて行かれた先で待っている運命など、その場にいる誰もが理解している。それだけのことを当主が行ったのだと、全員が把握し──まともな人間であれば、今日この日を迎えるよりとうの昔にナイトハルト家から逃げ出しているのだから。


「撃て!! ヤツは王子の名を騙り、我らを不当に襲撃しようとしている!! 撃ち殺せぇ!!」


 それが無理のある主張であることくらい、そこにいた誰もが理解している。理解していたが、そうでも言わなければとても戦意を保てそうになかったのだ。


 グランベル騎士団を追い返せば、この国から逃げ出す時間を稼げる──そんな僅かな可能性に縋りながら放たれたのは、無数の火炎。

 腐っても王国にその名を轟かせるナイトハルトの精鋭達だ、一矢乱れぬ統率で放たれた魔法は、狙い違わずカルロットの体へ殺到し、爆炎の渦に呑み込んでいく。


「ははは! 見たか!! これで……は?」


 勝利を確信したナイトハルトの騎士達は、己の目を疑った。

 爆炎の中から、煤汚れ一つついていない五体満足のカルロットが、悠然と進み出て来たのだ。


「温い。この程度で、オルトリア王国を背負う忠臣のつもりだっただと……?」


 ふっ、と、カルロットが笑う。

 ただし、そこに込められていた感情は好意とは無縁の、激しい怒りを伴うもの。


 凄絶な笑みと共に抜き放たれた剣に魔力を纏わせ、魔法すら使うことなくただ勢いよく振り抜いた。


「笑わせるな!! その程度の力で国を背負おうなどと、百年早いわ!!」


 その、たった一振り。それによって生じた剣圧が大気を引き裂き、魔力を伴う衝撃となって駆け抜ける。


 それによって、数多の魔道具によってその身を守っていたはずのナイトハルトの騎士達が木っ端のように吹き飛んでいく。

 彼らが張っていた結界は無惨にも打ち砕かれ、歴史あるナイトハルトの邸宅が斜めに切断されてしまった。


 あまりにも理不尽極まりないその力に、ナイトハルトの騎士達は恐怖し、辛うじて保たれていた戦意は崩壊。形振り構わず逃げ出すもの、パニックになりながら反撃の魔法を繰り出すものと、連携も何もない無様な醜態を晒していた。


 これが、オルトリア王国最強の騎士の力。

 どんな魔法も、その身から無意識に垂れ流す魔力の圧だけで無効化され、どんな守りもその剣の前では紙くず同然に切り裂かれる。


 “一騎当千”。それが、カルロット・グランベルという存在を表す二つ名だった。


「ニール、露払いは私と騎士団がやる。お前は、今頃あの屋敷から逃げ出そうと足掻いているナイトハルトの御曹司を獲りに行け」


「分かったよ、父様」


 カルロットは、ニールなら十年もしないうちに追いつける。いや、追い越してみせろと言っているが、こんな圧倒的な力を見せられては、さしものニールもそんなことが可能だろうかと不安になる。


 だが、不安がっている場合ではないと自らを叱咤した。


(ユミエを守るには、今のままじゃダメなんだ……もっと、強くならないと)


 何よりも守りたいと願っていたはずの最愛の妹を、またしても傷つけられた。その事実は、ニールの中で深い後悔となって刻まれている。


 カルロットが全てを自らの手でやらず、息子に活躍の場を残したのも、そんな彼の心情を察してのことだろう。


 絶対に、やり遂げる。そんな覚悟で、ニールは父の攻撃によって大混乱に陥ったナイトハルト家の正門を突破し、屋敷の中へと踏み入って行った。

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