第63話 王族兄妹の進む道
「……眠ったか」
穏やかな寝息を立てるユミエの横顔を見つめながら、シグートは小さく溜め息を溢す。
実のところ、彼はユミエにあんな弱音を吐くつもりはなかった。
自分の中にある辛さを打ち明ければ、ユミエは自身のことなどそっちのけで慰めてくれるだろうと、最初から分かっていた。だからこそ、最後まで平静でいようと考えていたはずだったのだ。
それでも、シグートがつい弱音を溢してしまったのは──
「甘えたかった、のかな……ユミエに……」
六つも年下の少女相手に何をしているのかと、シグートは少しばかり自嘲する。
だが、ある意味では彼の期待通りに、ユミエに甘えたシグートは心が少し軽くなったのを感じていた。
──シグートは、何も間違っていませんよ。この国が今、こうして平和を保っていられるのは、シグートが頑張ってきたからでしょう? 胸を張って下さい。
「…………」
眠るユミエの髪をそっと撫で、シグートは自らの心を省みる。
何も、特別な言葉ではない。
一国の王子を相手に、お前が悪いなどと責められる者はほとんどいないだろうし、誰であってもあの状況なら同じように慰めるだろう。
それでもシグートにとって、ユミエがくれたその言葉が救いとなった。
ユミエの言葉だけは、立場とは関係なく本心から真っ直ぐ語られた言葉なのだと、根拠もなく信じられる。
「ははは……全く、ここまで入れ込むつもりなんてなかったのに。本当に、君は不思議な子だよ、ユミエ」
最初は、単に興味を惹く女の子というだけだった。
それなのに、気付けばユミエの存在はシグートの心の奥深くまで入り込み、取り返しがつかないほどに強く根付いている。
それこそ……これまで王子として取り組んできた"絶対王権の解体"という一大事。それに費やしてきた努力の全てを水泡に帰してでも、守りたいと願ってしまったほどに。
「兄上、まだ起きているのか? ユミエは?」
その時、ユミエの眠る病室へと、小さな足音が入り込んできた。
シグートの妹にしてこの国の王女、リフィネ・ディア・オルトリアだ。
「僕は起きているよ。ユミエはぐっすり眠ってる、起こさないように、静かにね」
「うむ……分かったのだ」
しー、と口元に指を立てるシグートに、リフィネも小声で頷いた。
つい最近まで、誰が何を言っても聞かずに暴れ回る我が儘姫と呼ばれていたのが嘘のような変貌ぶりだ。
それもこれも、ユミエの力なのだろう。それを裏付けるように、リフィネはユミエの寝顔を覗き込むと、ホッと胸を撫で下ろした。
「良かった……ちゃんと眠れたのだな。しばらくは傷が痛むかもしれないと聞いていたから、心配だったのだ」
「……そうだね」
実のところ、今のユミエは痛み止めの香草が効いているだけで、明日になればすぐにでも痛みはぶり返すだろう。
だが、今それを言ってリフィネを悲しませる必要はないと、シグートは沈黙を選んだ。
「なあ、兄上……ナイトハルト家。それに、付き従ったいくつかの家はどうなったのだ?」
「……今頃、グランベルやベルモントが"処理"に動いてくれているはずだよ。ユミエを傷付けた家を、残しておくつもりはないからね」
理性では、シグートはグランベルを動かすべきではないと思っていた。
彼らには通信魔法でユミエの状態を知らせたが、その内容にあの家の人々がどれほどの激憤を露わにしたか、容易に想像出来る。今の彼らなら、冗談抜きで戦争すら起こしかねないだろう。
そんな彼らを、事の元凶となったナイトハルト家の"処理"に動かせばどうなるか……それが分からないほど、シグートも愚かではない。
同時に、それくらいの"復讐"を容認してしまうほどには、シグートもまたこの件では大人になりきれなかった。
「そうか……早く、決着がつくといいな。きっとユミエは、あんな奴らでも……どうなったかを知れば、悲しむのだ」
所々ボカして伝えたが、リフィネもまた"そこ"で何が行われるのか、容易に想像がついたのだろう。その瞳には、ただただユミエを想う優しい光が灯っている。
「その件で言えば……兄上、メイに温情をかけてくれて、ありがとうなのだ。お陰で、またメイと一緒に暮らせる」
「ああ……それくらいは、大したことじゃないよ。ナイトハルトの暴挙に比べたら、"未遂犯"の"娘"一人くらい、見逃しても文句は言われないさ。いや……誰にも、言わせない」
どこか重い覚悟を感じさせる一言に、リフィネの表情が僅かに曇る。
果たして聞いていいものか、と悩みながら……それでも、リフィネは勇気を出して兄へと問い掛ける。
「兄上は、これからどうするつもりなのだ? ……今回の件、これで終わりではないのだろう?」
ナイトハルト家は、長らくこの国に仕えてきた古い名家だ。それを、国王から代理として指名されているとはいえ、ほぼ王子一人の独断で完全に取り潰した。
間違いなく、他の貴族達からも反発が来る。
シグートが避け続けて来た、国を二つに割るような大きな内乱が、現実のものとして引き起こされるのも時間の問題だ。
「ああ。……だから、僕は決めたよ。父上に話して、僕が正式に王となる」
「そう、か……」
シグートは、まだ十六歳だ。いくら優秀とはいえ、あまりにも若すぎる王の戴冠には反発も予想される。
それら全てをはね除けて、正式にシグートが王として君臨する。
ナイトハルトの暴挙によって薄氷一枚で保っていた均衡を崩されたこの王国を立て直すには、もはやそれしか道はない。
「リフィネ、君はユミエと一緒に、この国が落ち着くまで国外へ待避してくれ。傷の療養という名目で、許可は無理矢理にでも取り付ける。だから……」
「兄上。妾はこの国に残るぞ」
思わぬ発言に、シグートはぎょっと目を剥く。
しかし、リフィネもまた安い覚悟でそのような発言を口にしたわけではなかった。
「兄上が王になるなら、妾は騎士団に入る。王族近衛となって、それに相応しい実力を身に付けてみせるのだ。そのためには、妾だけ逃げているわけにはいかない」
「……リフィネの魔法の素質は、確かに高いけど……簡単な道じゃないよ?」
「それくらい、分かっているのだ。でも、妾は……もう、守られるばかりは嫌なのだ」
アルウェと対峙した時、リフィネは何も出来なかった。
最後の最後まで、拳の一つすら握ることもせず、やったことと言えばユミエに魔力を託したくらい。
それでは、ダメなのだ。
「妾も、兄上やユミエのように強くなりたい。強くなって、今度は妾が二人を守るのだ」
「……そうか」
成長したな、と、シグートは素直に妹の決意を嬉しく思う。
もう、自分が裏でこそこそ守らなければ生きていけないような子供ではない。そう思うと、寂しくもあったが。
「もちろん、ユミエとしばらく会えなくなると思うと、寂しいがな。……兄上、ユミエはどこに向かわせるのだ?」
「王国の南にある、神獣国ユーフェミアかな。あそことは今のところ友好的な関係を築けているし……逆に、ユーフェミア以外とは一触即発だしね」
とてもユミエの療養先には向かない、と、シグートは溜め息を溢す。
とはいえ、そのたった一つの候補地であるユーフェミアは、自然豊かで食事も美味しい、良い土地だと聞く。
ユミエがゆっくりとその体を治すには、絶好の場所だろう。リフィネも同感なのか、こくりと頷く。
「ユミエが元気になるように、たくさんお守りを用意するのだ。兄上、手伝ってくれるか?」
「ああ、もちろん」
アルウェ・ナイトハルトの起こした動乱の火種は、今この瞬間も燻り続け、いつこの王国を包む大火となるか分からない。
それでも、こうして兄妹揃って、気兼ねなく話せるようになったことだけは、良かったのだろうと──シグートは、そう思った。
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