第62話 ボロボロの二人

「うぅ……」


 ゆっくりと目を開くと、視界いっぱいに広がるのは見知らぬ天井。……前にもこんなことあったな。


 ただ、俺の記憶にある"前回"と違うことはいくつもある。


 一つは、視界が半分塞がっていること。

 そして、体を動かすまでもなく、既にめちゃくちゃ痛いってことだ。特に、腕と足と顔が。


「ユミエ、気が付いたかい?」


 声に反応して目を向けると、そこにはシグートの姿があった。

 どことなく元気のない彼の姿に、いつぞやのお兄様の姿がダブって見えた俺は、まず真っ先に確認すべきことをいくつか尋ねてみる。


「シグート……私、どれくらい眠っていましたか?」


「まだ一日経っていないよ。今は事件があった日の夜だ」


 言われてみれば、周りは暗いし、窓からは星明かりが差し込んでる。

 それなら、思ったよりは時間が経ってないんだな。


「リフィネは、大丈夫ですか? 怪我……してませんか?」


「リフィネは無事だ、今は王宮で休んでいる。君が守ってくれたお陰だよ」


「そうですか……良かった……」


 散々体を張ったのに、リフィネが怪我でもしていたら何の意味もない。


 ホッと息を吐いていると、思わぬ言葉が耳に入ってきた。


「良いはず、ないだろう……」


「え?」


 どういう意味だろうかと、俺はシグートに目を向ける。

 すると、彼は今まで見たこともないような──今にも泣きそうな顔で、懺悔するかのように吐き捨てた。


「ユミエも、リフィネも……後少しで、アルウェに殺されるところだった。確かに、リフィネは何とか無傷で済んだが……君は、そんなにボロボロになって。僕の、責任だ」


「……シグートのせいじゃないですよ。悪いのはあの男で……」


「違う!! あの男の暴走の原因……王族派と貴族派の分裂と対立を作ったのは、僕なんだ……!!」


 思わぬ情報に驚く俺へ、シグートは詳しい事情を話してくれた。


 彼の父……この国を治めるべき国王その人が現在、精神を病んでほとんど国政を担えない状態になっていること。


 そして、そんな父の代役として、これまでシグートが頑張り続けてきたことを。


「王の乱心なんて、民や諸外国に知られたら事だ。だから、この情報はほとんど誰にも知られることなく隠し通されて来た。そんな中で、僕が真っ先にやろうとしたのは、権力の分散だった」


 国王ただ一人に集中した権力を貴族達に広く分散し、議会政治の形態へとこの国の在り方を変える。それが、シグートの目指した未来だったという。


 でも……アルウェのように、それを面白く思わない貴族も多い。


 だからこそ、シグートは敢えて王族派と貴族派という二つの大きな派閥に分け、その抗争を通して少しずつ妥協点を探っていくような形を取った。


 大きすぎる変化の反発によって、本当の意味で国が割れてしまわないように。少しずつ、慎重に。


「だが……最後の最後……肝心なところで、僕は見誤った……まさかアルウェが、ここまで愚かな行為に出るなんて……!!」


 国王が満足に動けない状態では、ベルモントやグランベル、それにナイトハルトのような古くからある大貴族の権威は重要だ。そうした家がパワーバランスを保ちつつ国政を担うことで、この国を壊さないように──各貴族家が、政治に参加する意識を何年もかけて育んで来た。


 だからこそ、なんだろう。シグートは、最後の最後まで、"国王代理"としての強権を振るうことを躊躇い続けてきた。


 それをしたら、これまで積み上げてきたものが全て、無駄になってしまうから。


「いや……そんなのは言い訳だ。僕は、分かっていたはずなんだ。このやり方でも、必ず不満を持つ者は現れると。過激な行動に出る者は必ず出てくると!! 分かっていて……それなのに、僕は……結局何も、守れなかった……!!」


「そんなことはありません」


「っ!!」


 自らの失敗を悔いるように叫び続けるシグートの体を、俺は無事な左腕で抱き寄せる。


 今の俺より、六歳も歳上の大きな体。


 でもそれは……大人と比べればまだまだ未熟な、たった十六歳の子供の体だ。


 "国"なんて重いものをたった一人で背負うには、あまりにも小さすぎる。


「シグートは、何も間違っていませんよ。この国が今、こうして平和を保っていられるのは、シグートが頑張ってきたからでしょう? 胸を張って下さい」


「だが、僕は……その平和のために、いくつもの犠牲を強いて来た……ユミエ、君も」


「私は犠牲になんてなってないですよ。たとえ、この体が二度と治らないとしても」


 俺の口からこんな言葉が出てくるとは思わなかったのか、シグートの目が見開かれる。


 ……まあ、説明されなくても、これくらいは察せられるよ。自分の体のことだし。

 それに、こう言うと自意識過剰っぽいけど、シグートが俺のことを大事に想ってくれてるのは知ってる。俺が傷付いて、本気で悲しんでくれてるんだって、今この瞬間も伝わってくる。


 だからこそ、俺も伝えなきゃいけないんだ。


 シグートは、正しいことをしたんだって。


「私は、シグートと友達になれたことも、リフィネと仲良くなってあの子を守れたことも、何一つ後悔なんてしていません。今も変わらず、あなた達は私の大切な人ですよ」


「ユミエ……」


「それに、諦めてもいません。私、治しますよ、この体」


 俺の宣言に、シグートは空いた口が塞がらないとばかりに固まってしまっている。


 そんな彼に、くすりと笑みを溢しながら、俺は宣言した。


「この顔も、腕も足も、私は必ず治してみせます。もう一度、自分の足で立って、リフィネと一緒に元気に離宮を走り回って、シグートに両手で目一杯手を振って……世界一可愛い顔で笑ってみせます。そうしたら、シグートも信じられますよね?」


 今の俺に出来る精一杯の笑顔で、俺はシグートに笑いかける。


 この笑顔に、魂に、その誓いを刻み込むように。


「あなたが、この王国が世界に誇る、最高の王子様だって。他の誰がなんと言おうと、たとえシグート自身が信じていなくても──私は、あなたを信じていますから」


 俺の言葉を、どう受け取ったのか。シグートは顔を俯かせ、小さく震えながら笑い始めた。


「ははは……本当に、敵わないね、ユミエには。こんな情けない僕を、まだ信じてるだなんて……」


「情けなくなんてないですって。どんなに完璧に振る舞っても、人間誰しも泣きたくなる時はあります。そういう時のために、私みたいな友達がいるんじゃないですか」


「うん……そうだね。そうだったよ」


 そう言うや否や、シグートは俺に少しだけ体を預ける。


 どうしたのかと戸惑う俺に、シグートは小さく呟いた。


「すまない……怪我でボロボロの君にこんなことを頼むのも、どうかと思うんだが……しばらく、傍にいさせてもらっても、いいかな……?」


「もちろんですよ。というか、私も……今は、誰かに傍に、いて欲しいです」


 シグートが、王子としての責任と失態に心を痛めているように、正直俺も、まだあいつらに襲われた衝撃から完全に立ち直っているとは言い難い。


 互いに、今回の件で傷を負った者同士。

 傷口を舐め合うみたいで情けないかもしれないけど……今晩くらいは、いいだろう。


「おやすみなさい、シグート。いい夢を」


「ユミエも。……おやすみ、いい夢を」


 そういって、俺達は互いに身を寄せ合うように、ゆっくりと目を閉じるのだった。

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