第61話 "王"の裁可

「兄……上……」


「リフィネ、遅れてすまない。怪我は?」


 廃教会に足を踏み入れたシグートは、まずリフィネの下に歩み寄る。

 そんなシグートに縋り付きながら、リフィネはボロボロと涙を溢した。


「妾は、何ともない……だが、代わりにユミエが……ユミエが……!!」


「……そうか」


 震えるリフィネの体を、優しくポンポンと叩くようにあやす。

 それを終えたシグートは、リフィネと目を合わせてそっと語りかけた。


「よく頑張ったね。後は僕に任せて、少し眠っているといい」


「え……?」


 シグートが掌をかざすと、リフィネの意識が遠ざかり、眠りに落ちていく。

 完全に脱力し、倒れかかってきた幼い体を抱き留めると、シグートはそれをそっと横たえた。


「ここから先は……リフィネには、少し刺激が強すぎるからね」


 剣を握り直したシグートは、続けてアルウェの──正確には、その足元に倒れているユミエの下に向かう。


「王子、少し誤解をしているやもしれませんが、私は彼女達を助けるためにここに来たのです。疑いになられるのでしたら、この建物の裏に野盗の死体が──え?」


「うるさいよ、君」


 用意していた言い訳を並べ立てていたアルウェだが、その言葉は途中で中断されてしまった。


 彼の腕が斬り落とされ、その先に握っていた剣もろとも地面に落ちて転がっていったのだ。


「いぎッ……あァァァァ!?」


 痛みのあまりその場で崩れ落ち、泣き喚きながらのたうち回る。


 そんなアルウェには一瞥もくれず、シグートはユミエを抱き上げた。


「大丈夫……なわけ、ないよね。……ごめん、ユミエ。僕のせいだ」


 後悔と無力感の滲む声で告げられた謝罪の言葉に、ユミエからの返事はなかった。

 とっくに意識を失っていたのだろう。あまりにも残酷なまでに痛め付けられたその体を労るように、シグートはゆっくりとユミエの体をリフィネの傍へと運び、隣に横たえた。


「もうすぐ、僕を追って騎士団がやって来る。そうしたら、すぐにでも治療して貰えるように手配するから……もう少しだけ、頑張ってくれ……」


 祈るようにそう告げて、シグートは立ち上がる。


 ただ一人、、リフィネのことを探していたが、復活した信号が現れた場所を確認するや否や即座に騎士団に出動命令を出したので、間もなくここに到着することだろう。


 だからこそ、騎士が来て全てを終わらせてしまう前に、どうしても自らの手でやらなければ気が済まないことがあったのだ。


 そんな彼に、ようやく少し落ち着いたらしいアルウェから声がかかる。


「お、王子……!! どうしてこのようなことをなさるのですか!? 私は、誤解だと申し上げたはずです……!!」


「うるさいぞ、アルウェ・ナイトハルト。君は、僕の判断を間違いだとでも言うつもりか?」


 ユミエとリフィネに向けていたものとはまるで違う、重々しく冷徹な瞳。

 その迫力に、魂までもが凍えるような恐怖を味わいながらも、アルウェは必死に身の潔白を叫んだ。


「と、当然でしょう!? 私は、ナイトハルト……この王国に、長らく忠誠を誓い続けてきた、忠臣ではありませんか!! そんな私を、言い分すらもロクに聞かず裁くなど、いくらなんでも……!!」


「それが、何か問題か?」


 は? と、アルウェも、その背後で怯える配下の貴族達までもが、シグートの言葉を信じられない思いで受け止める。


 だが、シグートからすれば……そこに理解が及ばない彼らこそが、理解不能だった。


「お前達は、普段からこう言っているではないか。王権こそが絶対であり、この国は王族の下に纏まるべきだと。地方貴族に権力を分散させ、より多くの貴族達に議会での発言権を与えるなどあり得ないと」


「そ、その通りであります!! 私は、あなた様の王位を絶対の物とするために……!!」


 その瞬間、アルウェの目の前に立ったシグートが、彼の足に刃を突き立てる。

 耳障りな悲鳴が廃教会に響き渡る中、シグートは顔色一つ変えずに淡々と語り続けた。


「ならば、今この僕がやっていることになぜ疑念を呈する? これこそ、君達が求めていたものだろう?」


「へあ……?」


「王ただ一人に絶対の権力を与え、その権威で以て治世を行うというのはこういうことだ。君が何を企もうと、どれほどの貴族を味方につけようと、どれほど僕に尽くそうと──君が、どれほど僕の姿形を利用して全ての証拠を抹消しようと関係ない。ただ、僕が君を"クロ"だと断じた。君を裁くのに、それ以上の理由は必要ない」


 ヒッ、とアルウェは恐怖のあまり後退ろうとするのだが、足に突き刺さった刃が決してそれを認めない。


 助けを求めようと背後を振り返るが、先ほどまで彼の言いなりだった──否、彼の"権力"に屈していた仲間達は、同じく彼以上に絶対的な"権力"を前に、手など出せるはずがない。


「分かるか? これが"王権"だ、これが"権力"だ!! 君達が望み、安易に振りかざして来たモノの正体だ!!」


 アルウェは、甘くみていた。

 誰にでも優しく、滅多なことで怒らない情に厚い性格のシグートなら、安易に自分のような臣下を切り捨てたりしないだろうと。


 個人として好むと好まざるとに関わらず、国王の無能ぶりによって国が割れつつある今の王国を纏めるためには、ナイトハルト家の力が必要であることを理解している彼ならば……多少の不正や犯罪行為は見逃してくれるだろう、と。


 だが、違った。シグートは、アルウェが想像していたよりも遥かに激しく、その笑顔の裏で怒りの感情を滾らせていたのだ。


 それが今日、完全に発露した。


「臣下の声も、民の声も関係ない!! 王がそうだと判断した瞬間、善悪も功罪も何もかもが決し裁かれていく!! お前達に、この力の危うさが分かるか!? 王が耄碌し狂った瞬間、国すら巻き込み全てを焼き付くすこの力の危険性が!! それを、お前達は……!!」


 ギリリ、と、シグートは歯を喰い縛る。


 アルウェ達は、王権の絶対的な権威が保たれれば、"自分達は"その恩恵に与り続けられると、根拠もなく信じきっていた。


 その浅ましさが、シグートは許せない。


 どれほど横柄に振る舞おうが、自分達だけは"権力者"の側に立ち続け、何をしようと見逃して貰えると思い込んでいる、その傲慢さが。


 それほどの力を、何の覚悟もなく軽々と振り回せてしまう、その無責任さが。


 シグートの父、国王フレデリック・ディア・オルトリアなど──その重すぎる責任に耐えきれず、精神を病んでしまったというのに。


「だがな。……正直、僕は君達が権力を悪用するだけなら、ここまでするつもりはなかったよ」


 アルウェの立ち振舞いも、行動も、何もかもが気に入らず、すぐにでも断罪してやりたいと思いながらも、証拠を見付けるまではと笑顔で耐え続けていた。


 それを、今この瞬間突然翻した理由など、一つしかない。


「君はユミエを……僕の大切な人を傷付けた。君達は、僕にとって何よりも越えてはならない一線を越えたんだ。君達がこれから味わう恐怖も苦痛も、全てはそれが理由だと知れ」


「そ、そんな理由で……!?」


 彼からすれば、ユミエなどただの婚外子。浅ましくも貴族を名乗る平民ゴミのような存在だった。


 しかし、その認識こそが彼にとって何よりも致命的な間違いだったのだと、今更ながらに理解してしまった。


 ただでさえ怒りを露わにしていたシグートが、"そんな理由で"と言われた瞬間、深い憎しみの籠った眼差しでアルウェを見下ろしたのだ。


「もういい、お前の言葉などこれ以上聞きたくもない。……国王に代わり、一時的に全権を預かるこの僕──シグート・ディア・オルトリアの名において、ここに裁可を下す」


「お、お待ちください、シグート王子!! どうか……どうかお慈悲を、シグート王子ッ!!」


 自らに待ち受ける運命が既に決しているものと、ようやく悟ったのだろう。アルウェはついにプライドも何もかもを投げ捨て、無様に命乞いを始める。


 だが、そんな彼の姿は、凍り付いたシグートの心には一切届くことなく、彼の剣が高々と掲げられた。


「アルウェ・ナイトハルト。君と、それに付き従った貴族の家門を全て取り潰し、財産及び爵位を完全に没収する。……楽に死ねると思うなよ、ゴミ共が」


 その言葉を最後に、真っ直ぐに剣が振り下ろされ。


 命乞いすら許されなかった男の耳障りな悲鳴が、古びた教会に響き渡るのだった。

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