第60話 折れない想い

「ふむ……"腐り切った根性を叩き直してやる"とは、随分と大きく出たものだ。立つこともままならないその体で」


「あぐっ……!?」


 アルウェが少し力を加えるだけで、まともな鍔迫り合いをする力もないユミエはあっさり押し負け、もう一度地面に転がされる。


 ただでさえ体格で負けている上に、片手片足が折れて使い物にならないのだ。一撃防ぐことが出来ただけでも奇跡と言えるだろう。


「やめろ!! お前の狙いは妾なんだろう? もう、殺すなりなんなり、好きにしていいから……だから、ユミエにこれ以上、酷いことしないでくれ……!!」


 倒れたユミエを庇うように抱きながら、リフィネは必死に懇願する。

 そんな少女の泣き顔に、ユミエは手を添えた。


「泣かないで……リフィネは、何も間違ってなんかない。こんなやつの言うことなんかに、惑わされないで。リフィネは……もっと、幸せになっていいんです。いっぱい笑って、いっぱい、色んな人に愛されて。リフィネにも、ちゃんとその資格はありますから……」


「そ、そんなの……そんなのいらない!! 妾は、妾はユミエがいれば、それで……!!」


 まるで最期の言葉であるかのように語るユミエに不安を覚え、リフィネはすがり付く。

 そんな幼い姫君を、ユミエはそっと抱き締めた。そして──


「大丈夫ですよ。私は、リフィネの傍にいます。これからも、ちゃんと。だから……」


 その小さな唇に、自らの唇を重ね合わせた。


「リフィネの力を、貸してください」


「ユミエ? んむっ……!?」


 ──魔力は、口移しによって他人に譲渡出来る。

 とはいえ、その効率は良くて二割程度。それも、本来は魔力が枯渇した時のための緊急措置だ。下手をすれば、逆に魔力過多で"酔って"しまう可能性もある。


 それを、ユミエは自身の魔力を増強するために利用しようとしていた。


「はははは! こんな時に、見せ付けてくれますね。……ん?」


 あまりにも常識外れで、自身の身を省みない賭け。その上、成功したとしても突然大幅に強くなれるわけではない。

 だからこそ、アルウェはその行動の意図を察するのが遅れた。


 その僅かな時間が、両者の明暗を分けた。


「……ありがとう、リフィネ」


「本当に、大丈夫なのか? ユミエ……信じても、いいのだな?」


「当然です。私が今まで、リフィネに嘘をついたことがありましたか?」


「……騙されたことなら何度もあるのだ」


「あはは、そうでしたね。なら──もう一度、騙されてください」


 ユミエの体がリフィネから離れ、ふわりと浮き上がる。その体には無理矢理注ぎ込まれた魔力が満ち、今にもはち切れそうな輝きを灯す。


 一方で、残されたリフィネは魔力を使い果たした後のように、ぐったりとその場に崩れ落ちた。


「リフィネから預かったこの魔力で、私が道を切り開いてみせますから」


 覚悟の籠った眼差しで剣を握り、ユミエはアルウェと対峙する。


 そんな彼女に、アルウェは「ハッ」と冷笑を浴びせた。


「少しばかり魔力を増やした程度で、この私に勝てるとでも? さすがに、見くびり過ぎではありませんか?」


 空に浮かぶ魔法、《浮遊フライ》。非常にシンプルで、だからこそよく知られている魔法ではあるが、実のところあまり強力なものではない。


 何せ、ただ浮かび上がるだけで"飛行"と呼べるほど自由な動きが出来るわけでもなく、足場がないため剣を持ったところで踏ん張りが利かない。


 つまり、今のユミエが剣を構えたところで、見かけ倒しにしかならないのだ。


「試してみますか……?」


 にも関わらず、ユミエのこの自信。何かあるのかと、アルウェは警戒する。


(いや、何を恐れている。相手はたかが十歳の小娘だ、今更出来ることなどない)


 真に恐れるべきは、彼女の攻撃よりもむしろ、それによって生じる周辺被害だろう。

 規模によっては、周囲に異常を感付かれてしまうかもしれない。


(あるいは、それを狙っている? だとしたら、浅はかという他ないですね)


 この廃教会は、いざという時に王族が使える隠れ家としての側面を持つため、周囲に人気など一切ない。

 その上、アルウェは魔法によって周辺に結界を張ることで、如何なる音も魔法の光も外に漏れないようにしていた。


 何が起きようと、抜かりはない。


「いいでしょう、もう少しばかり、相手になってあげますよ」


 企みに乗った上で、それを叩き潰した絶望を味わって貰うのも悪くない。

 そう判断したアルウェは、ユミエに合わせるように剣を構える。


「行きます……!! やあぁぁぁ!!」


 魔法の力で天井付近まで浮き上がったユミエが、落下の力を利用してアルウェに襲い掛かった。

 足も片腕も使えないのだから、重力を利用して一撃の威力を高めるという単純な手。

 他に出来ることもないのだから、こうなるのも当然だろう。


「甘いッ!!」


 そして、十分に予測出来た手である以上、対処も容易い。

 アルウェは剣を振るい、ユミエの剣を弾き飛ばした──その瞬間。


 暴力的なまでの爆音が、アルウェとユミエの間で轟いた。


「ぐぅ!?」


「っ……!!」


 アルウェが反射的に耳を塞ぎ、ユミエは落下した勢いのまま地面を転がる。


 アルウェのみならず、周囲にいた取り巻きやリフィネまでもが耐えかねて耳を塞ぐそれは、音波増幅の魔法だ。

 剣が交錯した瞬間に生じる、派手な金属音。それを何十倍、何百倍にも膨れ上がらせることで、アルウェの脳を揺さぶり失神させることを狙った一撃だろう。


 自爆同然だが、それ故に防ぐことも難しい。なかなかに有効な攻撃だ。


「ふふふ、この短い時間でそれだけの作戦を立てるとは、やりますね……さすがは、グランベルの娘といったところでしょうか」


 至近距離で爆音を浴びたアルウェは、少々平衡感覚が狂い足元がフラついていた。

 それはほぼ同じ距離にいたユミエも同じであり、流石にこれ以上は立ち上がれない様子だ。


「ですが、無駄な足掻きもここまでですね。いい加減、死んでいただきましょうか」


「ユミエ……!!」


 多少のフラつきなどすぐに立て直し、アルウェはユミエの下へ歩いていく。


 倒れているユミエに剣を向けると──その肩が、小さく震えていることに気が付いた。


 恐怖ではなく、歓喜によって。


「……何が可笑しい?」


「いえ……無駄な足掻きだったというには、まだ早いと思っただけですよ。……ちゃんと、届きましたから」


「何……?」


 ピシッ、と、硬質なものにヒビが入る音がする。

 その発生源は、アルウェの手首──彼が魔法を使うのに用いていた、魔道具のブレスレットからだった。


 恐らく、爆音によってアルウェの気が逸れた一瞬のうちに、ユミエが何らかの魔法で攻撃したのだろう。そのヒビは、徐々に大きく広がっていく。


「あなたは……ずっと、それを使って魔法を使っていました。それを失えば……この場所から人払いをしている魔法も、なくなるんじゃないですか……?」


「っ……だからどうしたというんです? 魔法はあくまで保険、こんなものがなくとも、どうせここに人は来ませんよ」


「いいえ、来ます。私の友達は、絶対にリフィネを見捨てたりしませんから」


 ヒビがピークに達し、ブレスレットが粉々に砕け散る。


 絶対の自信と共に断言するユミエの眼差しに、アルウェは恐怖すら覚え後ずさる。


 もう、彼女自身の力ではどうしようもないと分かっているはずなのに。頼みの家族もこの王都を離れていると知っているはずなのに、どうしてそこまで、真っ直ぐ他人を信じることが出来るのか。


 アルウェには、ユミエの考えていることがさっぱり分からなかった。


「っ……死に損ないが、戯れ言を!!」


 自分が、こんなにも幼く大した力もない少女相手に恐怖を覚えたという事実が認められず、アルウェは怒りのまま剣を振り下ろそうとする。


 制止しようとするリフィネの声も無視して、その刃がユミエの命を奪おうとしたその瞬間──


 リフィネによって既に破壊された廃教会の扉の奥から、一発の魔法が飛来した。

 それは狙い違わずアルウェの剣を弾き、ユミエの命を繋ぎ止める。


「なっ……!?」


 突然の乱入者に、アルウェは絶句する。


 ユミエに言われても、来るはずがないと思っていた。

 そう、万が一にも来れないように手を回したはずだったのだ。


 それなのに、どうして"彼"がここにいるのか。


「シグート……殿下……!? なぜ、ここに!!」


 リフィネの兄にして、オルトリア王国第一王子。シグート・ディア・オルトリア。


 アルウェが化けていたのとは違う、正真正銘本物の彼が、いつにも増して表情の読めない顔で剣を携え、今ここに現れたのだ。

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