第30話 死にたくない

「はあ、はあ、はあ……!!」


 痛む体を押さえながら、俺は森の中をひた走る。


 モニカにはああ言ったけど、実のところあんまり救援は当てにしてない。


 騎士が全員いなくなってただけでも異常なのに、その上で魔物が急に現れたんだ。明らかに意図的なものを感じる。


 誰が狙われたのか、何の目的があるのかは知らないけど、これがもし本当に仕組まれた状況だっていうなら、騎士は"そっち側"ってことになる。


 むしろ、モニカ達は騎士以外の誰かに保護されて欲しい。今の俺には、そう願うことしか出来ない。


「だからせめて……お前だけは、モニカ達から引き剥がす!!」


「グオォォ!!」


 咆哮と共に、背後から迫る熊の魔物。


 ギリギリまで引き付けたところで、俺は再び《仮想付与》を発動。魔物の視界を塞いだ。


「グオォ!!」


 もちろん、二度目だってこともあって、すぐに引き裂かれてしまった。

 でも、一瞬だけあれば十分だ。


「グ……オ……?」


 遮るものがなくなった視界で、魔物が困惑の声を上げたような気がした。


 まあ、気持ちは分かる。


「「「これが俺の切り札……演出魔法、《幻影分身パレード》だ」」」


 何せ今、魔物の周囲には"俺"が山のようにたくさんいて、思い思いに駆け回ってるんだからな。


「「「さあ……どれが本物か、お前に分かるかな? ほら、分かるならさっきみたいに攻撃してみろよ。べーっ」」」


「グオォ!!」


 あっかんべーっ、と挑発する俺の分身に、魔物は猛然と襲い掛かる。

 そんな様子を、俺は木の上からこっそりと見守っていた。


「さて……これで誤魔化せればいいけど……どうなるかな……」


 ただ木の上に登るのみならず、《仮想付与》の応用で周囲に擬態し、《風纒》の応用で匂い消し。更に、分身のリアリティを高めるべく、《反響拡声エンジェルボイス》を応用して分身達が声を出しているように見せかけた。


 ついでに……。


「グオッ!?」


 魔物に攻撃された分身が、強烈な光を放ちながら消失し、魔物の目を眩ませる。


 俺の《光纒ライトアップ》を目一杯分身に仕込んでおいたから、攻撃する度に閃光のプレゼントだ。くく、ウザかろう?


「まあ……これで、俺の魔力は完全になくなったけどな……」


 元々、大して魔力量は多くないんだ。《幻影分身》はめちゃくちゃ魔力使うし、もう虚仮威しの一つもする力は残ってない。


 それどころか、魔力欠乏の症状で頭痛と倦怠感が酷すぎて、もう指一本動かす気力もない。

 もし見付かったら、確実にアウトだ。


「分身がなくなるまでに、諦めてくれればいいけど……」


 眩まされた目が回復した魔物は、怒り心頭といった様子で次の分身に飛び掛かり、またも閃光を浴びていた。


 野生の獣にとって、目が見えなくなるのはかなりの恐怖を伴うはず。魔物にとってもそれは同じなのか、三体目からは少し慎重に攻撃し始める。


「残りは……七体……」


 分身の残りが、まるで俺の寿命を表しているみたいに感じる。

 たった一人、誰に看取られることなく森の中で死んでいく……それを考えると、すごく怖い。


「グオォ!!」


 実体のない分身への攻撃で、地面が大きく抉り取られる。


 全く、俺みたいなか弱い女の子を殺すのに、それはどう考えてもオーバーパワーだろ。まともに喰らったら、挽き肉になって骨も残りそうにない。


 そうなったら……俺が死んだことさえ、誰にも気付いて貰えないのかな……?


「グオォ!!」


 いっそ、人に対してばっかりじゃなくて、こういう魔物に対しても効果がある可愛さの研究でもしとくんだったか?


 でも、さすがの俺も獣基準の可愛さは門外漢だしなぁ……まあ、次の機会があったら練習しておくか。


「グオォ!!」


 モニカ達、ちゃんと逃げ切れただろうか?

 まだあいつらも子供だし、俺が死んだことで変に責任とか感じないといいけど。


 特に、モニカのやつ……責任感強そうだったからなぁ……心配だ……。


「グオォ!!」


 ドレスを破いちゃったことも、マニラに謝りたかったな。

 このドレスを作ったことで自信もついたから、いつか自分の力で最後までデザインしたドレスを俺に着て欲しいって言ってたのに……約束、守れないかも。


 はは、謝ることばっかりだな、俺。


「グオォ!!」


 お父様、今頃どうしてるだろ。

 俺が王都に行ったってだけで仕事が手につかなかったらしいけど、今もそれくらい寂しがってくれてるんだろうか。


 お母様も、まだ少しぎこちなさはあるけど、俺を愛そうと精一杯手を伸ばしてくれてたし……死んだら、悲しんでくれるかな?


 だったら、嬉しいな。


「グオォ!!」


 お兄様も……俺と少し会えないからって、それだけでめちゃくちゃぎゅってしてくれてたな。

 あんなにも誰かに真っ直ぐ大切に想って貰えたことなんてこれまでなかったから……出来れば、もう一度……お兄様に抱かれたかった。


 ……ああ、そうか、俺……。


「死にたく……ないんだ……」


「グオォォォォ!!」


 最後の分身が吹き飛ばされた余波で、俺の隠れていた木が運悪く薙ぎ倒される。


 偽装が解け、地面に落下してしまう俺。受け身も取れず、肺の中の空気を一気に吐き出して意識が遠退いていく哀れな獲物を、魔物は見逃してはくれなかった。


 散々手こずらせてくれた相手を仕留めるのが心底嬉しいとばかりに咆哮した魔物は、殊更ゆっくりと、見せ付けるかのようにその腕を振り上げる。


「いやだ……死にたくない……誰か……助けてよ……」


 この声を聞き届けてくれる人は、ここにいない。そうと分かっていても、俺は願わずにはいられなかった。


 振り下ろされる剛腕を見ていられなくて、きつく瞼を閉じ──


「……あれ……?」


 恐れていた衝撃が襲ってこなかったことで、恐る恐る目を開ける。


 すると……俺が願って止まなかった、最愛の人がそこにいた。


「悪い、ユミエ。遅くなった」


 まだ幼さを残しながらも、整った顔立ち。

 その真っ直ぐな瞳にはどこまでも優しい光を灯し、ボロボロになった俺の体を労るように抱き締める腕は、この世界の何よりも温かくて、頼もしい。


「お兄、様ぁ……!」


 ボロボロと涙を溢しながら、その体に抱き着く。

 脇目も振らず、今置かれている状況すらも忘れてしがみつき、泣きじゃくった。


「怖かった……怖かったよぉ……お兄様ぁ……」


「ああ……よく頑張ったな。後は俺に任せて……ゆっくり、休め」


「はい……お兄様……」


 安堵と、喜びと、それ以上の何かと。

 色んな感情がごちゃまぜになって、ただ涙を流しながら──俺は、お兄様に体を預けたまま、意識を失うのだった。

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