第31話 断罪の剣と真犯人

「ユミエ……」


 気を失ったユミエの目元を拭いながら、ニールは歯を食い縛った。


 可愛らしかったドレスはズタズタに引き裂かれ、土と汗、そして本人の血で薄汚れている。


 魔力欠乏が原因で顔色も悪く、色濃い疲労と相まって浅い呼吸を何度も繰り返していた。


 まだたった十歳の少女が、他の令嬢達のために恐怖を乗り越え、こんなにボロボロになるまで一人きりで戦い抜いた。


 そんな妹の頑張りを誇らしく思うと同時に、不甲斐ない自分を顧みて死にたくなってくる。


 ユミエをこんな目に遭わせるのが嫌でここに来たのに、何をやっているのかと。


「グオォ!!」


「うるせえよ、少し黙ってろ」


 吼える魔物に向かって、ニールが声に魔力を乗せて威圧する。

 たったそれだけで、先程まであれほど暴虐の限りを尽くしていた魔物が、ピタリと足を止めた。


 まるで、得体の知れない化け物を前に、恐怖に震えるかのように。


「ごめんな、ユミエ……もう少しだけ、待っていてくれ」


 ユミエの体を、そっと木の根元にもたれかけさせる。


 本当なら、もう一瞬たりともこの体を離したくはない。だが、まだまだ未熟なニールが本気を出せば、傍にいるユミエまで巻き込んでしまう恐れがあった。


「すぐに、終わらせるから」


 眠るユミエの頭をそっと撫でたニールは、改めて剣を抜いて魔物と対峙する。


 その瞳に、かつてないほどの怒りを滾らせながら。


「……俺、シグートと違ってバカだからさ。誰が何を考えてこんなことをしたのかとか、どうしてこうなったのかとか……何も分からない」


 ニールの全身から、魔力が溢れ出る。

 ユミエの十倍以上という圧倒的な物量を誇るそれが、彼の怒りの感情を引き金として、嵐のように吹き荒れていく。


「でも、俺だってこれくらいは分かる。多分お前は、ただ利用されただけなんだろうな。本当ならもっと深い森の奥で、同じ魔物達を相手に戦ってるはずなのに、こんなところまで連れて来られて……まあ、暴れたくなる気持ちも分かる」


 ニールを中心に、極大の魔法陣が形成される。


 精緻さはない。大人が見れば、その粗雑な構成を見て「まだまだだな」と誰もが溢すことだろう。


 そんな技術の未熟さを、ニールはただただ持ち前の魔力量で以て覆す。


「だけど、そんな事情なんかどうでもいい。どんな理由があろうが、ユミエを傷付けた奴は俺が絶対に許さない!! ユミエの受けた痛み、百万倍にして返してやる!! 歯ぁ食い縛れ!!」


 形成されるのは、注ぎ込まれる魔力量に従って巨大化していく光の大剣。

 天を貫くほどに成長したそれを、ニールは力任せに振り下ろす。


「《断罪剣サンダルフォン》!!」


 この日、ベルモント家近郊の森が一つ、その面積の実に二割を喪失する大惨事となる。


 その原因が、最愛の妹を傷付けた一体を消し飛ばそうとした、とある兄の暴走であったという噂が、社交の場でまことしやかに囁かれることになるのだが……この時のニールには、それを知る由もなかった。






「着いたよ、ここだ」


 ニールがとある場所で、盛大にしてド派手に全力でやり過ぎている頃。シグートは、アルウェと共にとある空き家を訪れていた。


「郊外に、このような場所があったとは知りませんでした。一体なんですか? ここは」


「まあ、僕の隠れ家とでも言っておくよ。特に何が置いてあるわけでもないけど、代わりに何があっても誰にも気付かれない」


「はあ、そうなのですか」


 そんな場所に何の用なのか? と、アルウェは訝しむ。


 いくら素質があるとはいえ、僅か十二歳ばかりの子供が魔物の下へ向かったにしては、悠長過ぎるのではなかろうか。


 そんなアルウェの心の内を、シグートは正確に読み取っていた。


「安心しなよ、ニールは大丈夫だ。あいつはまだまだ未熟だし、僕に一度も模擬戦で勝った試しはないが……


 当たり前だが、模擬戦では相手を殺すような攻撃は使えない。


 その点、ニールは低すぎる年齢もあってその多すぎる魔力をほとんど制御しきれないため、ごくごく初歩の弱い魔法しか使うことが出来ないのだ。


 魔物相手に、その力を躊躇なく全力で解き放ったのなら。ニールの魔法は、既に現役の騎士すら超越する威力を持つ。


 それこそが、グランベル家においてユミエが"出来損ない"とされていた理由の一端でもあるのだ。


「僕としてはむしろ、ニールがやり過ぎていないか少し心配なんだけど……そこはまあ、親友の自制心を信じることとしようか」


 実は理性も自制心もとっくに吹き飛ばし、ついでに森の一部さえも消し飛ばしてしまっているなどとは思いもよらないまま、シグートはそう言って笑う。


 後に、彼の蛮行の後始末に奔走することになる未来が確定していることも知らない哀れな王子は、改めて本題とばかりにアルウェへと向き直る。


「さて、早速なんだけど……アルウェ・ナイトハルト卿。君にいくつか聞きたいことがあったから、ここに呼んだんだ」


「私に?」


「ああ。その前にまず、君は今回の事件の首謀者が誰だと思っている? ここでの発言は記録にも残らないから、自由に述べてくれたまえ」


 王子の意図が分からず、アルウェは困惑する。


 しかし、問われたからには答えなければならないだろうと、彼は口を開いた。


「ベルモント家の倉庫で魔物の取引が行われたのです。ベルモント家がもっとも可能性が高いと思われますが?」


「へえ、そうか。それは不思議だね……?」


 ピクリと、アルウェの体が硬直する。


 それに構わず、シグートは語り続けた。


「他にもおかしな点はたくさんある。ベルモント家の当主は娘を可愛がっていると評判なのに、どうしてその娘がピクニックを楽しんでいる森を輸送ルートに選ぶと思ったんだい? 普通、迂回くらいさせるだろう。もし仮に、当主がそれを知らなかったと仮定して……実の父親も、招待された令嬢達でさえ知らなかったモニカ嬢の行き先を、どうして君が把握していた?」


 ニールはユミエに関することならベラベラとすぐに惚気ついでに話すし、ユミエの予定なら根掘り葉掘り知ろうとする。

 そして、ユミエ当人も別段隠すことはせず全てニールに語って聞かせるという。


 そんなニールの話によれば、少なくともユミエは直前まで、今回の集まりが"ピクニック"だとは微塵も思っていなかったはずなのだ。


 それを知ることが出来る人物がいるとすれば、それは──


「ここからは、仮定の話だ。ベルモント家は今、魔物対策費を低減して自らの主導する貴族学園構想に予算を回すべきだと主張している。もし仮に、ここで当主が大切にしている娘に魔物による"事故"が起きたなら、彼が自らの主張を百八十度変える可能性は十分あるのではないだろうか?」


 シグートは、笑っている。ニコニコと笑顔を浮かべたまま、アルウェへと詰め寄っていく。


「もしそうでないとしても、ベルモント家が魔物を実験に利用しようとして事故を起こしたという醜聞が広まれば、影響力の低下は免れない。冤罪だったとしても、そんな"印象"を与えることが出来ただけで、彼の主張に耳を傾ける者は減るだろう。どう転んでも、王家にとって有利な流れになる──そんな"妄想"を拗らせた馬鹿がいたとしたら、今回の事件も説明がつくと思うんだ」


「ははは、面白い仮説ですな」


 シグートの笑顔に、アルウェもまた笑顔で応じる。

 そんな彼に、シグートはスッと目を細めながら、宣告した。


「無能な味方は、有能な敵よりよほど始末が悪い。よく覚えておくといい」


「ははは……もしそのような者を見付けたならば、私がこの剣の錆びにしてくれましょう。ご安心を」


 ピリピリと、緊迫した空気が両者の間に漂う。

 そのまましばし互いに無言の時を過ごした後、先に折れたのはシグートの方だった。


「頼もしいことだ。では、僕たちもそろそろニールを追おうか」


「畏まりました」


 二人で空き家を後にしながら、シグートは思う。

 ここで、激昂して襲い掛かってでも来てくれたら、楽だったのに、と。


(今はまだ、何の証拠もないからね。けど……そう簡単に言い逃れられると思うなよ)


 心の内でそう呟きながら、シグートは何事もなかったかのようにアルウェと共に馬へと跨がる。


 こうして、突如出現した魔物に端を発した事件は、ひとまず原因不明のまま幕を降ろすのだった。

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