第3話 お茶
「じゃあ君はローザちゃんって言うのか」
二人でリビングに座り、お茶を飲む。
彼女には玄関の掃除をしてもらい、今日のところは許すことにした。言動が非常識な割に、「掃除には慣れてます!」と意気込んだとおり、掃除はやたら上手だった。代金はあとで絶対に返すというので、LINEを交換しておいた。
「そうです、ローザ。名字とかは無いの」
彼女の答えに、そのときはそうか、外国人だからかな、などと勝手に納得していた。
「ローザちゃん、お金無いって言ってたけど、ご両親は?」
「親は……いるにはいるんだけど、いま私家出してて」
「家出か。僕もむかし家出したことがある。母が僕の大切にしていたおもちゃを捨てちゃってさ。悲しくて喚き散らして。それでも気持ちが収まらなくて、母のネックレスを全部ゴミ箱に突っ込んでやったんだ。だんだん罪悪感が湧いてきて、それで家を飛び出した」
「へえ、人間は罪悪感で家出することもあるのね」
「気持ちのやり場が無くて、泣きながら近くのゲームセンターに入った。そのゲームセンターはもう潰れかけてて、誰もいなかったけどね。そこでパンチングマシンって言うのかな、殴れるやつをずっと殴ってたら、気持ちが落ち着いたんだ。そしたら急に寂しくなって、家に帰った。その間実に3時間。どうだ、早いだろう」
「ははは、早いね」
彼女は笑った。あのときの笑顔が忘れられなかったんだと思う。彼女にもっと笑っていてほしかった。だから、僕は──
* * *
遊園地の悪夢から──彼女が人間でないと知ってから、僕は毎日悩み続けていた。あれ以降も彼女と楽しげにLINEで会話しているが、それすらなんだか虚無感を覚えていた。
この会話は、なんなのか。画面の向こうには誰もいなくて、ただ雑談ボットに夢中になっている、一人の男子中学生。そう考えると虚しくて。
〈ローザちゃんは、僕のこと、好き?〉
小学生が、Siriとかに入力するようなメッセージ。
〈んー?好きだよー?〉
りんなが返してくるようなメッセージ。前は何度も見返すほど喜んでたのに、どうして、今はこんなに薄っぺらく感じるのだろう。
〈どんなとこが好き?〉
〈そうだねぇー。嘘つかないとこ、着飾らないとこ、私のことをちゃんと大事にしてくれるとこ。なんで?〉
〈いや、なんでもない。嬉しい、ありがとう。僕も大好きだよ〉
やっぱ無理だ。前言撤回。こんなに人間らしい子が、ロボットのはずがないじゃないか!僕が嬉しくなるポイントを絶妙に突いてくる。世界で一番僕のことを理解してくれているのは彼女としか思えなかった。
〈南くん、今日も眠くなるまで通話しない?〉
〈え~しょーがないな~。学校がない君と違って僕は忙しいんだかんな〉
〈もう!私だって朝からお仕事あるよ!寝る準備するから数分後に通話かけるね〉
どんな内容を返そうかな……と言語野をはたらかせていたときだった。
「涼太。あんたずっと部屋に籠もりきりで夜ごはん食べてないんじゃないの。勉強もいいけど、ご飯はちゃんと食べないと駄目よ。それともまだデリバリーなんて頼んでるの?」
母が部屋に入ってきた。
「デリバリーはしてないよ。今日は……お腹すいてないから。お腹すいたらちゃんと食べるよ」
「そう?でもママ心配だわ、あんたが受験勉強でお腹すかせてたらどうしようって」
「すいてねーって。忙しいからほっといてよ」
「ねえ、私リビングで夕食作ったのよ。二人分。温かいうちに一緒に食べない?」
明らかに僕はイライラしていた。ローザとの通話の約束が迫っている。
「あとで食うからさ。今は邪魔しないでよ」
「じゃあせめてここで一緒にあんたと話をさせてよ。ほら、麦茶持ってきたのよ。私がここにいるくらいいいじゃない。あんた筑附か開成に行ってパパみたいになるんでしょう?勉強してるとこ、ママにも見せてよ」
母がそう言った瞬間、スマホから呼び出し音が鳴った。画面にはでかでかとローザの自撮りが表示されている。……これは、すごく、まずい。
「ちょっとちょっと。あんたこれ誰よ。勝手に彼女作ったの?深夜にたまにぶつぶつ言ってると思ったら勉強してたんじゃなかったの?ママてっきり英語の勉強でもしてるのかと思ったわ。あんたのこと私信じてたのよ?勉強してるって」
マシンガンのように母は話しかけてくる。
「……ママには関係ない」
「誰があんたに金出してやってると思ってんの?まさか私がいない間に家に上げてないでしょーね。私掃除してないしあんたくらいの年のカップルなんてろくなことしないわ。だいたいねえ、高校受験の年にそんなことにうつつ抜かしてるようじゃ受験落ちるよ。もっと必死こいて勉強しなさいよ。あんたがヘラヘラしながらバカみたいな通話だかなんだかしてる間にライバルはずっと勉強してるのよ。あんたのこと応援したあたしがバカだったわ」
「邪魔すんなっつっただろ!!!」
母が持ってきたグラス入りの麦茶を壁に投げつけた。本棚にあった参考書が茶色く染まっていく。
「何が高校受験だよ。お前が受けさせたいだけじゃねーかよ。僕の意見なんか何一つ聞いてくれなかったくせに。何が『話をしたい』だよ。お前が一方的に言いたいこと言いたいだけじゃねーかよ」
もういい。こんなことやってられるか。
「ずっとずっとうっせえんだよ。僕もう行かねーよ高校なんて。中卒でいいよ。働くよ。それなら満足だろ?お前らも金出さなくていいもんな」
「いいわけないでしょ!」
母は僕をぶった。そして僕のスマホを「こんなもの!こんなの渡したから!」と言いながら机の角に何度もぶつけて粉々にした。それから、窓の外に投げ捨てた。
僕の大嫌いな飲み物は、麦茶だ。
ニューロビート しどろ @dnm_b
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