第3話

 1週間は本当に時間が足りない。あれやらこれやらやっていると、もう、彼の来る日なのだ。

「あれ、お母さんたちいないんだ」

「今日、弟その1の誕生日なの。“家族”でディナーに行ったよ」

「…家族」

 プライベートなことは話さない、深入りしない、距離をとる、それが家庭教師のマナーというかルールというか。そうだと思う。各家庭の事情に踏み込んでは、それこそ精神衛生上良くない。

 玄関で迎えて、キッチンで飲み物を用意して、2階の自室へ上がる。

「…変なこと聞くけど、そのディナー行かなくて良かったの?家庭教師の時間なんてずらせば…」

 トントン、トントン。階段を上る足が止まる。

「受験が目前なんだよ、私」

後ろから階段を上る彼に振り向きもせずに、言い訳をした。






   * * *






 カチ、カチ、カチ。秒針の音に呼吸を乱される、気付けばそのリズムに飲まれてしまって呼吸のタイミングを忘れる。

 家族というものがわからない。

 そこに、触れられたくなくて。誰からも。

 遠い昔、弟が産まれる前のこと。私は可愛がられていたはずだった、しかし、7歳の時に弟が産まれ私は“お姉ちゃん”の立場を求められるようになった。そして9歳の時また弟が産まれた。それまで以上に、立場を考えさせられた、

 弟たちの目標に。

 弟たちのお手本に。

 弟たちに誇れるように。

そらちゃん」

 親の期待に応えるように。

 親の信頼を崩さないように。

 親の希望に添えるように。

「…穹ちゃん」

 カチ、カチ、カチ。時計の針はちゃんと、リズムを刻むのに。心臓はバクバクと早まって、肺はその役目を放棄する。

 シャーペンを持つ手が震えて問題を解くことすら出来なくて、視界がぼやけて頭が軋む。

「穹ちゃんっ」

 椅子から降りて床につくばる姿勢でなんとか呼吸を戻そうとするが、涙が溢れてそれを妨害される。

 ねぇ私、ちゃんと生きられているのかな。プリントの問題は解けてもその問いは答えられない。

 自分のものではない柔軟剤の香りが全身を包む。力強いそれに包まれると、どこからか鼓動が聞こえてきて、それにつられるようにゆっくりと呼吸が戻る。ドクン、ドクン、ドクン。血が巡る音、生きている音。人間がこの世に形を保った最初に聞く音。

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