第118話、伝説の冒険者

「うわ、デカ……」


 馬車よりも大きな赤黒い猪が、そこにいた。


 平原を踏み荒らし、馬車列をミミズのように食い漁らんと鼻息荒く興奮している。


「おおおおっ!!」

『ブヒィィィ!?』


 肉弾戦最強のガッツによる横蹴りにより、横腹を蹴られたボアの身体が真横に大きくズレていく。


「ぼ、ボアの動きは読めないですっ……」

「っ……!!」


 懸命に魔法を撃つタイミングを見極めようと観察するイチカちゃんの前に、煙玉をボアの目元に投げ付けながらオーミが躍り出た。


 俊敏なその動きは残像をも残しそうな程で、B希望剣の補佐を一身に担う選りすぐりの精鋭であることを瞬時に知らしめた。


「大剣がないと、こんな大きいやつ倒せないんじゃね?」

「これはまだ若い個体だ。おそらくは先程のハレアに恐れをなして逃げて来ていたのだろう。しかし恰好の獲物を前に、ボアの脳内は既に捕食一色に切り替わっている。向かって来る速度を思えば逃げ切ることは不可能。倒す他あるまい」

「……あるまい、じゃねぇよ。お前は何で戦わないの?」


 一歩も二歩も三歩も引いた位置から、後ろ手を組んで熾烈な戦闘を見守るマーナン。


「こいつならイチカちゃんの〈減速スロウ〉と〈闇黒の月ブラックムーン〉のセットができるじゃん。やりなさいよ」

「マナポーションはあるのか? あるならやろう」

「ねぇよ? だって材料なんかないもん」

「ならば断る。何故なら我は老いて旅を楽しめなくなるのは御免だからだ」

「……俺もだけどさ、お前も英雄には程遠いよな。どっちかって言ったら俺等、人類の敵寄りだもんな。魔将と言われても仕方ねぇよ。なんかしっくりくるもん、自分で」


 ボアと殴り合う超人とそれを助ける達人、更に辺りをウロウロする少女を眺めながら、しみじみ語り合う。


「あ、アリマ様っ、我等もお手伝いいたします!」

「そう言えば御者さん、戦えるんでしたね。……いや、俺等でやりますわ」

「いや、しかしこのレベルでは全員でかからねば全滅も有り得るかとっ……!」


 御者さん達が何故か俺に判断を仰ぎに来るが、心配そうなのでイチカちゃんとマーナンにお願いする。


「お〜い、イチカちゃんが全力で〈減速スロウ〉空間かけるから、その後でマーナンが闇魔法使って鼻と口を押さえちまえば窒息死するだろ。いいタイミングで下がんなさい」

「悪魔の指示っ! 了解した!!」


 悪魔の指示だろうか。斬り殺すのも焼き殺すのも、窒息させるのもどれも変わらないと思うが。


「引くぞっ、オーミ!!」

「っ……!!」


 一撃、渾身の拳撃をボアの眉間に打ち込み、怯んだ隙に二人が飛び退いた。


 衝撃はボアから地に流れ、地面を揺らすまでに至る。


「行きますっ、〈減速スロ〉――」

「必要ない、未熟者達よ」


 大気が、その声に静まり返ったようであった。


 イチカちゃんの横合いに、今の今までいなかった筈の人影が現れる。


「公爵様がお待ちだ。まさか魔王を倒した者達が、この程度に足止めされているとは」


 その肉体逞しい老人は眼帯をしており、銀髪を後ろで束ね、燕尾服を靡かせてボアへと歩んで行く。


 洗練された動きで腰元の双剣を引き抜き、身も凍る覇気に硬直する者達の視線を一身に受けて歩む。


「ッ――――」


 姿が消える。


 猛進勇者さながらの加速を、その身一つで成してしまっていた。


 そして、


『ブ、ヒィィィイっ!?』

「…………」


 老人が真っ直ぐに繰り出した蹴り足の爪先が、ボアの首元に突き刺さっていた。


「魔物とは言え同じ世界に生きる生命。苦しめて殺めるようならば、それは冒険者として未熟の証……。……っ!!」


 ボアを蹴り足とは逆の足で足場にして飛び退いた。


 穿たれた傷口からは血が噴き出し、ボアが地鳴りを響かせて地に落ちる。


「……カイザーボアを、蹴り一つで……」

「す、凄いです……」


 ガッツやマーナンを凌ぐ技量を持つ謎の人物に、誰もが言葉を忘れていた。


「あの双剣……まさかっ、元S級冒険者の“シュナイゼル・ガード”か……!!」

「なにっ!? S級だとっ!?」


 かつての王国最強の冒険者は現在、キィーザック公爵家に仕えている。


 風の噂ではあったが、それは真実であった。


「…………」


 ……なんで双剣、抜いた?

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