第117話、違った。この話から二話後だった。
どんよりと曇り空が広がる中で、馬車列は思いもよらぬ幸運と遭遇していた。
「すげぇ……」
「人の目に触れることが中々ないのだけど、私達は天に恵まれたようだね」
曇天のすぐ下を行く巨影が、見上げる俺達を圧倒していた。
「ほわぁ……」
「…………」
翼もなく、空を棲家に、自由気ままに遊泳するその巨大な神獣。不死戦艦よりも大きく、淡く輝くマリンブルーの超生命体。
「“天鯨・ハレア”……雲よりずっと高く、星々の海を飛んでいる彼が姿を見せるなんて、地上の何かに挨拶でもしているのかもね」
「ぬっ、まさか……」
あっ、モナにご挨拶しているのか。
目下に《嘘の魔女》の気配を何らかの方法で察知して降りて来たようだ。そうなると世界でも指折りの強さであることが分かる。
「……我かっ!? 魔王殺しを讃えようと言うのか、ハレアよっ」
「お前に挨拶しても何の得にもならないことは俺等が一番よく知ってるよ。大人しく首を垂れたろ」
俺の視界を覆いながら挨拶を返そうとするマーナンを罵倒し、雲の上へ上がっていくハレアを見送った。
「……一生の思い出だな。魔王より遥かに目撃することの難しい生物だ。呼吸も忘れて見入ってしまった」
「公爵様に感謝ですっ……!」
「うむ、それにオーミとモルガナにもいい思い出ができて良かったぞ。醜いものばかり見せてしまっていたからな」
心動かされる感動的絶景を目にして、車内も歓喜に満ちていた。
「やっぱりいいねぇ、旅は。ほぼ初めてだけど」
「王都の魔法祭にも行くべきである。王国の内外から選りすぐりの魔法使い達が集まる、国を挙げての祭典なのだからな」
「王都はでも、結構……遠いよ? 今回みたいに気軽には行けないから、かなり計画的に決めないと」
「では計画的に決めればよい。良きに計らえ」
驚きの事実であるが、こんな偉そうに見下して命令してくる者にも手を上げてはいけないのだ。法律というものは、非常に酷なのである。
「簡単に、そして丸投げでよく言えるねぇ。じゃあ俺が頑張って馬車買うから、マーナンが引っ張って二人で王都を目指そっか」
「何日かかると思っているっ! 馬も買えば良かろうに!」
「何日かかってもいいじゃない。馬車馬マーナンの苦しむ顔を見られるなら、俺はどれだけの日程でも耐えてみせるよ」
貝柱の乾物を食べていたマーナンから、貝ひもの乾物を奪いながら日常会話を決め込む。
「疲れたら止まってもいいよぉ? 車内でポーション作って、投げ付けてやっから」
「嫌がらせではないかっ! 無理矢理に走らせようとしているではないかっ! 疲労から立ち止まったところをびしょ濡れにされて、尚も我に走れと言うのかっ!!」
気性の激しい野犬の如く吠えて来るマーナンから視線を外し、またハレアのような素晴らしい生物との出会いを期待して景色を満喫する。
「……なんか、馬車列は魔物が頻繁に出て来るって聞いてたんだけど、今回の旅ってあんまりいないらしいわ」
「行きは順風満帆です。もう間もなく目的の都市に着くみたいです」
「うぃ〜、はぁ…………」
旅を楽しめるのもここまでと、内にあった鬱屈した気が長い溜め息となって吐き出される。
貝ひもをガジガジ噛んで、濃縮された旨味を味わい気を紛らす。
「……ん〜? なんか来てんな」
「どれどれ、暇で暇で仕方ない退屈に蝕まれて二日目の私が見てあげよう」
「うん、到着したらご自身で機嫌を取ろうね。できることがあるなら協力するよぉ?」
ちょっとモルガナではなくモナが顔を見せているが、夜にでも機嫌を取るしかないだろう。
「おっとこれは大物だ。カイザーボアじゃないか」
「カイザーボアっ!? ものによってはA級の化け物だぞっ!!」
気も楽に反対側の景色を眺めていたガッツが跳ね起き、扉から外へ出る。
「私達も行くですよっ!」
「我は休暇中になんかぁ……そういう感じで動きたくないのだがぁ」
「いいから早く来るですっ!」
イチカちゃんに引っ張られて、渋っていたマーナンも飛び出していく。
「っ……!!」
「えぇ〜? 私もかい? 私は行かないよ、馬車列が半分ほど壊されたならもう一度声をかけてくれ。その時にもう一度お断りするから」
「っ……!? っ…………」
脅威の不参加率を表明するモルガナに吃驚しきりのオーミが、俺へ強烈な眼差しを向けて来た。
あまりに良い子のオーミに見上げられると断り切れないので、不貞腐れているモナヘそれとなく提案する。
「……夜には二人でなんかすっか? だからアレだけちょっと手伝ってあげたら?」
「騙されないよ。昨夜は喘ぎ声の一つも上がらない内からすぐに寝てしまったし、少しも甘い夜ではなかったじゃないか」
「いやもうね、今日は危険よ? して欲しいこと余すことなく叶えるから」
「…………」
……はい、おそらく機嫌が治った。かなりの期待感を持って、拗ね顔に徹していた表情から喜びが漏れ出ている。
「ふ〜ん……ではこうしよう。馬車列に被害が及ぶ時には私も出よう」
「おっ、大盤振る舞いじゃん」
「オーミ君もコール君を使うとは、彼の狡賢さが君にまで影響してしまったようだね」
俺を利用したオーミがモルガナの流し目に怯えて、馬車列の前で立ちはだかるガッツ達へ駆けていく。
「今夜が楽しみだよ。君は私に何をしてくれて、何をしてもらおうか」
「でもさ、結局……いや、なんでもね」
「……言いたまえ、また私がおへそを曲げてもしらないよ?」
言い淀んだ俺へとモナが鋭い横目で拗ねるぞと脅して来る。
「……モナって結局さ、させてるつもりになってるだけで、めちゃくちゃお世話してくれるじゃん。最近は特に尽くされ放題なんだけど」
「…………」
「あんたの弱い朝とかはともかく、凄いサービス精神で実は俺が何かしてあげるって、そこまでないっすよね」
自覚が無かったのか、これまでを思い起こしているように見受けられる。
「……えっちの時?」
「夜もだね。女王様くらいの目線で上から言ってくる癖に、物凄い色々としてくれんじゃん。その抜けてるところが可愛いくて堪らないから今まで言わなかったけど……」
「…………」
「むしろ何かしてあげたいと思っちゃうもん。でも最近は料理も作ってくれるし、いよいよやる事無くなって来たよね…………じゃ、見学に行ってきま〜す」
眉根を寄せて過去の記憶を熟考し始めたモナを置いて、俺はカイザーボアとやらを鑑賞しに向かった。
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