第109話、イチカさん
そこは通りを少し進んだ先にあるちょっとした広場で行われていた。
参加費用は三千ゴールド。千ゴールド金貨三枚を、講習代ボックスに入れてから、ウルフハント講座に正式に参加させてもらう。
「ハッハー! さぁっ、このイチカ・グラースとウルフハントを学びましょう!」
「おーっ!!」
参加人数は十四名程だが、あの魔王討伐や魔将撃破に貢献したウルフキラーことイチカ・グラースから学べるとあって、皆一様に真剣な顔付きであった。
イチカさんはファーランド魔法学園を卒業してかなり経つらしく、二十代半ばといった容貌をされている。さぞかし経験も豊富だろう。
ウルフキラーらしくウルフの毛皮を被り、能天気さすら感じられる挙動で俺達を油断させてくる。
「それじゃあ早速、ウルフとはどのような生き物なのかから教えるわ!」
「おおっ、それっぽい…………シッ! シッ! ちぇい!」
大声で喋るものだから、周囲で聞き耳を立てている人に聴こえている。だから手で払い退ける仕草をして散らす。
鼻を鳴らして去っていく無賃講習者を見送り、落ち着いてウルフハントを学ぶ。
「ウルフとは、それは………………」
「っ…………」
急に間を大切にし始めるイチカさんに、思わず息を呑む。
「…………ちょっと強い犬よっ!」
ちなみにウルフは結構強い。犬だとしても、かなり強い犬だ。
「ちょっと強い犬を狩る練習を、俺達はするんすか……?」
「そうよ! でも勘違いしないで! 私からしたらちょっと強い犬ってだけで、あなた達からしたら死の権化よ! 講習を受けた後にちょっと強い犬になるの!」
「おおっ! は、早く俺達もちょっと強い犬にしてください!」
ちょっと強い犬にも俺は勝てる気がしないが、死の権化からそれだけランクが引き下がるのであれば受講しない手はない。
「慌てないでっ! でも元気のいい子は好きよ!」
「あざーっす!」
手で制止され、イチカさんの指示を待つ。
好印象である。かなり気持ちの良い偽物であった。元気が良くて明るくて、イチカを名乗らなくても人気者なのではないだろうか。
「ウルフの攻撃は噛み付き、これだけよ。つまり直線の動き。あなた達が覚えるのは、回避アンド反撃。これだけよ!」
ウルフに見つかった前提であった。
既にバトルに突入していた。しかも噛み付かれる距離で、真正面からという状況のようだ。
「おおっ、やっと実戦だ! 僕もイチカさんのようになるぞ!」
「この街から出てウルフを狩りまくるぜ!!」
俺の他の人達はあまり違和感を感じないらしい。
効果的な罠とか、先に見つけて先手を打つ方法とかの方が、安全でいいと思ってしまう。せめて遠距離攻撃の手段か、槍が欲しいところである。
でも確かにイチカちゃんは真っ向から勝負できるので、イチカさんもそれを真似ているのかもしれない。
「やっと見つけた。……何をやっているんだ、お前は」
「静かにしろ、バカタレ」
厚手のジャケットや長ズボン、ブーツを購入したガッツが歩んで来た。特に選ぶのに時間をかけるわけでもなく、適当に目に付いた好みの物を購入したのだろう。
「今はあのウルフキラーと名高いイチカさんがたった三千ゴールドで、ウルフハントの講習会をやってくださっているんだ。邪魔だからあっちへ…………」
「…………」
話す最中から財布を取り出し、三千ゴールドを講習代ボックスへ入れて俺に並ぶガッツ。
「あら、新しい子ね!」
「途中からですがお願いします、イチカさん」
「いいわよ!」
学習意欲の高いガッツもイチカさんの指導を受けたいのだ。
「じゃ、誰かウルフ役をやってもらえる!?」
「はい!」
「はい君が早かった! じゃあ新人のあなたがウルフになり切って、こう手で掴む感じで私の喉元に噛み付いて来てもらえる!?」
「やってみます!」
ガッツが先程の憂さを晴らすように楽しみ始めてしまった。
既に身構えるイチカさんは、歩み寄って対面したガッツを本物のウルフに見立て…………一分の隙も見せずに集中している。
「………………いつでもいい――」
速過ぎて腕が掻き消えたガッツが、イチカさんの首を掴んでしまう。
「…………ぷっ」
気付かれないように笑いを溢す。静寂がまた面白くて仕方ない。
「……やるわね、あなた!」
「ありがとうございます!!」
「でもそれはウルフの動きではないわ! 蛇の動きよ! それだと私は避けられないの!」
「すみませんっ!」
なんとガッツは蛇の動きをして不正を働いていたのだ。イチカさんが避けられなかったのも無理はない。
「おいっ、蛇の動きすんなよ!」
「すまん! 真っ直ぐに手を出したら蛇の動きになってしまったらしい!」
「ウルフだかんね? お前はウルフ!」
「あぁ、次からは任せろ!」
けれどガッツはどうしたって蛇の動きを止められないらしい。
「ふっ! はっ! ほっ!! てりゃ!」
可愛げあるイチカさんが次々と避けるも、その喉を的確に掴み取ってしまう。
「貴様等っ、我を出迎えんとはどのような了見だ! 置いて行かれたのかとそわそわすること決戦前夜の如しぃぃ!!」
「おいっ、静粛にしろ。今はイチカさんがウルフの攻撃を回避する術をたった三千ゴールドで教えてくれている最中…………」
「…………」
コートなどを身に付けたマーナンが講習代ボックスへゴールドを突っ込み、俺に並んだ。
「う〜ん、やっぱりあなたは蛇の動きが抜けないみたいね! ウルフになり切れていないわ!」
「す、すみません……」
「いいのよ! でも埒が開かないから、先に私がウルフの見本をやるわ! まずは鳴き声から入るのよ!」
蛇の動きしかしやがらないガッツがトボトボと戻ってくる。
「貴様っ、蛇の動きでグラース殿の足枷となるなど言語道断なるぞ!」
「無念だ……」
「ここは我が行く。貴様等はここで待っているがいい」
このようにイチカさんで遊んでいた俺達だったが、直後に戦慄が走る。
「ガゥゥ!! アゥゥ……!! こんな――」
「――ウルフです?」
よりによって激似鳴き声を披露してしまったイチカさんの背後に一人の少女が現れ、発したその一言により広場が凍り付く。
張り裂けそうな殺気が発せられ、ビリビリと空間全てを痺れさせる。
その眼光は夜の闇に月の如く浮かび、標的を捉えて決して逃さない。
同時に、タナカを思わせる少女の手刀が仄かな光を放ち始めた。
「ギャぁぁぁぁぉぅ!?」
「ヤバいぞ、あれはヤバい!!」
「毛皮を脱ぐのだっ、早くぅぅぅぅ!!」
最早、自分が何を言っているのかも分からないままに、狼の毛皮を被るイチカさんに危機を叫ぶ。イチカちゃんからは完全にボスウルフにしか見えていないだろう。
偽物イジりが急転直下。殺人事件へ真っしぐら。
「街中にウルフです?」
「…………」
恐怖に号泣するイチカさんは憐れな程に震えている。声も上げられず、身動きも取れていない。
イチカちゃんはゆっくりと手刀を上げていく。
「くっそ! マーナンっ、闇魔法で毛皮を剥ぎ取れっ!!」
「ん〜任されたっ、〈
汗滲むマーナンが突き出した手から、無数の闇の手が伸びていく。
「――討伐するです」
先程のガッツを思わせて、イチカちゃんの腕が掻き消えた。
「イィ……!?」
「…………お姉さんです?」
「ん、ん……?」
イチカさんの首が飛び光景が恐ろしくて目を瞑るも、いつものイチカちゃんの声に目を開ける。
その声音からは凄みと殺意が消え、小動物感が感じられていた。
「…………」
イチカちゃんの手刀による突きが、イチカさんの首後ろで停止していた。
後ろ髪を幾らか斬り飛ばし、夜風に乗せて吹き上がっていく。
「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ」
「き、肝が冷えたぞ……」
狼の毛皮を手にするマーナンと心臓を押さえるガッツが同時に膝を突く。
「……――――」
「あ、イチカさんが気絶した」
目を覚ましたイチカさんに、イチカちゃんは凄く怒っていた。
「危険ですっ! ウルフハントは遊びじゃないです!」
「しゅん……」
「半端な知識を広げちゃダメです! ウルフ相手に正面からなんて死にに行くようなものです!」
ボスウルフのパンチを至近距離で避けまくっていたが、あれは超応用編だろうか。
「三人だって分かってた筈です! 何で止めないんですっ?」
「す、すんません……。イチカさんが楽しそうだったもんで、なんか微笑ましくて……」
「姪っ子と遊んでる気分です!?」
三人で説教される。マーナンなどは来たばかりであったのに、大人しく説教されている。
「……これに懲りたら、偽物なんて止めるのですよ?」
「あ、あの……」
背を向けたイチカちゃんに、偽物のお姉さんが恐る恐る声をかけた。
「……何です」
「サインが貰えたら、嬉しいなって……」
本物のファンであった。好きが過ぎてイチカちゃんの真似をしていたようだ。
「…………」
「あの、ファーランドのお祭りの時も、イチカさんを見に行ったりしてて……その……」
「…………」
ニマァァ……ってイチカちゃんが笑っているが、ファンのお姉さんからは背中しか見えていないのでまだ怒っていると感じている筈だ。
「ふぅ……サインなんて書いたことないですよ?」
「いいですか!? ありがとうございますっ!!」
「偽物は厄介事に絡まれ易いです。ついさっきもコールさんに殺されかけていました」
……やたらと手慣れた様子でウルフの毛皮を手に取り、渡された羽ペンで淡々と内側にサインするイチカちゃん。
「ファーランドに来られるなら、ギルドに顔を出せばいいです。だからお姉さんは偽物から足を洗ってください」
「えっ……会ってくれるのっ?」
「殺しかけたですから、少しくらいいいです」
そう告げると毛皮を押し付けて背を向け、またニマァァ……っと笑いながら歩み始めた。
「あ、ありがとうございました!!」
偽物も十人十色である。
というか、イチカちゃんを見にファーランドへ行ったのに俺達に気が付かなかったよ?
どれだけ夢中だったのか知らないが、視界にすら入らなかったのかな?
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