第四章、旅行へ行こう前編
第92話、哺乳瓶野郎
怪盗と魔王のノーパンコンビによる大騒動から四日。
未だに全身の筋肉痛に悩まされながらも、この日は休日であり痛む身体をベッドに投げ出して寛いでいた。
「……お前さんの妹様方には何故か懐かれるねぇ。ただでさえ魔女様には出会うことだって奇跡なのに」
「姉妹だからね。趣味趣向が似ているのだろう」
今日は少し肌寒い為、モナが張り切って野菜スープを作ってくれている。髪まで結い上げ、本気の構えで料理と向き合う。
退屈かもとその背に話題を投げかけると、予想だにしないカウンターが返って来た。
「それで? リアとはどんなエッチをしたのかな」
「ふぇ!? な、何言い出した……?」
「……していないのかい?」
オタマ片手に振り返って、意外そうな顔をするモナ。何を言っているのか分からない。
「するわけないじゃん……。それ、浮気じゃん……」
「あぁ、そう言うこと? 妹達は絶対的例外で、あの二人なら私は構わないよ? 彼女等を人間嫌いにしたのは私だし、あの子達が恋を知らないままというのも可哀想でならない。君なら安心だし、コール君以外というのは考えたくもないね」
「……しないよ。そんな甲斐性ないもん」
俺はモナ一人で大満足である。
「ハートちゃんは分からないけど、リアには頑張ってもらうしかなさそうだね。でもあの子達が君を殺すつもりがないのなら、この交際を伝えても構わないことになる。気を窺って言っておこうかな」
「お好きにどうぞぉ」
スープができたのか、魔石焜炉を消してこちらに歩む。
上機嫌そのものに抑え切れない笑みを浮かべ、ベッドに上がって来た。
「ん〜っ」
「んむっ?」
覆いかぶさって啄むようにキスされる。かなり機嫌がいいようだ。
「一途な君も大好きだよ、コール君」
「当たり前じゃん。みんなに架空の彼女と思われながらも、断固として彼女がいると言い続けてる俺なんだからさ。中々できることじゃないよ? 普通、恥ずかしくて止めちゃうよぉ?」
大の字で寝転ぶ俺の左腕枕に収まり、筋肉痛著しい腹筋を撫で始めた。大して割れてもいない痩せ型の腹なのに、何が面白いのやらしょっちゅうこれをやられる。でも胸も当ててくれるから文句も言えない。
「それでも私はリアなら認める。後は君達次第だ。くれぐれも、ユウやヤクモ君やイチカ君や《アテナ》などの人間、又は他の魔女に絆されないでくれよ? 私の人間嫌いは今日も絶好調だ。ちなみに他の魔女にも同族意識なんてものはない」
「心配なんてする必要ないのに……」
野菜スープの香りが堪らない。ご飯とパンとどちらで食べるつもりなのだろうか。あっさりスープも大好きだから昼が待ち遠しい。
「そう言えば他の魔女様って……あんまり聞かないなぁ」
「何人かは近くにいるけどね。しかし王国にはリアがいるだろう? つまり私もいる可能性が高い」
「モナにビビって近寄らないのか、なるほどぉ……。こんなにいい香りがして、こんなに柔らかくて、こんなに可愛いのに、何でだろ」
「不思議だね。でもおそらく、こんなにいい香りがして、こんなに柔らかくて、こんなに可愛い私を君しか知らないからなんじゃないかな」
「うぃ〜」
軽くモナに愛情ハグをして、起き上がる。
『収穫だよぉ』
何故なら畑が鳴いているから。奴等は収穫タイミングになると、収穫しろと騒ぎ始めるのだ。
仮にこれを無視すると、
『収穫だったよぉ……』
と悲壮感を垂れ流して鳴き始めるので、俺は奴等の思惑通りに収穫をしなければならない。
「野菜スープにぶち込んでやれば良かったな。美味しいのは確かだし」
「大根もあるし、今度はおでんにでもしてみようか」
「俺はおでんが大好き。海鮮、茶碗蒸し、そしておでん。これがあれば生きていけるから」
夢が広がったところで、言われるがまま従順に収穫させていただこう。
麦わら帽子にハサミを手に、我等が畑へ出陣する。
「ぺろん」
「…………」
「ぺろん」
「………………」
「ぺろん」
「……………………」
トマトと大根を収穫しながら、俺の周りをウロウロするモナに尻をペロンと触られつつ、おっかしいなぁと思う。
男の尻を触って何が楽しいのだろう。ちなみに、モナは好き放題に触る癖に、俺からは基本的に許可制。不条理なり。
「……そんな暇があるなら手伝ってくんない?」
「あぁ、いいとも。……虚無の獣セロ君、混沌の神ケイオス君、私のボーイフレンドを手伝ってあげるといい」
「…………」
物凄いのが、俺を見下ろしている。
この世の終わりを齎らしますみたいな顔付きで、つい先日も世界を消しましたみたいな風貌の御二方がトマトと大根の収穫を手伝ってくれました。
「ありゃりゃしたーっ!!」
「はいはい、戻った戻った。また他世界を蹂躙する日々に帰りたまえ」
「こらっ! 手伝ってくださったのにそんな態度すんな!」
♢♢♢
その次の日。
「はぁ、おめでと」
ガッツ、イチカ、マーナンを前に錬成室で祝いの言葉を送る。
「良かったじゃん。…………だからまっ、出てってくんね?」
魔女様の騎士とやらになったとは言え、何も変わらない。俺は冒険者の命を守るポーション作製者。仕事がある。
いつまでも友を祝えはしない。しかしこの三人は微動だにしない。生意気にも俺を見下ろしている。
「貴族からあんたらに指名依頼が来たんでしょ? 俺は毎日の仕事があるから行けないけど、毎朝その方角に声援飛ばしてやっから気合い入れてやれよ」
「コール……この三人で何かを解決できると思っているのか?」
「…………」
恥ずかしげもなく言うガッツに、俺は二の句が継げられなかった。
「……だとしてもよ? 旅行みたいな日程でしょ? 俺がファーランドを離れてる間、ずっとヤクモに作ってもらい続けるわけにはいかんて」
「しかし、貴族の依頼をこの三人……この三人だぞ」
「なんかイチカちゃんも中々にヤバい奴なのがまたいいスパイスだよね。よく考えたら俺等の中に入れるって相当危険な奴じゃん」
あっ、と妙案が浮かぶ。
「アレあんじゃん。《希望剣》に頼めばいいよ。エドワードは貴族の礼儀も知ってるし、クラウザーはまともだし、無口だけどオーミも常識人だろ?」
「呆れて物も言えん、脳足りぬ友よ。我等がその程度も思い付かない馬鹿だと思っているのか?」
「思い付くかもしれないけど馬鹿の極みだとは思っているよ? 偉そうだけど、お前だけ本物のリア様に会ってないかんね? そうなると気になるな。訊いてみようかな。ねぇ、どんな気持ち?」
「キサっ!? キサキサっ、キキキキキ貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
最もマーナンがショックを受けている傷口を開いてあげた。
一瞬にして沸騰し、咆哮の後に赤い顔をして詰め寄って来た。
「リア様の騎士なんつー訳の分からん役職に就いた俺に歯向かうんじゃねぇよ。お前よりよっぽど闇に近しいよ?」
「バッ、ぼっ、ぺっ、ぴぷぺぽぱっ、ぽっがっ、おえっ、っぐぁぁっ、貴様ぁぁぁぁぁ!! 闇魔法の第一人者である我と知っての狼藉かぁぁぁ!!」
「お前、自分が学生なの忘れてんのか? なんでそうやってすぐ大きく見せようとするかなぁ。リア様来るからってあれだけ準備した魔法のお披露目も無しにしといて。……離乳食でも食ってろ、哺乳瓶野郎」
「ぬぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――」
悶絶したり激憤したり吐き気を催したり叫んだりと、大忙しのマーナン。
最後には発狂したのではと思わせる挙動で、頭を掻き乱して絶叫を上げながら錬成室から飛び出していった。
「はい、まず一人目。次はどっち?」
「っ……!? 軒並み倒すつもりですっ……!?」
俺なんかに一気に怯え始める二人を、欠伸を噛み殺して眺める。
「ま、待てっ、話し合いだろう? これはただの会議だぞっ」
「あ、そなの? 強引に連れて行こうとしてると思ったから、マーナンぶっ壊しちゃったじゃん」
「それは…………脳足りぬとか何とか言っていたからいいんじゃないか?」
「うぃ〜、じゃあ用件は何なの。簡潔に本題を言いな?」
薬草を混ぜながら、ぼんやりと次に覚えるポーションを何にするか悩む。ここ数日、悩みっぱなしだ。
「……クラウザーには話してみた。そうしたら、おそらくこの指名依頼はお前が目当てなのではないかと言っていた」
「俺? なんでぇ?」
「そこまでは覚えていない」
「何でメモとか取らないの……」
と言いはしても、俺の返答は変わらない。
「みんなで遠出なんて楽しそうなところ申し訳ないけどさ、貴族からの依頼なんて明らかにまた面倒なことになりそうじゃん? やっぱり俺は一般人なの。一先ずは一般人の生活を取り戻したいの。今回はお断りしちゃおっか」
「俺は構わないが……、向こうが諦めるかは知らないぞ?」
「無視すればいいんだよ。魔王だの魔将だの、一生分の冒険は終えたんだから」
「何のまだまだ。走れる限りは走る所存だ、共にな」
「どこへなりと行け。俺はただポーションを作るのみよ。俺の代わりにこいつを持っていきな」
こうして、貴族の名前も知らないままに指名依頼をお断りした。
名前くらい聞いておけば良かったと、後に嘆くことになる未来を俺はまだ知らない。
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