第90話、闇の一雫


「――《闇の魔女》様っ!!」


 突然の呼びかけという即断罪されかねない無礼を働き、怪盗が現れた。


 冒険者達の刺す視線もどこ吹く風で、《闇の魔女》近くに跪いた。


「あなた、まだいたのね。用件は言わなくていいわ。シンシアの姿を借りていた時に聞き流していたから」

「どうかっ、どうか人類の未来の為にっ!! どうか!!」


 熱意を示して懇願する怪盗に、リアはただ無機質な目をくれるばかり。


 しかしコールをちらりと横目に見てから、魔女らしい悪戯っ子のような微笑を浮かべた。


「あなたの願いを叶えられない理由を教えてあげるわ。どれもどうにもできないものばかりだから」

「どうにも、できない……?」

「一つ目にして、最大の理由ね。最近のモナお姉様の趣味が様々な下着を収集することだからよ」

「…………」


 一つ目にして、怪盗の使命達成は不可能に終わる。


 どうにもできないにも限度があった。


「そして二つ目、私自身もそうなのだけれど、お姉様やハートの可愛い下着姿が大好きだからよ」


 怪盗の夢が、打ち砕かれていく。


「最後に、どうして私が人間の頼みを聞かなければならないの?」

「…………」

「この世から下着を無くしてしまったら、あなたが喜ぶのよね。どうしてあなたが喜ぶことをしてあげなくてはならないの?」


 絶望する姿をさも愉快と嘲笑いながら、怪盗へと非情な現実を突き付けた。


 怪盗だけではない。その笑みを目にした者達の心身が、魂から凍り付く。


「けれど、先程にコールとしたようなゲームをしましょう。それを達成できたなら、お姉様とハートのような例外を除き全ての下着を消滅させてあげる」

「っ…………ほ、本当ですかっ?」

「えぇ」


 リアが闇を解放した。


 ほんの少し、一粒程度の闇を……。


 それがこの日、最大の衝撃となる。


「今日は気分がいいの。特別よ?」


 翳した手の平から零れ落ちた一雫の闇が、地面に染み込む。


 闇が、大地に浸透する。


「かっ……こっ……!?」

「これにも驚いていないのよね、コール。あなたは本当に凄い子ね」


 ファーランド以外を、闇が覆っていた。


 平原などとうに超えて、森も遠くに見えていた山も、視界に映る空以外のものが全て闇色に染まっていた。


「空は無意味に染める必要はないわね。ハートが散歩中かもしれないし、このくらいにしておきましょう」

「…………や、やるやん?」

「……あなたとは後でじっくり話しましょう」


 寄せた眉をぴくぴくと引き攣らせるリアが、指を鳴らす。


 すると平原の闇から、暗黒の迷宮が迫り上がる。


 荘厳なまでに巨大で、広大な迷宮が意思一つで完成してしまった。


「…………」

「怪盗なのでしょう? これは今から一日で消えてなくなるわ。それまでにここから脱出できたのなら、あなたの望みを叶えてあげる」


 怪盗は、震えていた。


 恐怖? それもあるだろう。しかし一世一代の機が巡って来たのだ。


「っ…………!!」

「行ってらっしゃい。脱出できるといいわね」


 入り口へ駆け出した怪盗に小さく手を振り、魔女は薄く微笑んだ。


 怪盗が足を踏み入れると同時に、入り口が閉じられていく。


 そして完全に閉じられた時、暗黒の迷宮が完成した。


「い、いいんすか? あいつ、ノーパンだけど凄腕だし出口を見つけて出て来ちゃうかも」

「出口? そんなものないわよ?」

「えぇ……? さっき脱出できたらって……」


 どこからか取り出した日傘を差し、迷宮に背を向けたリアは恐ろしい事実を口にする。


「えぇ、この暗黒監獄から脱出できたならばと言ったわ」

「これ監獄なのっ!? あいつ監獄に飛び込んじゃったよ!!」

「中には魔王や不死戦艦よりも遥かに強い看守がたくさんいるわ。彼等から逃げ切って外に出られる者ならば、多少の褒美は与えてもいいでしょう?」


 魔女を相手に取引をしてはいけない。


 その鉄則を破った者の末路に、人間は震え上がるのみであった。


「コール、付いて来なさい」

「どこへ……? 俺、もう眠くて仕方ないんすけど……」

「あら、私はあなたの友人を助けに行こうと思っているのよ?」



 ♢♢♢



 学園に走る殺意の嵐。


「…………」

「…………」


 いくつかの問答。しかしどちらの主張も平行線。飽きた《闇の魔女》が、ガッツへと手を差し出した。


「一生、暗黒世界を彷徨う覚悟はある?」

「っ…………覚悟は、しておりました」

「そう……」


 恐ろしき笑みを深め、大観衆が顔を青ざめる中でその暗黒は解き放たれた。


『邪魔よ、退きなさい』

「っ……!?」


 あの《闇の魔女》がその声を受け、反射的に飛び上がった。


 余裕など微塵もなく、強者の面影などかなぐり捨てて、辺りを見回している。


 見上げていたガッツが、ふと斜め前にできた黒ずみに気がつく。


 それは徐々に膨れ上がり、人が一人通れる程度の大きさとなる。


「っ…………」


 遅れて気が付いた《闇の魔女》が、…………跪いた。


 頂点たる《闇の魔女》が、出現した闇へと畏れを表している。


 やがて日傘の先端が闇より出でる。やけにゆっくりと、ガッツ並びに大観衆の前にその存在は姿を見せた。


「……意外といい場所にあるのね」


 大観衆が跪いた。


 闇より姿を現した本物の《闇の魔女》に、本能から屈服した。


 秘書官達でさえ、影武者だとは夢にも思っていなかった。


 先程までのリアよりも美しく可憐で、優美で、比較にならない程に絶大であった。


「よ、よろしかったのですか……? 人間の前にご自身でお姿を見せるなど……」

「だから来たのでしょう? 意味のない質問は止めてもらえる?」

「申し訳ございませんっ……!」

「聞いていられなかったわ」

「っ…………」

「ガッツへのあなたの返答よ。敵を傷付けなければ何の意味もないだなんて、そんな幼稚な思考の持ち主が私だなんてよくも言えたものね。気に入らないにしても、説き伏せる知能くらいはあるものだと思っていたわ」


 本物であった。


 漆黒のドレス纏うリアが観覧席に座り、白いドレスのリアが恐れのあまり竦み上がっていた。


「お、お許しを……」

「消えなさい、影に戻されたくなければ。しばらく私の前に現れないでもらえる?」

「リアさ――――」


 常闇の影に呑み込まれ、白いドレスのリアが消えてしまう。


 学園を気配一つで恐怖一色に染め上げた影武者を、一瞥もくれることなく片手間に消してしまった。


「ガッツ、私がリアよ」

「…………」


 無理だ。


 先程の《闇の魔女》に物申せても、この《闇の魔女》には何一つ主張できない。


 震えることなく真っ直ぐに一貫して立ち向かっていたガッツでさえも、本物の気配を受けて完全に挫かれていた。


「友の功績を認めて欲しいだったわね。確認が取れたわ。認めましょう」

「っ…………」


 思わず、面を上げる非礼を犯してしまう。


 しかしリアは気にすることもなく、それどころか愉しげに続けた。


「まずはヤクモ・キサラギ。魔王討伐時のハイポーションによるガッツの回復を功績として認めます」


 不思議に響くリアの声音を受け、どこかでいるであろうヤクモは感激のあまり涙を流しているだろう。


「そしてその際に魔王に立ち向かった冒険者達も、その功績を私が認めるわ」


 都市内にいる冒険者達にも、その声は届いていた。


「これでいいかしら」

「ぁ………っ」

「意地悪をしてしまったわね」


 反論の声が出せずにいるガッツに申し訳無さそうな笑みを浮かべたリアは、自身の隣上に闇を創り出す。


 すると闇の中から、何かが落ちて来た。


「すんっ、すん……」

「コールっ!? 何をしとるんだ、お前はっ!!」


 鎖で縛られて闇より逆さに落ちて来たコールは、疲労と眠たさのあまり泣きべそをかいていた。


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