第82話、怪盗71802号

 泣き崩れるタナカの背後には、人間の女性が立っていた。


 誰がどう見ても怪しい出で立ちで、そこにいた。


 上下の繋がったパツパツの衣装を身に付け、素っ頓狂な仮面で顔を隠し、無駄にスカーフで僅かばかりのお洒落を主張している。


 怪盗71802号、その人に違いない。


「えっ、本当にシンシアさんじゃなかったの?」

「まだ疑っていたんですかっ!? 隣にこんな人がいる中で魔王と戦っていたの!? こんなに死に物狂いで戦っている人をよく疑えましたねっ!」


 俺は仲間だって容赦なく疑っていく。


 裏切りに警戒していたのだが、必要なかったらしい。


「まさか……何の力もない男と受け付け嬢が、魔王に優勢とは恐れ入った、わっ!」

「妙に語気が強いっすね。なんかあったんですか?」

「笑った側は一時の楽しみでも、笑われた側は一生恨むものなのよ」

「いや……笑ったって言っても正確にはあれですよ? 微笑みって言ったらほほブフっ」

「笑うなぁ!! そう言いながら思い出して笑うなっ! この状況でよく喧嘩が売れるわねぇ!」


 神経を逆撫でてしまったようで、体を強張らせる怪盗は鼻息荒く憤りを表している。


「なんなんすか、一体。あなた、何がしたいの? 魔王信奉者なら魔王と魔族域に行けばいいじゃん。あと杖、返せ。馬鹿が」

「あぁ……王国の調査員から聞いたのね。でも私は魔王信奉者ではないわ。誰が返すか、クソガキ」

「魔王を復活させといてそりゃないでしょ。クソガキ言うな、変質者如きが」

「私は文化の改革の為に魔王を必要としているだけ。私のどこが変質者だ、鼻垂れが」


 王国の調査員も当てにはならない。


 本人が嘘を言っているようには見受けられないし、本当に魔王信奉者ではないのだろう。結果として魔王を蘇らせているので同じようなものではあれども。


「……二人共、悪口を交えて会話をするの止めません?」


 仲が悪過ぎる俺と怪盗に、愛想笑いのシンシアさんが提案する。止めません。


「文化の改革って具体的に何よ。鼻垂れてねぇよ、二重顎ダイブ」

「それだけは言わないでっ!!」


 勝った。


「文化の改革だか何だか知らんけど、《闇の魔女》様には勝てねぇよ。無駄な反魔女活動なんか止めて田舎帰んな。お袋さんが泣いてんぞ?」

「ママも怪盗よ。そしてパパからも仕送りありがとうの手紙が頻繁に届くわ」

「クソ家族がっ!!」


 シンプルな暴言を怪盗一家に叩き付けた。これで一勝一敗となってしまう。


「それに、そこも勘違いしているのね。私は反魔女派ではないわ。依頼は依頼として受けたけれどね。けど、魔女教の依頼も分け隔てなく受けているわよ」

「いやいや、魔王をファーランドに向かわせてんじゃん」


 嘆息混じりに告げる怪盗だが、やっている事は疑いようのないテロ活動である。


 《闇の魔女》様がいる日に、その都市へと魔王を差し向けるのは王国と魔女様への反逆に他ならない。


「私はただ、魔王と共に――――ノーパンの素晴らしさを魔女様に訴えたいだけっ!」


 また新しい馬鹿がファーランドへやって来た。ようこそ、ファーランドへ。


 この地方は馬鹿を誘引する不思議な土地柄なのだろう。きっと、おそらくそう。


「魔女様の命令により、ノーパンの掟を打ち立ててもらうのよ。世界は生まれ変わるのっ!」

「お前だけ穿かなきゃいいじゃん。他人に自分の価値観を押し付けんじゃねぇよ。それに何より、タナカは誰よりもノーパンに嘆いていたよ?」

「正直になれないだけよ。でも身体は知っていた。彼は真実に辿り着いたの」


 あれだけの悲哀を俺達の前で告白したのに、盗人なんかに勝手に決め付けられている魔王。


 今回ばかりは、タナカに同情…………まぁ、同情はしないな。


「あんた、今も穿いてないの?」

「聞くまでもないじゃない……。ノーパンにっ、ノーブラよ!」

「その顔止めろ。……上もぉ? そんな格好で大丈夫なんか? その、浮き上がったりとかさぁ」


 やけに自慢げに身振り手振りで言う怪盗は、ピチピチで身体のラインが一目で分かる。


 下着を付けていないのなら、心配になるポイントがいくつかある。


「えぇ、当然に対策してあるわ」

「対策?」

「そういう箇所には布を挟んであるのよ」

「じゃあパンツ穿けやっ!!」


 久しぶりに本気で激怒してしまった。


 本気の怒声が腹の底から湧き上がり、無意識の内に喉から解き放たれていた。


 けれど怪盗には何の効果もなく、のみならずこのような物言いをし始める。


「何を怖がっているの……? 大丈夫よ、何も怖いことなんてないわ。誰もあなたに酷いことなんてしないのよ?」

「神様ぁ、今日だけ暴行を許してくれませんかぁ……?」


 天を仰ぎ、初めて神に縋った。


 しかし神はお忙しいのか返ってくる答えはない。怪盗を殴る蹴るは止めておこう。というか確実に負ける。


「自分を誇りに思って? 何故その一枚で自分を覆い隠すの?」

「ズボンで擦れて痛くなるから。文明人だから」


 子供に諭すように『ほら、理由なんかないでしょう? 分かったでしょう?』と言って来る怪盗に俺なりの理由を答えてみた。


「あなたは今、自分を締め付けているの。パンツによって自分たる象徴を苦しめ続けているの。心が牢獄に囚われているの」

「いやぁ、この固定された安心感って大事よ? ゆとりがあるパンツだってあるしさ。あれもいいよね、俺は好き」

「解き放つべきなのよ。自身と自信の解放。パンツの呪縛によって停滞している文明を進める時が来たの。私達の進化はこの悪しき文化によって阻まれているのよ。騙されては駄目、目を覚ます時は今」

「オッケ、こいつぁ飛び切りの馬鹿だぜ。今日は疲れるぞぉ?」


 ノーパン怪盗に立ち向かう決意をした俺は、生き残ったとしても凄まじい疲労を背負っていることだろうと覚悟した。

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